転売厨とは、転売目的で購入した商品をヤフオク等で専業、または副業として転売する者達を言う。転売バイヤーとも。意味合いとしては流行に乗ってどう見ても商品が少数(初期生産も含め)で流れ的に希少なものを対象とした者のことを指す。
※発売後に時間がたって希少価値が出ているものを探す瀬取りとは異なる。
概要
高価で人気なゲーム機やDVD・BDレコーダー等を転売目的で購入して高値で転売する行為が主である。
この行為は店側にはいい条件とも取られるが、一般消費者に対して購入の機会を削ぐ事にも為りかねない事と、近年韓国朝鮮系・中国系の犯罪組織が転売を通じて犯罪資金を荒稼ぎするケースが多々見られ、こちらの意味でも忌み嫌われる。
また上記のような高価な家電製品やゲーム機以外にも、最近流行りの物品や限定物のグッズ等が大量に転売されることもある。人気ゲーム・アニメの限定版もしくはその特典が、その商品の発売日にヤフオクで転売される、といったことはよく見る光景である。(売れたか否かは別として)
因みに昔ゲームの中古販売を巡って著作権法違反に当たるとするメーカー側と中古ショップとで対立があった経緯がある。中古ショップ側に譲歩案があったが、メーカー側が拒絶し、メーカー側の敗訴となる結果で幕を閉じた。ただこの問題は中古売買であり、転売とは少し性質が違うものである。
昨今の中国人観光客等による「爆買い」も実は大半が転売屋である、自国(ここでは中国)製の製品に対する信用がなく、日本人以上に日本製信仰があると言われているかの国では、中国本土で「日本製」を買っても偽物の可能性があるため、わざわざ日本に来てまで日本製を買うわけであるが、この際に円高是正に伴い転売屋の利益が出るようになったため、生まれるようになったのである。
もちろん最初から転売目的で入手したわけでなく、抽選で自分の目的で無いものが当たった、ランダム入手で余分に手に入ってしまった、何かの拍子で手に入った場合、ヤフオクで売るのも転売である。近年ヤフオクやメルカリなどオークションサイトで素人でも簡単に売買できるため、個人レベルで物が欲しい人に流通できるというプラスの面を持つ。転売自体誰でもできる行為であり、転売で購入しても問題ないと思っている人がたくさんいるのも事実である。
上記のような転売は特に問題は無い。欲しい人がお金以外にかかるコストをお金で解決することができるようになるので需要者にとってはメリットである。商品の手に入る方法が増えることは経済にとっても望ましいことである。問題は意図的に少数の物を買占めて値段を本来かかるコスト以上に値段を吊り上げる買占め転売である。少数かつ需要は大きい商品で発生しやすい。代表的なものはコンサートなどのチケットである(※コンサートやスポーツ・お笑いライブ等のチケットは表示価格を超えて転売することが原則禁止となった。チケット不正転売禁止法を参照)。
悪質な転売を無くすためには
悪質な転売屋を無くすためにするべきことは何か?ただ念仏のように転売屋死ねといったところで転売屋はなくならない。平和平和と念仏のように唱えていれば平和になるわけではないのと同じである。また、実際にどうしても直接買いにいけない人にとってはメリットでもあり、そもそも一般的な小売と明確に区別するには困難を極める。
強権的な排除は法的に難しく、例外はあるものの(銃刀法で規制されてる銃及び刀剣類や麻薬取締法で規制されている大麻覚醒剤が代表的な例である)転売屋自体を包括的に取り締まることは法的整合性から言っても不可能である。安く仕入れて高く売るという行為自体はそもそも資本主義経済の基本中の基本であるからである。更に言えば資本主義の根本原則として金を使ったものが正義(誤解されやすいが金を持っているものが正義ではなく、使ったものが正義である)というものがある。そして市場経済では欲しいと主張する場合、その要求の強さを示すには金額でしか示す事しかできず、いくら声を上げて欲しいと叫んでもお金を出さない人には権利も与えられないのが市場である。
資本主義国家を生きる我々がすべきことは、資本主義社会においてどうやって悪質な転売屋を無くすべきか、こういう話題だからこそ極力感情論を排除した建設的な議論をするべきなのである。十把一絡げに転売=悪だと論じても、解決することはない。
転売屋が生まれてくる原理は、販売している値段を払う能力があって、買いたいと言っても実際販売している所で売買契約を結ばなければ手に入れることができないように、あらゆる商品は入手するのに代金以外に時期、時間、労力、運が必要であり、それらがどのくらいの負担であるかは個人によって違う。それらをクリアできないがそれらを金銭で解決したいという需要者がいて、その商品を入手する能力を持った人間が商品を入手して需要者の要望に応えるから転売屋が生まれるのである。要は商品の入手が難しければ難しいほど転売屋は生まれるのである。
さらにいうと物の価値というのは人によって違う。人によっては大枚はたいてでも欲しいという人もいればタダでもいらないという人もいる。店頭販売ならそこまで行く交通費、場合によっては服代や食事代、宿泊代まで考慮しなくてはならない。店頭価格だけの出費で買える物は実はほとんど無い。正しい値段というのは人によって違うのが経済社会なのである。
欲しいが買えない、店頭販売の値段よりも遥かに高いがそれでも欲しい。運の悪さを金で解決したい。という需要が存在する限り、いかに感情的に批判したところで利害が一致している以上転売屋の需要はなくならない。極端な話一日早く手に入る、1キロ余分に移動せずに済むというだけでも転売屋は成立する。
高い需要があるものを適切な量と購入機会を用意しなかった結果、需給バランスが崩れたことにより価値が高騰し、結果的に値を吊り上げる悪質な転売屋が生まれることになるわけである。売り手が適切な購入機会と量を用意すれば値を吊り上げるだけの転売屋は起こりにくいのである。
購入する時間、窓口を多く増やすのが有効な手段である。実際転売される物の大半が購入できる時間と場所が限られていて、例えその場にいて購入の意志を持っていても長時間の待ち時間を必要とし、それにもかかわらず買えない場合がある物が大半である。それが困難であればあるほど転売についてその労力と時間、運を追加料金として転売することが正当化され、それを支持する購入者が後を絶たない。いつでも買えてかつ、窓口が多ければ市場原理が発生し、転売のメリットが薄くなるのである。購入の機会を増やす方法は別に生産者である必要ではなく商品さえ持っていれば実行ができる。つまり悪質な転売を無くすには転売する人を増やすという逆転の発想である。恐らく転売屋が一番危惧するやり方である。
また、アメリカンフットボールのNFLなど、諸外国ではある程度販売元が転売屋を容認・管理して転売屋の利益の一部を自分たちがもらうシステムも行われている。ただ、これは転売屋に対する敗北宣言と言う批判もある。スーパーボウルの性質上致し方ないのかもしれないが…
そもそも期間限定や個数限定に対して過剰な需要をしないという意識改革も対抗策としてありうる。現在恒常的に転売で問題になっているのは嗜好品の類であり、生活必需品ではない。何でもかんでも限定とかここでしか買えないとかの文言に惑わされて過剰な需要は慎むべきである。数ヶ月もしたら話題にもならないグッズの一つでしかないものが大半で冷静に物の価値を判断することが重要である。
現状、悪質な転売屋を無くすために我々買い手が出来る手段は少ない。売り手側が自分たちの価値の過小評価に気づき、適正な価格、あるいは適正な数量を生産するようなノウハウが蓄積されるように祈るしか無いのかもしれない。
転売を議論するにあたって知って欲しい知識
昨今様々な場所や状況で転売が発生することにより、ネットでも転売についての議論が起こっているが、結論ありき、感情が先走っている、知識不足により結論が出ず、議論が堂々巡りを繰り返している事がほとんどである。そこでここに少ないながらも転売を議論するにあたって知っておきたい知識を書く
転売の意味を辞書でひくと「買った物を、そのまま他の人に売ること」となり、とにかく物を買って売れば転売となる。つまりコンビニでも商社だろうと転売の定義に入り、買った値段と売った値段は関係が無く、また売る場合に対価がお金である必要が無い。転売を撲滅すると主張することは自動車事故が起こるから自動車を無くせと主張していると同義となり、現代社会どころか人間社会において不可能である。必ず、どのような種類の転売について議論するか前もって決めるべきである。
・定価はもうほとんど無い
よくある議論の一つに「この商品が定価以上で売られている。もしくは定価の○倍で~」という話があるが実はメーカーは一部の商品を除き、定価という言葉を用いて商品を販売をしていない。「定価」は値下げや値上げを認めない定まった価格とみなされるので公正取引委員会からこの表現をあまり使わないようにとされている。(例外は書籍、新聞、CD、タバコ)現在ではメーカーは「希望小売価格」「オープン価格」という言葉を用いている。前者は文字通り、小売にこの値段で売って欲しいと希望する価格であり、その値段に法的拘束力が無い。そして後者は出荷価格だけを決めて販売価格は完全に販売側の裁量に任すという意味である。つまり、この商品の値段が何円である。ということは誰も普遍的に決められる権限が無い商品がほとんどである。あくまでも相場であり、それはいくらでも変動することを頭に入れるべきである。
転売議論の際によく出てくる「古物商許可証」転売するには古物商の許可が必要だと主張する人が多くいるが転売する際に必ず古物商許可証が必要になるわけではない。ということを頭に入れて欲しい。古物商許可証は文字通り古物「商」になる際に必要な許可である。古物商かどうかは転売自体を「業」として行っているかどうかであって利益性、継続性の両方の視点からみて「業」かそうでないかを判断される。どのような基準であるかは省略するが少なくとも月に数回、数十万程度の売上では古物商の対象にはならないことは確かである。
ある意味最も議論で複雑で相容れず対立する要素でもある。何故その商品にその価値をつけるのかは人によってバラバラである。東京でしか買えない500円の商品を1000円上乗せして個人で転売した場合、東京にいる人にとっては3倍も値上げしてぼったくりで許せないと思うが大阪に住む人間にとっては交通費を勘案してとても格安で買えることになる。両者で安い高いを議論しても結論が出ないのは当然である。さらに特定の人にとっては数十年捜し求めてたものとなると十倍の値段でも買う価値を見出す可能性もある。また、例え全国展開のコンビニでの商品でも都市部の人にとってはどこでもいつでも誰でも買える商品にしか思えないが、どうしても日本全国を見ると展開していない部分が存在してしまう。そこに住む人にとってはそのコンビニの商品は普通では買えない特殊な物である。他にも仕事で休日もしくは平日には買いにいけない。足が悪いなど交通手段が無く外に買いにいけないなど、「誰にでも買える」というのは自分だけの視点でしかない。しかし、商品をお金を出して欲しいという権利は誰にでもある。公式の供給体制では自分には手に入れられない。そこで個人で仲介する転売などで入手する方法で商品を手に入れる。公式から簡単に商品を買える立場にいる人間が買えない人間に対して「転売を利用するな」と主張しても受け入れられるはずもなく、並行線を辿るしかない。互いにそれぞれの価値観、常識を考えて議論しなければ解決策は出ない。
関連項目
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