足利義政単語

アシカガヨシマサ
  • 5
  • 0pt
掲示板へ

足利義政 (1436-1490)はニート室町幕府第八代将軍である。

は「万人恐怖」の足利義教足利義勝、足利政知足利義視。子に足利義尚

概要

一般的には政治放棄の果てに応仁の乱を招いたダメ将軍として知られる人物。一方で芸術トロンとしては極めて有能で、後世「日本文化」という言葉からイメージされる世界観は義政が原プロデュースしたといってもいいぐらいである。とにかく政治と文化、どちらを見るかで評価が180度変わる困った御仁といえる。もっとも、彼とて最初からこんな世捨て人だったわけではない。

義政も若い頃は将軍としてのを示そうと頑る意欲的な人物だった。しかし幼い頃は近臣の専横が甚だしく、成長してこれを除いても管領や外戚や鬼嫁にことごとく干渉され、手足となる側近を奪われた結果やる気を喪失してしまい、将軍として最低限の定常業務以外は何もしないという悟り地に入ってしまったのである。代わりに没頭したのが現実を忘れられる芸術世界であり、義政が持てる全てを注ぎ込んだ銀閣寺などは単に建築としてのみではなく、書院造(現代まで到る日本建築和風住宅の基礎)の芽としても今なお高い評価を得ている。

実際この義政、政治家として最悪なのは衆の一致するところだが、ではバカなのかというとそれはちょっと違っている。通常この手のダメな為政者というのは周りの意見に右往左往し、自分では何一つ判断できない日和見人間が多いのに対し、義政の場合「が何言ってもどうせ管領とかが決めるじゃん」というヤケクソ手紙などからし投げやりな仕事はどうみても意識的な選択である。それどころか御所のの前が戦場となり、鬼嫁逃げ出す算段を始めた時でさえ、義政のみは気で宴会と芸術鑑賞にじており、応仁の乱アホらしい茶番であることを一人だけ正確に見抜いていた節がある。こんなイっちゃった人間に付き合わされる方はたまったものではないが、本人にしてみればとっくの昔に将軍を辞めたいと言っているのだから、すっぱり辞めさせてくれなかった周りが悪いという言い分はあるだろう。(隠居すら初志貫できないヘタレさはともかく)

義政の現実に対する関心は底しており、都が飢饉の死者で溢れようと応仁の乱で焼け野原になろうと、更にそのことで天皇からもどうにかせいと言われようとも、一切支援などせず庭園造成や楽鑑賞に財産をつぎ込んでいた。こういった建築芸術保護のの出所は大、妻の日野富子が庶民からは関所で、大名相手には貸しで取りまくったで有り、応仁の乱が始まって以降の戦乱の最中にあっては、庶民にとっては文字通りの血税であり、財政窮乏の幕府からすれば干の慈になったはずなのだがお察しください

ちなみに閣の庭園などにも関わった庭師の善弥は、河原者と呼ばれる被差別階級の出身ながら、義政はそんなことを全く気にせず非常に丁重に扱っている。「芸術の前には現世の身分などどうでもいいじゃないか」という義政のが聞こえてきそうである。ある意味筋の通った立殿様ではあるのだが・・・。

1490年、閣の完成を待つことなく55歳で死去。辞世の句

何事も まぼろしと 思い知る 身には憂いも 喜びもなし

趣味の限りを尽くした義政が、荒れ果てた都を前にこの句を詠んだと思うと、なにかやるせないものがある。

大河ドラマにおける足利義政

鬼嫁日野富子主人公の「花の乱」にて富子の旦那として登場。

若いころを市川海老蔵成年後を市川團十郎が演じる親子出演となった。実際にはかなり切れ者であることを匂わせながら、現実に対する虚無感、感を強に漂わせた人物として描かれる。覇気がないのに異様な存在感がある市川團十郎の名演が素晴らしい

関連商品

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 5
  • 0pt
スマホ版URL:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%94%BF

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

足利義政

27 ななしのよっしん
2019/04/26(金) 08:50:12 ID: 5qFvbgUdk9
実際義政は死ぬまで、義尚には最低限の権限を手放さなかったわけだから、政治関心だったわけではない気もしてきた

まだ若輩の義尚に権限渡すと暴走してヘタしたら妻の子やその一族、有守護大名達が更に増長する隙を与えてしまうからなぁ(まぁそれがきっかけで妻や息子の関係が冷え切ってしまうんだが)
28 ななしのよっしん
2019/07/07(日) 13:47:32 ID: bqepR63DvC
最近、義政は室町幕府が戦時体制から生まれた機構故に
その権が守護に依存してたという一点を分かっていなかっただけで、
無能ではなく、有能だからこそ応仁の乱を起こせたのではないかと思い始めた。
文政の政変までは、守護大名弱体化は成功し続けてるんだから。
29 ななしのよっしん
2019/10/01(火) 18:45:29 ID: NmSsuLU9pD
富子がクソすぎて反吐が出る
30 ななしのよっしん
2019/10/05(土) 20:15:59 ID: bQIx/0E98v
意見はこちらを見てからどうぞ
https://www.nicovideo.jp/watch/sm31571119exit_nicovideo
近年いろいろ見解が変わってるからこの辺のシリーズ見るのオススメ
31 ななしのよっしん
2020/02/09(日) 22:45:49 ID: KXOoThMz/D
>>30
その動画シリーズの中で義政は「政局は上手くても統治者の器じゃない」ってコメがあったけど、
まあ確かにそうだなと思うわ

将軍を強化する為に諸大名の督争いに介入したり内紛を煽ったりしたはいいが、
自分の思うようにいかなくなると途中で政治を放り投げて趣味世界に没頭って…
やっぱ将軍に生まれるべきじゃなかったんだな
32 ななしのよっしん
2020/04/25(土) 08:02:50 ID: AsdW0306c1
>>28
というか応仁の乱も有守護大名弱体化という意味では成功してるような
山名・斯波はこれ以降立ち直れなくなったし、京極畠山は分裂
細川今川は当が死んで、幼少の政元・氏親が後を継ぐ

乱後は息子・甥が六角を征伐したし、明応の政変までは将軍の強化は一応成功しているような気もしなくはない
その明応の政変導してたのは伊勢貞宗・日野富子で、細川は巻き込まれただけみたいな話も出てきてるようだけど
33 ななしのよっしん
2020/08/13(木) 11:41:06 ID: xwvb2PBD2o
織田信長が一番尊敬した将軍だそうだが当時文化面で評価あったんだろうか?
34 ななしのよっしん
2021/04/06(火) 09:23:04 ID: 8LHJZufFnk
義政について政治面だけじゃなくて文化面も見て有能無能か判断しろって意見が違う場所でたまに出てくるが文化は人生を豊かにするかもしれないけど政治人生を終わらせかねないんだからそりゃ政治の方がウェイ重いだろ
35 ななしのよっしん
2021/04/06(火) 14:05:23 ID: Zb8JBUOdb2
確かに将軍独裁の方向性をある意味義教以上に明確にした将軍
明応の政変なくば、将軍による17世紀絶対王政みたいな未来もあったかもしれん
仮に信長が義政を評価したというなら、そういう先駆者としてじゃないかな
36 ななしのよっしん
2021/05/02(日) 13:42:32 ID: AsdW0306c1
応仁の乱で有守護のほとんどが弱体化した
明応頃には朝廷天皇の即位式も葬式も幕府の機嫌次第でできないぐらい弱体化した
将軍単体としては山を利用して山の直轄化を進め、最終的に伊勢氏を守護にすることができた

息子の義尚の時代には大御所としてを振るい、甥の義材就任後に自身が死んでも、の義視が大御所として権限を振るえる体制作りにまで持っていった

こう見ると普通政治家としても成功していてる気がする