軍歌(ぐんか)とは、戦意高揚の為、作られた歌である。
概要
世界各国で作られている。軍歌と一口に言っても、勇ましい敵をぶち殺せというものばかりではない。
学校の校歌のような形で各連隊にあった連隊歌、内地の国民を鼓舞する為に作られた戦時歌謡、亡くなった戦友を偲ぶ鎮魂歌、故郷の思い人への愛を綴った歌など、多岐に亘る。
曲自体はとても良いのだが、あまり親しくない友人や、合コンなどの際に女の子の前で歌うと変な目で見られる為、注意が必要である。
著名な軍歌
大日本帝国
- 「抜刀隊」
西南戦争最大の激戦・田原坂の戦いを歌ったもの。大日本帝国最初期の軍歌である。帝国陸軍の行進曲として制定され、現在でも陸上自衛隊や県警部隊で使用。非常に歌詞が勇ましく、また美しい。 - 「父よあなたは強かった」
1939年(昭和14年)に発売された作品。大阪と東京の朝日新聞が懸賞募集をかけて採用された。発売から5か月で50万枚近く売れ、大ヒット。しかし「敵の屍と共に寝て泥水すすり草をかみ……」などの歌詞に対し、当時戦線にあった兵士からは反発があったという逸話が知られている。 - 「出征兵士を送る歌」
1939年(昭和14年)に発売された作品。大日本雄辯會講談社(現・講談社)が公募を行い、12万件を超える応募から採用された。タイトルの通り出征する兵士を歓送する場で好んで用いられ、勇壮なメロディと歌詞でヒットを飛ばした。 - 「ラバウル海軍航空隊」
1944年(昭和19年)に発表された作品。作曲は古関裕而(「栄冠は君に輝く」)、作詞は佐伯孝夫(「いつでも夢を」)。明るく勇ましい曲調と歌詞に加え、所々で亡き戦友をしのぶ内容となっている。 - 「加藤隼戦闘隊」
大東亜戦争初期、加藤建夫陸軍中佐(戦死後、陸軍少将)に率いられた「飛行第六十四戦隊」こと「加藤隼戦闘隊」を歌った作品。1940年(昭和15年)に第64戦隊第1中隊の部隊歌として生まれたが、すぐに「飛行第六十四戦隊歌」となった。翌年公開されたニュース映画で初めて国民に紹介され、映画『加藤隼戦闘隊』の主題歌となった。 - 「軍艦行進曲」
パチンコ屋でかかる曲としての知名度を誇る、最もよく知られると言っても過言ではない軍歌。初出が1893年(明治26年)、その後新たに1900年(明治33年)に誕生した古株。現在では海上自衛隊の儀礼曲の一つとして制定され、様々な機会に演奏されている。
その知名度の高さからミャンマーではこの曲を流用した軍歌を採用しており、台湾や東南アジアでも好まれる。その一方で中韓では公の場で歌ったり演奏すると非難されるが、勇壮な曲調をそれと知らず好む世代が多いとか。
ドイツ第三帝国
- 「イングランドを爆撃せよ」(Bomben auf Engelland)
直球にも程があるタイトル。1940年に公開された空軍の宣伝映画の挿入歌で、元々は前年のポーランド侵攻で活躍した空軍を知らしめる「ポーランドを爆撃せよ」なるタイトルだった。その後英本土爆撃に伴い新たに歌詞を書き換えたものが軍歌となった。 - 「イギリス征討歌」(Das Engellandlied)
1939年に発表された軍歌。明るい曲調で、歌詞も「冷えたワインで乾杯しよう!愛する人よお元気で、我らは英国へ征く!」という内容。当時ドイツが連戦連勝していた中で作られた曲ゆえ、悲壮感は全くない。
漫画『HELLSING』にてリップヴァーン大尉が歌っており、OVA版4巻ではこの曲がエンディングに採用。更に演奏がポーランド・ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団だった為にスタイリッシュ国際問題として話題となった。 - 「パンツァーリート」(Panzerlied)
1933年に作られた行進歌。元は漁師の作業歌「ルイスカリート」だったが、第一次大戦後に広く人口に膾炙し、親衛隊歌集に収録。戦後もドイツ連邦陸軍で歌詞を変更して使っていたが問題視され、2017年に複数の曲と共に使用禁止になってしまった。とは言え人気は高く、フランス陸軍などでメロディーを拝借した行進曲が使われている。
映画「バルジ大作戦」で世界中に知られるようになり、アニメ「ガールズ&パンツァー」にて黒森峰女学園のテーマとして採用されている。 - 「ラインの守り」(Die Wacht am Rhein)
1854年に発表された作品。軍歌または愛国歌として、民謡として認識されるほど広く知られる。1840年のライン危機に際し、ライン河を守れという主旨の歌が元となっている。皇帝ヴィルヘルム1世にも上梓されたこの歌は当時の情勢もあって爆発的な人気となり、後に宰相ビスマルクによって作詞作曲を手掛けたものは表彰されている。
ロシア&(ソ連)
- 「赤軍に勝る者なし」(Красная Армия всех сильней)
別名「白軍と黒衣の男爵」。ロシア内戦真っ只中の1920年に発表された。内戦終結後も閲兵式などで演奏され続け、歴史の古い軍歌として様々な国でタイトルや歌詞を別にした曲が存在している。 - 「ポーリュシカ・ポーレ」(Полюшко-поле)
1934年に発表。日本語にすると「草原よ、草原」くらいの意味。詳細は個別記事を参照。 - 「ソヴィエト陸軍の歌」(Песня о Советской Армии)
1943年、赤軍創設25周年を記念して作曲された作品。作曲はアレクサンドル・アレクサンドロフ。戦争での勝利やスターリンの死など、当時の情勢の変化に伴ってちょいちょい歌詞が変更されていたりする。
中華人民共和国
- 「中国人民解放軍進行曲」
- 「義勇軍進行曲」
- 「三大紀律八項注意」
→ 紅歌
フランス
- 「ラ・マルセイエーズ」(La Marseillaise)
フランス国歌にして軍歌。「マルセイエーズ」はマルセイユの義勇兵を意味する。
元はフランス革命において好んで歌われた革命歌で、その後国歌として採用されたのは1795年の事である。その後1804にナポレオン・ボナパルトが皇帝となると歌詞が問題視されて国歌が変更となり、公で歌う事は禁止されていた。
勇壮だが歌詞が非常に過激な事で知られ、1番からして「奴らは諸君の元に来て、子と妻の喉を搔き切る!」なんて具合である。たびたび問題視されているものの、特に改訂される気配がないのは流石フランスといった所か。 - 「玉葱の歌」(La chanson de l'oignon)
タマネギの、タマネギによる、タマネギの為の歌。詳細は個別記事参照。
イギリス
- 「英国擲弾兵」(The British Grenadiers)
一度聞けば「ああこれか!」と思う程度にはよく知られた軍歌・行進曲。成立は古く、17世紀末には様々な歌詞で歌われていた記録がある。投擲爆弾(グレネード)を扱い、エリート部隊である擲弾兵の勇敢さを褒め称える内容で、イングランド旧植民地であった国でも広く公認されている。
オスマン帝国(トルコ)
- 「ジェッディン・デデン」(Ceddin Deden)
オスマン帝国の軍楽「メフテル」の中でもとりわけ知名度が高い作品。日本ではダイワハウスのCMで有名。詳細は個別記事参照。
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