連署とは、以下のいずれかを指す。
この記事では2を解説する。
概要
要約すると副執権である。執権とともに幕府の公文書に署名をすることからこの名がつけられた。一定期間不在だった時期が複数回あったものの、北条泰時によって1225年に引付衆とともに置かれてから幕府の滅亡まで続いていくこととなる。
歴代連署
- 北条時房
- 北条時政の息子。大仏流、佐介流北条氏などの祖。
- 時政の三男であったが治承・寿永の乱のころは幼く、2代将軍:源頼家の側近を務めていた若い世代である。
- 承久の乱の際甥の北条泰時とともに一軍の将となり、勝利後は六波羅探題を共に務める。
- そのため北条義時の急死後もともに鎌倉に下り、彼を支える連署となったのであった。
- 北条重時
- 北条義時の息子。極楽寺流北条氏の祖。
- 初見は4代将軍:九条頼経の側近としての活動だったが、同母兄である北条朝時の名越流と異なり執権派につく。
- 六波羅探題としての長年の活動後、若年の北条時頼を補佐するために連署となった。
- 北条政村
- 詳しくは執権のページで。
- 北条時宗
- 詳しくは執権のページで。
- 北条政村
- 唯一の再任。詳しくは執権のページで。
- 塩田義政
- 北条重時の息子。極楽寺流北条氏傍流。
- 二月騒動以降の北条政村の死後連署につくが、蒙古襲来の重圧に耐えきれなかったのか、出家遁世してしまった。
- 普恩寺業時
- 北条重時の息子。極楽寺流北条氏傍流。
- 兄:塩田義政の出家遁世後、これに代わる存在がいなかったため極楽寺流を支え、北条時宗によって6年間連署が置かれなかった後、この座に就いた。北条時宗、北条貞時の二代を支える。
- 大仏宣時
- 北条時房の孫。大仏流北条氏。
- 幕府の内乱を乗り越え、もっとも傍流であった大仏流の家格上昇に努めた。
- 北条時村
- 北条政村の息子。政村流北条氏。
- それまで六波羅探題は極楽寺流が代々務めてきたにもかかわらず、蒙古襲来の対策から彼が任じられた。
- 鎌倉帰還後は連署を務めるが、嘉元の乱で暗殺されることとなる。
- 大仏宗宣
- 詳しくは執権のページで。
- 北条煕時
- 詳しくは執権のページで。
- 金沢貞顕
- 詳しくは執権のページで。
- 大仏維貞
- 大仏宗宣の息子。大仏流北条氏。
- 六波羅探題として悪党対策に熱をあげたのち鎌倉に帰還し連署となるが、傍流の大仏貞直と争い、維貞の没後嫡流の座は貞直に奪われることになった
- 北条茂時
- 北条煕時の息子。政村流北条氏。ちなみに名前は「もちとき」である。
- 執権の赤橋守時とともに幕府最後のこの役職に就いた存在となり、鎌倉幕府滅亡に殉じた。
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関連項目
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