連合赤軍とは、主に1970年代前半に活動した左翼過激派(新左翼)のテロ組織である。
概要
1970年代に学生運動の下火化の流れの中で先鋭化し、数々の暴動テロを引き起こした過激派の集団。
共産主義者同盟赤軍派(通称・赤軍派)と日本共産党(革命左派)神奈川委員会(通称・京浜安保共闘)[1]が合流してできた。
両派とも各地での銀行強盗や都市テロで以前から悪名を轟かせていた組織であった。
だが赤軍派はよど号事件での幹部の国外逃亡や大菩薩峠事件での構成員の逮捕で急速に弱体化、京浜安保共闘も武力はあるが体力が無い組織であり、銀行強盗で得た金を有する赤軍派と銃砲店強盗で得た銃と弾を有する京浜安保共闘のお互いの利害の一致により、両派閥は合流することとなった。
公安の捜査網が狭まったこともあり、毛沢東思想に感化された者の多かった連合赤軍は毛沢東の戦術に倣い、活動の拠点を都市部から各地の山岳地帯に建設された「ベース」と呼ばれる拠点に移して山の中でゲリラ戦術を想定した独自の軍事訓練を行いはじめる。
が、双方の主導権争いや山中という閉鎖空間での構成員内の人間関係の不和から「総括」と称する自己反省行為が激化・私刑化し、71年末から72年2月にかけて榛名山・迦葉山・妙義山の各ベースで幹部2名を中心とする魔女裁判じみた「総括」が開始され、結果的に構成員12名が殺害された。(山岳ベース事件)
その後ベースに捜査の手が及んだ事を察知し長野県へと逃亡した構成員5名が、道に迷って軽井沢の別荘地に出た所をで警察に発見されてしまう。
この5名は別荘地内の会社保養所「あさま山荘」へ押し入り、管理人の妻を人質に9日に渡って立てこもったのであった。(あさま山荘事件)
結果的に山岳ベース事件での12名の私刑、前述の幹部2名とあさま山荘事件の5名を含む生存者の逮捕で連合赤軍は壊滅したのであった。
このうち1名は2年後に発生したクアラルンプール事件での超法規的措置により釈放され、国外脱出後に日本赤軍に加盟。現在も国際指名手配されている。
関連動画
関連商品
関連項目
脚注
- 3
- 0pt
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E9%80%A3%E5%90%88%E8%B5%A4%E8%BB%8D