迅鯨(じんげい)とは、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ』に登場する、大日本帝国海軍所属、迅鯨型潜水母艦1番艦<迅鯨>をモチーフにしたキャラクター(艦娘)である。
はい提督、私、いけます。潜水母艦迅鯨、出港です。(概要)
迅鯨は2020年梅雨&夏イベント『侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦』の2面目「瀬底島、その先へ――」のボスドロップとして実装された艦娘。潜水母艦としては大鯨に続く2人目である(祥鳳(剣埼)と瑞鳳(高崎)も史実では潜水母艦だった時代があるが、艦これでは軽空母なので除外している)。
この「瀬底島、その先へ――」のタイトルは、迅鯨が沖縄近海で雷撃を受けて航行不能になり、瀬底島まで曳航されるがそこで空襲を受けて力尽きたという史実を踏まえ、それを乗り越え先に向かうというIF展開から付けられたと思われる。
そんな迅鯨の姿だが、服装は大鯨と同様に補給物資を満載。通常時は甲板柄の外套を纏っているので良く判らないが、中破時には大鯨に負けず劣らずの豊かな胸部装甲を伺うことができる。なお通常時でも、短めのエプロンスカートとニーソックスとの間の絶対領域がむちむちで(以下憲兵による検閲)さすが潜水母艦ということか。
初登場(ドロップ時)から「提督、貴方に逢えて良かった」というところから、新たなる提督LOVE勢のメンバー入りかと噂されている。落ち着いた物腰から受ける歳上感と童顔とのギャップもまたヨシ。放置時のセリフからヤンデレの気があるかもとか言われているが、そんなことはない……はずなのだが、なぜか二次創作ではヤンデレにされることが多い。解せぬ。
中破すると14cm連装砲+機銃を模した銃(ただし破損している)を右手に持つが、これは史実の迅鯨が実際に14cm連装砲2基を装備していたことから。初期装備としても14cm連装砲を持ってくる(改に改造すると、さらにもう一つ持ってくる)が、実装当初は中口径主砲が装備できないという不具合があって、初期装備なのに外すと二度と付けられないという状況が起こっていた(実装当日のオンメンテにて解消済み)。なお、先輩の潜水母艦である大鯨には中口径主砲は装備出来ないが、これも史実からきている(大鯨に装備されたのは12.7cm連装高角砲だった)。
さらに、改造後は水上爆撃機も搭載可能になる(搭載機数は2)。前述の通り中口径主砲も装備できるところから、火力では大鯨に勝っている。潜水母艦としては大鯨をしのぐステータス持ちと言える(まぁ向こうは改造すると空母になるわけだが)。
なお、自己紹介や時報で妹の長鯨について触れていたが、実装から1年ちょっと後にはその長鯨も実装され、存在しない妹を語る姉からは脱却したが、今度はその妹がやたらと姉について語るので、逆に(提督に夢中なせいで)妹には冷たい、という悪評を被る羽目に。解せぬ。
潜水艦達のお世話はお任せください。私、潜水隊の母艦ですから。(史実)
時は大正時代。海軍ではイケイケな八・八艦隊計画(戦艦と高速戦艦を8隻ずつ持てばこれ最強じゃね(なお、お金のことはあまり考えてない))をぶち上げた頃。
潜水艦が高性能化し航続距離が長くなるにつれ、一々母港に戻るのが無駄な状況も増え、現場で補給・軽修理を行い、その間過酷な任務と窮屈な潜水艦内から乗員を解放し休ませるための母艦の必要性が判明してきた。潜水母艦の誕生である。
当初は他の艦種を改造して間に合わせていたが、やはり専用の艦があった方が……ということで、八・八艦隊計画にどさくさ紛れに新型の潜水母艦2隻の建造を紛れ込ませた。その後、ワシントン軍縮条約により八・八艦隊計画は中止となったが、潜水母艦は(条約に含まれなかったこともあり)そのまま建造されることになった。
こうして誕生したのが、迅鯨型潜水母艦である。全長は125mと吹雪型と同じくらいで、後に登場する大鯨型の半分くらいしかないが、当時の潜水艦の母艦としてはこれくらいで充分であった。なお、初期の空母同様にまだ完全に分業することは考えていなかった(最低限の自衛戦闘を考慮していた)ためか、14cm連装砲を2基備えている。
迅鯨型潜水母艦の1番艦〈迅鯨〉は、 1922年(大正11年)2月16日に三菱長崎造船所にて起工(ちなみに同時起工された艦に5,500t級軽巡〈川内〉、神風型駆逐艦〈朝風〉がある)。 1923年(大正12年)5月4日に進水、同年8月30日に竣工し、佐世保鎮守府所属となった。その直後である9月1日に発生した関東大震災の救援任務が〈迅鯨〉の初仕事であった。
1924年(大正13年)12月1日の通達にて新艦種「潜水母艦」が誕生、〈迅鯨〉は正式に潜水母艦に分類され(ちなみにこれ以前は「水雷母艦」とされていた)、旗艦〈北上〉率いる第一潜水戦隊に所属することになった。その後は主に中国方面で活動を続けた。
しかし、年号が昭和に変わり、さらに大型・高性能化する潜水艦は迅鯨型潜水母艦の能力に余るものになっていき(海大型潜水艦の浮上航行速度が20ノットを超えるようになり、最高で16ノットしか出せない〈迅鯨〉では追いつけなくなった。そもそも迅鯨型潜水母艦は呂号潜水艦用で伊号潜水艦に対しては能力不足であった)、艦齢15年を越えることもあって、新型の潜水母艦〈大鯨〉、さらに補給艦改装の潜水母艦〈剣埼〉〈高崎〉の登場に伴って〈迅鯨〉は一線を退き、練習艦として余生を過ごすことになった。
……はずだった。
しかし、太平洋戦争が迫るに従い、そんな余力も無くなり(前述の〈剣埼〉と〈高崎〉が軽空母〈祥鳳〉〈瑞鳳〉に改造されたこともあって)、〈迅鯨〉は改めて旗艦〈鹿島〉の率いる第四艦隊配下の第七潜水戦隊の旗艦として南方に赴くことになる。
とはいえ、呂号潜水艦の整備能力しかない〈迅鯨〉に出来ることは限られており、1943年(昭和18年)になると、主に内地で故障艦や未成艦の曳航を行うという作業に従事することになる(伊号潜水艦などの母艦としては、商船を改造した特設潜水母艦がその役を担うことになった)。著名なところでは、潜水艦の雷撃を受けた〈間宮〉を呉に、未成艦で空母に改装することになった重巡〈伊吹〉を呉から佐世保に回航している。
なお、〈大鯨〉も空母〈龍鳳〉に改装されたため、結局最初(設計時)から最後まで潜水母艦であったのは、迅鯨型の2隻だけとなった。
いよいよ戦争末期の1944年(昭和19年)。〈迅鯨〉は沖縄と本土の間の輸送任務に従事する。学童疎開にも活躍し、数回に渡って500人余りを本土に送り届けていたが、9月18日、佐世保を出航して沖縄に向かう途中で米バラオ級潜水艦〈スキャバードフィッシュ〉の雷撃を受けて航行不能になり、同型艦で同行していた潜水母艦〈長鯨〉に曳航されて沖縄の瀬底島までたどり着く。沖縄本島とは目と鼻の先にあるこの小島は、外海が荒れたときの避難場所だった。
海軍では〈迅鯨〉を佐世保まで曳航して修理するつもりはあったが、旧式の潜水母艦に手を掛けていられるほど余裕がない状況に追い込まれていたのもまた事実であった。
そして10月10日、米軍による沖縄大空襲が起こり、瀬底島に身動きも取れないまま停泊していた〈迅鯨〉も攻撃を受け、大破着底。乗員135名が戦死した。
戦後、1952年(昭和27年)2月から浮揚作業を開始、7月に浮揚した後、9月に北九州に回航され、解体処分となった。
ちなみに、「迅鯨」の名を持つ艦としては二代目。初代は明治時代の練習艦。
そして時は流れ、平成を越えて令和の時代となった2022年10月12日、たいげい型潜水艦3番艦が進水を迎え、「じんげい」と名付けられた。二代目「迅鯨」が大破着底してから実に78年振りの、三代目の誕生である。
関連動画は大切です。私が、お持ちしますね。
あの子達も、喜びます。(関連静画)
嬉しい……貴方に会えて、良かった。(関連項目)
- 艦隊これくしょん~艦これ
- 潜水母艦
- 第四艦隊(開戦時、艦これ実装艦のみ記述)
- タニベ艦隊
キラー・ホエール(艦これ)愛が重い太ぇって!!!太くねぇって!!!!
2020年梅雨&夏イベント【侵攻阻止!島嶼防衛強化作戦】 新規実装艦娘 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
脚注
- 9
- 0pt