軍票とは、軍隊が占領地において物資を購入するときに現地民へ支払う代理紙幣である。
正式な言い方は軍用手票(ぐんようしゅひょう)である。
概要
軍隊が占領地で物資を購入するときに使う
軍隊が他国領土に進駐して占領するとき、現地で物資を購入するときに使うのが軍票である。
前近代まで、軍隊が他国領土に進駐して占領するとき、現地で全く代償を支払わずに物資を徴発していた。それだと現地住民の手元に何も残らないので現地住民の反感を買うことが多かった。
近代に入ると、各国政府は現地住民の反感を買わないように工夫を凝らすようになり、軍隊向けに軍票を支給するようになった。
1899年と1907年に署名されたハーグ陸戦条約の第52条には次のように書かれている。
Contributions in kind shall as far is possible be paid for in cash; if not, a receipt shall be given and the payment of the amount due shall be made as soon as possible.
物品の負担(Contributions in kind)は、なるべく現金(cash)で対価を支払うべきである。それが不可能なら、領収書(receipt)を渡し、総額の支払いをできるだけ早く行うべきである。※英文出典 ihl-databases.icrc.org
本国政府が発行する
軍票を発行するのは、軍隊ではなく、本国の政府であることが通例である。「軍票」で画像検索すると、「大日本帝国政府」「The Japanese Government」と書かれている紙幣が多くみつかる(検索結果)。
急いでいるときは、日本銀行が発行した日本銀行券に書かれている「日本銀行」の文字を赤い打ち消し線で消して、大日本帝国政府の文字を入れる。1938年(昭和13年)に発行された1円軍票は、日本銀行が発行していた改造1円券を赤線と赤字で訂正したものである。
近代日本史において「軍隊と政府の対立」が1つのテーマとして語られることが多く、軍隊と政府が別個の存在であるような錯覚をおぼえるが、実際の軍隊は政府の一部門である。軍票は、政府の一部門のために政府が発行したものである。
政府が発行する紙幣を政府紙幣という。ゆえに、軍票は典型的な政府紙幣である。
通貨に代えて軍票を発行する必要性
軍隊は政府の一部分だから、政府は本国で流通する通貨を軍隊に支給すれば良さそうだが、実際は軍票を発行して軍隊に支給していた。
その理由としては「本国で流通する通貨を敵勢力に渡したくない」というものがあげられる。軍隊に本国通貨を渡した後に敵対勢力が軍隊を奇襲して大量の本国通貨を入手したら、敵対勢力はその本国通貨を使って本国でのテロ活動をすることができるようになる。
軍票ならそういう心配が無い。軍票は軍隊が支配する占領地だけで使用できるのであり、本国で使用できない。軍票を本国で使いたければ、政府機関に軍票と本国通貨を両替することを依頼せざるを得ないのだが、敵対勢力なら政府機関に接触した瞬間にバレてしまう危険があるから、なかなか両替を依頼できない。軍票には国境を越えたテロ活動を抑制するという長所がある。
通貨同盟やドル化という政策があるのだが、そうした政策はA国とB国で同じ通貨を使うものである。ゆえにA国で通貨を強奪した犯罪者がB国に侵入してB国で優雅に暮らすことが可能であり、国境を越えた犯罪が容易になるという短所を持つ。つまり通貨同盟やドル化は、軍隊が占領地で軍票を使って本国政府が本国で本国通貨を使うという制度とは正反対にある制度である。
以上のことをまとめると次のようになる。
本国通貨 | 軍票 | |
使用できる場所 | 本国のみ | 軍隊の占領地のみ |
敵対勢力に渡ったときの危険性 | 本国におけるテロ活動の資金として使われる危険がある | 軍隊の占領地に在住する人を買収する資金にしか使えない。本国在住者を軍票で買収できない。得られた軍票を資金にして本国におけるテロ活動をするときは、本国政府に本国通貨へ換金することを依頼せねばならず、敵対勢力にとって難しい |
占領地で流通する通貨の単位で発行される
軍票は、占領地ですでに流通している通貨の単位で発行される。
日中戦争時は、中国で活動する軍隊に向けて円建ての軍票が支給された。この当時の中国大陸の一部では、日本円が通用していた。
大東亜戦争(第二次世界大戦)時の日本軍は、オランダ領東インドでグルデン建ての軍票を使用し、イギリス領ビルマでルピー建ての軍票を使用した。
第二次世界大戦の後から1973年まで、アメリカ合衆国はMPCという軍票を発行して米軍に支給していたが、これは米ドル建てだった。この時代になると、米ドルが世界通貨になっていて、世界各地で流通していたからである。
かなり特殊な負債として発行される
軍票は、表面に書かれている額の通貨を支払う債務を裏面に明記していることが多い。つまり政府の負債として発行されることが多い。
ところが、政府の都合により一方的に支払期日を自由自在に変更できる種類の負債であり、かなり特殊な負債である。手形や電子記録債権などといった純粋な負債とは全く違うものである。このことについては『軍票の負債性』の項目で再度記述する。
軍票というのは、発行する政府が通貨に交換するかどうかが全く読めない。政府に交換を停止されているうちは負債としての厳しさが極度に薄いものである。
政府が軍票と通貨の交換を停止している間の政府は、軍票を大量に発行して軍事費の足しにすることができる。激しい戦争になると軍事費がかさむのだが、その窮地を軍票で切り抜けることができる。
政府が軍票を発行して軍隊に支給し、軍隊が軍需物資を買うとする。その場合、政府の貸借対照表(バランスシート)の資産の部には「軍需物資 ○○円」と書かれ、負債の部には「軍票 ○○円」と書かれる。
軍票を発行した後の処理
軍票を発行して、占領地にばらまいた後の処理はどうするかというと、占領地を従属的な地位に置き続けるかどうかで分かれる。
占領地を従属的な地位に置き続け、植民地や傀儡国家に変化させた場合は、軍票を通貨に取り換えることになる。軍票が地域経済に残り続けると徴税が円滑に行かないので、そういう処置を取る。日露戦争の際に、日本軍が朝鮮半島や満州で使用した日露戦争軍票は、戦後に多く交換され、回収された。
占領地での軍事行動に失敗して撤退や降伏をすることになった場合は、軍票を発行した政府が軍票を通貨に取り換える義務を放棄し、現地人の持つ軍票が紙屑と化す。大東亜戦争の際に日本軍が戦地で使用した大東亜戦争軍票や、ベトナム戦争の際に米軍がベトナムで使用したMPCが代表例である。
軍票の負債性
軍票の債務を示す記述
日本政府が発行してきた軍票の裏面には、「此票一到即換正面所開日本通貨」といった文字が記されていたことが多い(画像)。日本通貨と書く代わりに銀銭と書いていたこともある(画像)。
これは中国語であり、「この軍票を持って、ひとたび交換所に到着すれば、即座に、軍票の表面に開示してある日本通貨に交換する」「此の票を一たび到らば、即ち正面に開する所の日本通貨に換える」といった意味である。
政府が交換を停止する
ところが、実際には、軍票を日本国の通貨に交換する債務を停止していたことが多い。
軍票を支給された軍隊が進駐するところは、戦争まっただ中であることが多く、のんびりと交換作業できる情勢でなかったというのが理由の1つである。
また、戦争に勝つため軍票を増発していて通貨と交換する余裕がなかったというのが理由の1つである。日本国内で流通する通貨が金塊との交換を義務づけられた兌換銀行券である場合は、それに対応する金塊を日本銀行が所有しなければならず、おいそれと通貨を発行できない。ゆえに、軍票と通貨を交換するのも簡単にできるものではない。
つまり、政府の都合で、一方的に、支払の債務を履行していなかったのである。
このことを言い換えると、軍票を持ち込まれた日が政府にとって自動的に支払期日となる(このことを一覧払いという)のに、債務者である政府が一方的に支払期日を延期していたことになる。
手形や電子記録債権といった負債(金銭債務)は、債務者の都合で一方的に支払期日を延期するなどということができない。必ず、債権者と債務者が協議して、双方合意して支払期日を延期する必要がある。一方的に債務者が支払期日の延期を宣言しても一切通用せず、ほとんどの銀行が参加する業界団体から厳しい制裁を受けるのである。
また、民法で、債務の履行を延滞することを履行遅滞という(民法第412条)。履行遅滞をした債務者に対して債務者は損害賠償の請求ができる(民法第415条)。そんな風に、債務者が一方的に支払期日を延期することなど、許されていないのである。
ところが、軍票発行者の債務は、しばしば停止されて履行遅滞されていた。権力を握った者の強みというのを、誰しも強く感じることだろう。
政府の都合で支払期日が伸びたり縮んだりする
政府がその気になれば、軍票の交換債務の支払期日を一方的に延長できる。「1億年後」といった感じに支払期日を延長して、軍票と通貨の交換を停止するのである。
また、政府がその気になれば、軍票の交換債務の期日を一覧払いに戻すことができる。「交換所に持ち込んだら自動的にその日が支払期日になる」ということである。
こういう風に、支払期日が自由自在に伸び縮みするというのは、軍票らしい現象である。
軍票が占領地で流通する原理
軍票というのは、政府の都合で一方的に支払期日が変化するものであり、券面に書かれた交換債務などまったく信用ならないものである。
しかも、日華事変軍票が使われた時期において、日本の通貨は不換銀行券だった。「1円」と書かれている日華事変軍票を交換所に持ち込み、日本の本国で流通する1円銀行券をもらったとしても、その1円銀行券を日本銀行に差し出して金塊に交換することができなかった。つまり、日華事変軍票は、金塊という資産の裏付けが一切無かった。
それなのに、日華事変軍票は、意外にも、日本軍占領地で順調に流通していた。
どうして軍票が占領地で流通するのか、代表的な考え方に基づいて説明してみたい。
共同幻想説(商品貨幣論)
商品貨幣論に基づいた説明方法がある。
軍票の交換が停止されていたり、あるいは不換銀行券との交換に限定されていたとしても、軍票使用者たちは「いつかそのうち、この券面に書かれているだけの金塊と交換できるようになるかもしれない」といった淡い期待を抱いている。
淡い期待、言い換えると共同幻想とか大衆心理、そういったものが軍票の流通を支えたのである。
軍隊の占領地というのは、軍隊が力強く活動する場所である。強力な戦車を走らせ、爆音をたててドカンと砲撃し、大量の人員が規律を保って一気に押し寄せる、といった軍事行動をする。そういう力強い姿を見ると、軍隊に対する信頼と期待感が一気に強まる。ゆえに、共同幻想が現地民の間で膨らみ、軍票が流通するようになる。
賄賂の弾丸説(国定信用貨幣論)
この項目は独自研究を元に書かれています。 信じる信じないはあなた次第です。 |
国定信用貨幣論に基づいた説明方法も存在する。
軍票というのは、軍隊を構成する兵士に対する賄賂として十分に使い道がある。賄賂というのは体裁が悪い表現なので、現地民の自発的納税とでも言い換えるべきだろうか。
兵士も、遊ぶ金がほしいので喜んで収賄する。収賄というのも体裁が悪い表現なので、兵士による自発的徴税とでも言い換えるといいかもしれない。
現地民にとって、軍票をかき集めて占領軍の兵士に贈賄し、占領軍の兵士を自由自在に動かして、虎の威を借る狐となり、占領地における社会的地位を向上させるというのが、1つの出世方法である。占領軍が健在なうちは、軍票は占領地において多いに需要がある。占領軍が崩壊すると、軍票は完全に価値を失う。
このように、軍票というのは、権力者である占領軍の兵士たちの自発的徴税権(生々しい表現で正確に言い換えると、収賄願望)を消滅させるものである。簡単に言い換えると、おっかない占領軍兵士の機嫌を良くさせるための道具である。このため、占領地の現地民のみんなが欲しがるようになり、軍票は占領地で流通した。
宋銭の記事の『日本における宋銭定着の原理』の項目にも、本項目の考え方を敷衍した説が記述されているので、参照されたい。
※誰かが学術論文・書籍などで本項目と同じような論説を披露している場合、掲示板までご一報ください。
さまざまな軍票
日本の軍票
日本において初めて使われた軍票は、1877年の西南戦争において西郷隆盛率いる反乱軍が占領地で使用した西郷札である。
1894年の日清戦争において、日清戦争軍票が発行されて支給されたが、ほとんど使用されなかった。このため、希少性が極めて高く、古銭収集家によって高値で取引されている。清帝国や朝鮮半島で使用することを想定し、額面金額は清帝国の「両」で表示されていた。デザインは、1872年に発行された明治通宝という政府紙幣と同じように、タテ型である。明治通宝風のタテ型デザインは、長い間引き継がれていく。
1904年の日露戦争において、日露戦争軍票が発行された。日本の「円」が額面金額で、表面には「銀一円」などと書かれていた。この当時の日本円は銀塊との交換を保証していたのである。裏面には中国語で「此票一到即換正面所開銀銭」と書かれる他に、ハングルでも同様の文が書かれた(画像)。
1914年の第一次世界大戦の局地戦である青島出兵において、青島出兵軍票が発行された。日本の「円」が額面金額で、表面には「銀一円」などと書かれ、銀塊との交換を保証する兌換銀行券と交換できた。また、ドイツの租借地域である青島にはドイツ軍とドイツ民間企業がいたので、ドイツ人が読めるように「1 yen in silver」と英語で表記されていた。裏面には中国語で「此票一到即換正面所開銀銭」と書かれた(画像)。希少性が高く、古銭収集家によって高値で取引されている。
1918年のシベリア出兵において、シベリア出兵軍票が発行された。日本の「円」が額面金額で、表面には「金一円」などと書かれ、金塊との交換を保証する兌換銀行券と交換できた。軍隊の活動地域は満州とシベリアなので、中国語とロシア語が書かれている。裏面は「此票一到即換正面所開日本通貨」という表記に変わった(画像)。
1937年の日華事変(日中戦争)において、日華事変軍票が発行された。最初のうちは明治通宝風のタテ型デザインだったが(画像)、途中から日本銀行券風のヨコ型デザインに変わった。古くなった日本銀行券を引っ張り出し、それに赤線の打ち消し線を入れるという急ごしらえの軍票もある。日本の「円」が額面金額で、表面には「一円」などと書かれた。当時の中華民国は統治能力が低く、日本円が通用する地域が広かったのである。1931年に日本銀行が銀行券と金塊の交換、すなわち兌換を停止していたので、日華事変軍票はすべて不換紙幣である。「日本通貨と交換する」という文章は書かれなくなった。
1941年12月8日になるとアメリカ・イギリス・オランダに対して宣戦布告し、大東亜戦争(太平洋戦争)が始まった。それに応じて、様々な現地通貨を額面金額にした大東亜戦争軍票が発行された。1945年に大日本帝国が降伏して大東亜戦争軍票の交換債務が問題となったが、1951年に署名され1952年に発効したサンフランシスコ講和条約で、「戦勝国は、日本に対する賠償権は個別に交渉すべし」と書かれ、大部分の国々が賠償請求権を放棄したので、日本政府は現地に残る大東亜戦争軍票に関する交換義務から解放された。「敗戦国に賠償責任を負わせると、その敗戦国が再度戦争するようになる。第一次世界大戦にドイツに賠償責任を負わせたせいで、ドイツが第二次世界大戦に突き進んだ」という認識が各国に広がっていたとされる。
米国の軍票
第二次世界大戦の最中に、米国を含む連合国は、Allied Military Currency(AMC)という軍票を発行した。
第二次世界大戦の沖縄戦のあと、米軍の一部隊は、久米島で久米島紙幣を発行した。単位は円だった。
第二次世界大戦のあと、米軍は日本本土や沖縄でB円という軍票を使用した。本土ではすぐに使われなくなったが、米軍の軍政が敷かれ続けた沖縄では1958年まで使われた。単位は円だった。
第二次世界大戦が終わってからベトナム戦争のころまで、米国はMilitary payment certificate(MPC)という軍票を発行した。額面金額は現地通貨ではなく、世界通貨としての地位を確立していた米ドルだった。
関連リンク
Wikipedia記事
- 軍用手票
- 西郷札
- 大東亜戦争軍票
- 久米島紙幣
- B円
- Allied Military Currency(AMC) ※米軍などの連合国軍が使用していた軍票
- Military payment certificate(MPC) ※米軍が使用していた軍票
コトバンク記事
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