近藤真彦とは、「マッチさん」である。
概要
1979年10月に放送を開始した「3年B組金八先生」第1期でテレビデビュー。同じくジャニーズ所属で生徒役だった田原俊彦、野村義男とともにたのきんトリオと呼ばれ、大々的に売り出されていたが、実はたのきん名義での楽曲リリースは一度も行われていない。
「マッチ」の愛称も金八出演時につけられたもので、当時の髪型がマッチ棒を思わせるくらい短かったのが由来。以後、本名の「真彦」との親和性も相まって一気に定着した。
1980年12月に「スニーカーぶる~す」で歌手デビューし、翌1981年9月リリースの「ギンギラギンにさりげなく」を対象として日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得。田原とともにジャニーズ復権、また1980年代のアイドルポップ隆盛期を支えた1人として活躍した。
2011年現在、ジャニーズ事務所所属タレントの中では最古参にあたるため、近年では長男と呼ばれることもある。(ちなみに次男にあたるのが少年隊。以下、光GENJIの内海光司と佐藤アツヒロ、男闘呼組の岡本健一などが続く)
一方で1980年代後半からレーシンクドライバーとしても活動を開始。観客動員への貢献こそあったが、目立った成績は残していない。
1998年には、レーシングチームの監督として全日本F3選手権に参加。
2000年に自前のレーシングチーム「KONDO Racing」を設立し、フォーミュラ・ニッポンに参戦(ただし、2009年はリーマンショックからの経済情勢悪化もあって参加を見送った)。
2006年からはSUPER GTにも参戦し、09、10年の開幕戦優勝などもしているが、シーズンを通したタイトルにはまだ手が届かずにいる。
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