通字(とおりじ)とは、日本の特定の家系において、代々にわたって名前に用いられる字のことである。系字(けいじ)とも云い、また中国語では行系字(hángxìzì, ハンシーツー)と云う。
概要
戦国物のゲームや大河ドラマなどで、「なんか一族で似た名前の人が多いなー」と思ったことはないだろうか。
たいていの場合、それは「通字」のせいである。
例えば、伊達氏の系図を見てみよう。
このように、代々の当主に「宗」の字が含まれている。この「宗」が伊達氏の通字であると言える。
そこ、ゲシュタルト崩壊とか言わない。
通字が一つでないこともよくあることであり、嫡男のみに通字をつける家もあれば、たいていの男子に通字をつける家もある。
通字の成り立ち
日本で本名(諱)が漢字二文字の訓読みで一般化したのは平安時代の初めごろからであり、この漢風名は文化先進国である中国の影響を強く受けた風習である(ちなみにそれらに先駆ける奈良時代に、律令制下の国名が一律に漢字二文字の訓読みに改められている)。中国で二字の諱が一般化したのは南北朝時代(420~589年)以後で、中国での通字(輩字、輩次、輩数、字輩、行輩、班次、班行、班排、班派、班輩、班位、派名、派弟、派行、名次、系列字、輩行字、など様々な呼び方がある)は同世代の兄弟間で諱に同じ文字を共有することであった。
例えば、毛沢東の弟は「毛沢民」「毛沢覃」といい、兄弟間で「沢」の字を共有していることがわかる。また、「蘇軾」「蘇轍」の兄弟のように一字名であれば同じ部首を用いて名付けられることもあった。
中国は儒教の影響を受けており、違う世代で名前の文字を共有すること(祧字(tiāozì, ティアオツー))は長幼の序を乱すタブーとされ、ほとんど行われなかった[1]。
日本でも当初は兄弟間で漢字を共有することがよく行われた。例えば、藤原冬嗣の子供たちの名前を見てみよう。
※左から長男、次男、三男…
と、全員に「良」の字がついている。
と、今度は全員に「経」の字がついている。
更に藤原良房の養子となった藤原基経の子供たちの名前を見てみると、
と、「平」の字がついている。同世代間では文字を共有しているが、異世代間では共有していないことがわかる(異世代間で同じ文字を使っているものもあるが、それほど重要ではないように思われる)。
この通り、当初は中国と同じように兄弟間で文字を共有していたが、日本では異なる世代(例えば親子)で同じものを共有するということはあまりタブー視されなかったため、「先祖にあやかる」「血筋を明らかにする」「相続上の問題」などで異世代間での文字の共有も盛んに行われるようになった。
例
- 皇室 「仁」
- 伊勢平氏 「盛」
- 河内源氏 「義」「頼」
- 北条氏 「時」
- 足利氏 「義」
- 伊達氏 「宗」
- 毛利氏 「元」
- 千葉氏 「胤」
- 相馬氏 「胤」
- 後北条氏 「氏」
- 朝倉氏 「景」
- 日向伊東氏 「祐」
- 肝付氏 「兼」
- 三条家 「実」「公」「季」
- 久我家 「通」
これだけでなく、他にもいろいろあります。
関連項目
- 人名
- 偏諱
脚注
- *かなり珍しい例外として、王羲之の子供たち(玄之(長男)、凝之(次男)、渙之(三男)、粛之(四男)、徽之(五男)、操之(六男)、献之(七男))が挙げられる。彼らは父親の王羲之から「之」の字を受け継いでおり、更に兄弟間で共有している。これは之の字が道教の一派である天師道(五斗米道(正式には正一盟威道)に由来し、創始者の張道陵一族を天師と崇める。後世の正一道)の信徒であることを示す、など諸説あるが定説は無い。
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