近代(英:modern,modernity)とは、歴史における時代区分の一つで、近世よりも後で、現代よりも前の時代を指す。日本語の「近代」は、元々は英語の「modern」の訳語として考案された和製漢語である。
概要
西欧では、15世紀~16世紀において、㈠ルネサンス㈡宗教改革㈢大航海による世界の拡大と一体化㈣科学技術の発展㈤商品経済の発達を始めとした政治経済的社会変化、という歴史的体験をした。この世紀においてすでに時代区分として、三分法が取られ、「古代(Antiquity)」「中世(middle ages)」「近代」という概念が提唱された。宗教的形而上学的世界観、社会完、人間観を特徴とする中世を、古代と近代に挟まれた否定されるべきものと位置づけられた(暗黒時代)。近代を中世とは対照的特徴を持つ時代と捉え、その先駆を古代ギリシア時代(古典古代)に見る、という立場である。
近代という概念は、成立当初から、少なからず「現代」を含みつつ、ある程度の時間的な厚みを持っている。
社会学では、前近代(プレモダン)-近代(モダン)-脱近代(ポストモダン)を、緩やかに捉え、現代を成り立たせる近代というものを分析する。その場合、精神史的な見方(ルネサンスや宗教改革)と社会史的な見方(産業革命やフランス革命)を合わせて考える。
“非-中世”としての近代
中世との対比としては、主に7点挙げられる。中世的なものの否定、近代的流れを良しとする価値観は、18世紀の啓蒙主義の時代、市民革命の時代、さらに19世紀から20世紀にまたがる産業革命と資本主義社会の理念とも連なり引き継がれた。
- 宗教的価値観と共同体的集団主義に埋没していた個人の自我の目覚めとその解放(権威主義の否定、個人主義)。
- 既成の価値観や秩序、命令に服するだけでなく、自我と理性を以て、それを疑い自分なりに獲得した合理的整合性を持った見方、考え方を獲得していくこと(合理主義)。
- 人間の生身の感覚感情を基本にして、物理的な外界を感知し思考する経験的実証的探求の方向を採ること。科学的世界観人間観を発展させていくこと(経験主義)。
- 世界的規模での交通交流の発達により、人類の一体性・連帯感が進む(普遍主義、資本主義)。
- 近代国家が出現し、封建的階層関係から離れた、国家への忠誠・愛着が生じる(愛国主義・ナショナリズム)。
- 人類の利益のために地球とその上にあるあらゆるもの、存在を利用とするエゴイズムが肯定される(人間中心主義、自由主義)。
- 人類という同じ種内部では、国家や階層、性別、人種などの障壁を取り払い、すべての個人は人間として平等である(平等主義)。
“反-近代”的見方
現代を含めて、近代は現在的(いま-ここ)という視野を持つ一方、静的ではなく動的な、変化ないしは進歩を含む概念である。故に、その変化については、何かしらの反感や抵抗がまま生じる(→保守主義の記事も参照)。特に、伝統や歴史的特徴と変化が衝突する場合、精神的な葛藤が生じる。
また資本主義的矛盾、同一国内や南北格差のような地域格差などの格差社会化、近代が理想としていた諸原理が互いに両立困難であることが、明らかになってくると(自由と平等、個人主義とナショナリズムなど)、近代の概念の再検討、問い直しが、人類の未来の生存の危機とも絡めて行われるようになってきた。
歴史学としての近代
近代は、かつては、東ローマ帝国がオスマン帝国に打倒された1453年と見なされていた。これは、古代の遺産である東ローマ帝国が、オリエントであるオスマン帝国に倒されたという衝撃、イスラム圏に保存されていた古代ギリシアの古典古代についての文献などが西ヨーロッパに逆輸入されるといった、ルネサンスの人文主義隆盛のきっかけになったというものが根拠となっている。
今日では、フランス革命の勃発から近代憲法・国民国家と資本主義といった政治経済・国家のあり方が現れた18世紀末期から19世紀前半を近代の本格的な始まりとしている。
日本史としての近代
日本では、織豊政権が成立する安土桃山時代あたりから江戸時代の終わりまでを封建社会だったとして近世と捉え、明治維新後の中央政府の成立、大正デモクラシーを経て、第二次世界大戦以前の国家主義優位だった時代を近代と捉える。
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関連項目
近代と関わりの深いとされる概念
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