野球殿堂(日本)単語

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野球殿堂(やきゅうでんどう)は、日本野球界で顕著な活躍をした人物を称えるために創設された殿堂のことである。

概要

日本野球の発展に大きく貢献した人物の功績を永久に讃え、顕することを的に1959年に創設。

野球発祥の地であるアメリカ合衆国野球殿堂の範をとる形で創設された。

かつては後楽園球場の横に「野球体育博物館」として開館していたが、東京ドーム完成とともに同ドームに移転し、2013年から「野球殿堂博物館」に改称。

野球殿堂入りは野球選手や関係者にとって大変名誉あるものとなっている。

殿堂入りした人物は表リーフブロンズ製胸像額)を、野球殿堂博物館内の殿ホールに掲額され、永久にその名誉が讃えられる。また、賞金100万円とレリーフレプリカが贈呈される。

表彰条件

プレイヤー部門

プロ野球の現役を引退し、5年以上経過した者。その後15年間が選考対となる。
※ただし満65歳以上の者や故人は5年経過しておらずともよい。
選出委員
野球報道に関して15年以上の経験を持つ者。
選出方法
30人の補を選び、選出委員1名につき7人以内の連記で投票し、3分の2の有効投票があれば75%以上の得票者が選出される。
資格が剥奪されるケース
不祥事を起こした場合。江夏豊清原和博らがこれに該当する。
得票数が3%以下だった場合。こちらは引退後21年以上経過することで、エキスパート部門として再び資格を得られる。

エキスパート部門

監督コーチを退任後6ヶ月経過している者、又は21年以上前にプロ野球の現役を引退した者。
選出委員
殿堂入りした者、競技者表委員会の幹事と野球報道年数30年以上の経験を持つ委員。
選出方法
10人の補者を選び、選出委員が3人以内の連記で投票し、3分の2以上の有効投票で、75%以上の得票者が選出される。

特別表彰

アマチュア野球の競技者を対に、選手は引退後5年、監督コーチ審判員は引退後6ヶを経過している者。
プロフェッショナルアマチュアの組織または管理にかかわり野球の発展に顕著な貢献をした者、あるいはしつつある者。
選出委員
プロ野球役員および元役員、アマチュア野球役員、野球関係学識経験者。
選出方法
選出委員1名につき3名以内の連記で投票し、3分の2以上の有効投票で、75%以上の得票者が選出される。

野球殿堂歴代競技者表彰者

競技者表彰

年度 人物 通算成績・獲得タイトル記録・備考など
1960年 ヴィクトル・スタルヒン 通算303勝、シーズン42勝・通算83完封NPB記録
1961年 該当者なし
1962年 池田 プロ野球初代審判部長
1963年 中島治康 NPB史上初の三冠王
1964年 若林忠志 通算237勝。「七色変化球」と呼ばれた阪神エース
1965年 川上哲治 通算2351安打の「打撃の神様」。監督としてもV9を達成。
鶴岡一人 選手・監督として南海黄金時代を築いた「ドン」。監督としてNPB歴代最高の通算1773勝を挙げた。
1966年 該当者なし
1967年
1968年
1969年 苅田久徳 プロ野球創期の守備の名手。「投の沢村、打の藤村、守の田」と称された。
1970年 天知俊一 中日を初優勝・初日本一に導いた名将。
出川延明 プロ野球創期から長きに渡り審判を務めた名物審判
1971年 該当者なし
1972年 石本秀一 6球団で監督を努めた他、広島では初代監督を努め、資金難にあえぐチームのために資金集めにも奔走した。
1973年 該当者なし
1974年 藤村富美男 首位打者1回、本塁打王2回、打点王5回獲得の「初代ミスタータイガース」。投手としても34勝を挙げている。
藤本定義 5球団、29年間に渡り監督を努めた名将。巨人阪神両軍で揮を執ったことのある一の人物。
1975年 該当者なし
1976年 中上英雄
(藤本英雄)
巨人エースとして通算200勝シーズン防御率0.73・19完封勝利は歴代最高記録プロ野球史上初の完全試合達成者。
1977年 西沢道夫 投打で活躍した「初代ミスタードラゴンズ」。
水原茂 シベリア抑留を経験した後、選手・監督として活躍。巨人東映中日3球団で監督を21年努め、Aクラス19回の名将。
1978年 浜崎真二 2014年山本昌更新するまで64年間に渡り公式戦最年長出場記録を保持。監督評論家としても活躍。
松木謙治郎 選手・監督として戦前戦後阪神を支えた。
1979年 別所毅彦 通算310勝、シーズン47完投は歴代最多記録
1980年 大下弘 首位打者本塁打王3回・ベストナイン8回受賞のスラッガー。通称「バット大下」。
小鶴誠 1950年に51本塁打を放ち、NPB歴代最高のシーズン143得点・376得点・161打点記録。通称「和製ディマジオ」。
1981年 飯田徳治 南海黄金時代一塁手。通算1978安打ベストナイン5度選出。当時の日本記録である1246試合連続出場を記録殿堂入り年度に衣笠祥雄更新)。
1982年 該当者なし
1983年 三原脩 魔術師」の異名を持つ名将。監督通算1687勝、日本一4回。
1984年 該当者なし
1985年 荒巻淳 「火の玉投手」の異名を持つパ・リーグ初代新人王。通算173勝。
白石勝巳 プロ野球明期の守備の名手。「逆シングル白石
杉下茂 フォークボール武器沢村賞3回受賞した「フォークボール神様」。
1986年 該当者なし
1987年
1988年 金田正一 NPB歴代最多勝利投手にして一の400勝投手
長嶋茂雄 抜群のスター性を誇った「ミスタープロ野球」。新人時代~引退までの17年間連続でベストナイン受賞。監督としても日本一2度導いている。
西本幸雄 監督として8度のリーグ制覇を経験するも日本一には手が届かなかった「悲運の名将」。
別当薫 NPB初のトリプルスリー達成者。監督として優勝こそなかったが、19年もの長きに渡り揮を執った。
1989年 秀之助 セ・リーグ初代審判部長。選手としても盗塁王を1度獲得している。
野口二郎 2年連続防御率0点台はNPB史上一の記録。通算237勝。
野村克也 戦後パ・リーグ初の三冠王捕手監督としてヤクルト黄金時代を築くなど24年間で4球団の揮を執り、通算1565勝、日本一3回。
1990年 真田重蔵 ドロップボール武器ノーヒットノーラン2度達成の戦後の名投手
張本勲 NPB歴代最多3085本安打記録した「安打製造機」。
1991年 吉郎 厳しい導で明治大学東京六大学リーグ15回優勝に導き、多数のプロ選手を輩出。
筒井 審判として3000試合以上に出場。
牧野茂 巨人コーチとしてチームプレイを浸透させ、V9にも大きく貢献した名コーチ
1992年 坪内道典 NPB初の1000試合出場・1000安打達成者。
廣岡達朗 底した「管理野球」で低迷していたヤクルト西武日本一に導いた。選手としても守備の名手として知られた。
吉田義男 麗な守備でファンを魅了した「牛若丸」。監督としても阪神優勝に導いている。
1993年 稲尾和久 NPB記録シーズン42勝を挙げた「腕」。通算276勝。日本シリーズで6試合登板・4完投・4連勝という獅子の活躍で「神様様・稲尾様」と呼ばれた。
村山実 通算222勝の「二代ミスタータイガース」。闘志を剥き出し、全力で投げ続ける姿から「ザトペック投法」と呼ばれた。
1994年 王貞治 世界記録となる868本の本塁打を放った「世界本塁打王」。高く片足を上げる打法から「一本足打法」と呼ばれた。本塁打王15回、打点王13回、MVP9回、ベストナイン18年連続受賞。監督としても2度の日本一
与那嶺要 走攻守三拍子った日系アメリカ人選手。ベストナイン7回、首位打者3回獲得。アメリカ仕込みの走塁技術を日本に持ち込んだことでも知られる。監督としても中日を1度優勝に導いている。
1995年 石井吉郎 アマチュア球界の強打者として名を馳せ、全日本の監督を長きに渡って務めた。
杉浦忠 パ・リーグ史上初の投手5冠を達成した「魅惑のアンダースロー」。日本シリーズ4連投・4連勝も記録している。
1996年 衣笠祥雄 NPB歴代1位世界歴代2位の2215試合連続出場記録を持つ「鉄人」。
藤田元司 現役時代は巨人エースとして通算119勝。現役引退後は監督として巨人を4度の優勝、2度の日本一に導く。スマートなメディア対応から「球界の紳士」とも呼ばれた。
1997年 大杉勝男 史上初めて両リーグ1000試合出場・1000安打を達成したスラッガー。
1998年 該当者なし
1999年 古葉竹識 現役時代は盗塁王2度獲得の俊足の内野手引退後は広島監督として同球団初の優勝日本一へ導き、広島黄金時代を築いた。
近藤貞雄 監督として投手分業制をいちく導入し、中日優勝へ導いた。
中西太 本塁打王5度獲得の「怪童」。打撃コーチとしても数多くの大打者を育てた。
広瀬叔功 南海黄金時代リードオフマンとして活躍。通算596盗塁は歴代2位記録
2000年 米田哲也 プロ野球歴代2位の949試合登板の「ガソリンタンク」。阪急エースとして活躍し、NPB歴代2位350勝を挙げた。
2001年 小山正明 抜群の制球力を武器に活躍した「精密機械」。NPB歴代3位の通算320勝。
根本陸夫 スカウトやフロント職で辣腕をふるい、西武ダイエー黄金時代を築いた「球界の寝業師」。
2002年 鈴木啓示 近鉄エースとして通算317勝を挙げた「」。四球78回はNPB記録。通算被本塁打560本は世界記録
田宮謙次郎 通算7度のシーズン打率3割えを達成した名選手。
福本豊 NPB歴代最多となる通算1065盗塁記録の「世界盗塁王」。
山内一弘 通算2271安打打点王4度獲得の大打者。
2003年 上田利治 阪急黄金時代監督として優勝5回、うち日本一3回の名将。
関根潤三 投手として通算65勝、野手として通算1137安打記録した二刀流
2004年 仰木彬 近鉄オリックス監督として一時代を築き、その采配を「仰木マジック」と称された名将。野茂英雄イチローを育て上げた手腕も高く評価されている。現役時代は守備の名手として活躍。
2005年 村田兆治 マサカリ投法」と呼ばれたダイナミックな投球フォームでロッテエースとして活躍。通算215勝、2363奪三振。大怪からの復活劇も話題となった。
森祇晶 巨人V9時代の正捕手として活躍した「V9の頭」。監督として西武黄金時代を築き、優勝8回、うち日本一5回の名将。
2006年 門田博光 NPB最年長となる40歳でのMVP受賞の「不惑の大砲」。通算打率打点本塁打いずれの部門でもNPB歴代3位。
高木守道 走攻守三拍子った「ミスタードラゴンズ(二代)」。バックトスを始めとする麗な守備で60~70年代を代表するセカンドとして活躍。
山田久志 阪急エースとして通算284勝を挙げたアンダースロー。「史上最高のサブマリン」とも。
2007年 梶本隆夫 米田哲也とともに長らく阪急エースとして活躍。通算254勝。
2008年よりプレーヤー部門に改称
2008年 堀内恒夫 巨人V9時代のエースとして活躍した「悪太郎」。通算203勝。
山本浩二 広島の四番打者として通算536本塁打を放った「ミスター赤ヘル」。
2009年 若松勉 170cmに満たない小柄な体格ながら生涯打率.319記録した「小さな大打者」。シーズン打率3割え12回は川上哲治と並びNPB歴代3位の記録
2010年 東尾修 西鉄西武エースとして通算251勝。強気に内を攻める「ケンカ投法」が持ち味で与死球165NPB歴代最多。
2011年 落合博満 NPB最多となる三冠王3回達成の大打者。監督として中日黄金時代を築き、優勝4回、日本一1回。
2012年 北別府学 抜群の制球力を武器広島黄金時代エースとして活躍。
津田恒実 力強い速球と闘志むき出しの投球で広島の抑えのエースとして活躍した「炎のストッパー」。32歳の若さで帰らぬ人になった。
2013年 大野豊 22年の長きに渡り広島先発リリーフ双方で活躍。通算148勝、138セーブ
2014年 秋山幸二 走攻守全てにおいて高いレベルで活躍した80~90年代を代表する外野手ソフトバンク監督として3回優勝、うち日本一1回。
佐々木主浩 通算381セーブを誇る「ハマの大魔神」。
野茂英雄 体をひねる「トルネード投法」で日通算3122奪三振記録アジア人でもメジャーリーグで活躍できることを明した「パイオニア」。
2015年 古田敦也 大卒社会人出身選手初の2000本安打を達成した名捕手1993年記録した盗塁阻止率.633はNPB歴代最高記録
2016年 工藤公康 29年の現役生活で11回の日本一を経験した「優勝請負人」。監督としてもソフトバンクを5回の日本一へ導いた。
斎藤雅樹 NPB記録の11試合連続完投勝利を達成した「平成の大エース」。
2017年 伊東勤 西武黄金時代を支えた名捕手ゴールデングラブ賞11回受賞。
2018年 金本知憲 1492連続試合フルイニング出場と13686連続イニング出場の世界記録を持つ「アニキ」。
松井秀喜 長打力と勝負強さで日で活躍した「ゴジラ」。アジア人選手初のワールドシリーズMVP受賞者。
2019年 立浪和義 NPB史上最多となる通算487二塁打記録した「ミスタードラゴンズ三代目)」。
2020年 該当者なし
2021年
2022年 高津臣吾 通算313セーブを挙げた守護神。
山本昌 数多くのNPB最年長記録を保持する「レジェンド」。
2023年 アレックス・ラミレス 外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成。通算2017安打監督としてはDeNAを初の日本シリーズ出場へ導いた。
2024年 黒田博樹 通算200勝を挙げた広島エース
谷繁元信 NPB歴代最多3021試合出場。選手兼任監督も経験。

エキスパート表彰

年度 人物 な功績・役職・表理由・備考など
2009年 青田昇 快な打撃や麗な守備で人気を集めた「ジャジャ」。本塁打王5回獲得。
2010年 江藤慎一 史上初めてセ・パ両リーグ首位打者を獲得した「エイトマン」。
2011年 皆川睦雄 南海黄金時代を支えたサイドスロー。「最後の30勝投手」としても知られている。
2012年 該当者なし
2013年 外木場義郎 ノーヒットノーランを3回(うち1回は完全試合)達成した一の投手
2014年 該当者なし
2015年
2016年 榎本喜八 毎日ロッテの中心打者として通算2314安打記録した「安打製造機」。
2017年 平松政次 「カミソシュート」を武器に通算201勝を挙げた大洋エース
星野仙一 闘志を全面に押し出すスタイルで通算146勝を挙げた「燃える男」。監督としても中日阪神楽天優勝を経験し、楽天球団初の日本一へ導いた「闘将」としても知られる。
2018年 原辰徳 王・長島引退後、巨人の四番打者を任されベストナイン5回受賞した「若大将」。監督として巨人を9回の優勝に導いたほか、侍ジャパン監督として日本世界一にも導いた。
2019年 権藤博 新人時代に連投を重ねた姿から「権藤・権藤・雨・権藤」と、が降ってる日以外は毎日投げてるとまで言われた投手コーチとして数多くの投手を開させたほか、横浜監督として同球団を38年ぶりの優勝日本一へ導いた。
2020年 田淵幸一 通算474本塁打を放った「ホームランアーチスト」。
2021年 該当者なし
2022年
2023年 ランディ・バース 三冠王2回達成、1986年にはNPB記録となる打率.389をマークした「史上最強の助っ人」。
2024年 該当者なし

野球殿堂歴代特別表彰者

年度 人物 な功績・役職・表理由・備考など
1959年 正力太郎 日米野球を成功させ巨人軍を創設。
平岡 米国から導書を持ち帰り、日本初の野球チームを結成。
青井鉞男 チームを破った一高黄金期エース
安部磯雄 早大野球部を創設し学生野球を創設した学生野球
戸信 都市対抗野球大会を創設。
初のプロチーム日本運動協会」を創設。
久慈次郎 早大函館オーシャンの名捕手試合中の事故で死去。
澤村榮治 プロ野球創世記の大投手読売ジャイアンツ永久欠番第二次世界大戦で戦死。
小野三千麿 大リーグ初の勝利投手
1960年 飛田忠順 早大監督にして、「穂州」の名で健筆をふるった名物記者
河野安通志 ワインドアップ投法を導入・紹介日本に広めた。
櫻井一郎 第1回早慶勝利投手
1962年 忠男 職業野球誕生に尽力した職業野球連盟初代理事長・巨人軍代表。
1964年 宮原 社会人野球協会初代会長
1965年 井上登 日本野球機構第2代コミッショナー。
宮武三郎 投打に活躍した学生野球ヒーロー
景浦將 沢村栄治ライバルにしてタイガースの四番打者・エースとして活躍した「闘将」。第二次世界大戦で戦死。
1966年 守山恒太郎 一高の名サウスポー
1967年 本寿 慶大黄金時代の名監督
1968年 鈴木太郎 プロ野球創期日米野球の交流に尽力。
田邊 後楽園スタヂアム第4代社長
小林一三 宝塚運動協会・阪急団結成した実業
1969年 三宅大輔 巨人阪急の初代監督
田部武雄 米国遠征で105盗塁記録した「」。
森岡二朗 日本野球連盟初代会長、戦時下の野球存続に奔走。
島田善介 慶大三田倶楽部の名捕手
有馬頼寧 東京ネタースを結成。
1970年 田村駒治郎 松竹ロビンオーナー
直木太郎 野球規則を本格的に翻訳し出版、スコアブック記録方法を開発
中馬 ベースボールを『野球』と訳し、導者としても活躍。
1971年 小西得郎 独特の話法で人気を博した名解説者戦前戦後に複数のプロ野球チーム監督を努めた。
水野利八 ミズノの創業者。用具の生産・改良に尽力。
中野武二 審判の権威と信頼を確立
太田 スポーツ記者分け的存在。
1973年 内海 東京六大学リーグ結成を推進した明大野球部長
天野 戦後学生野球と秩序確立に尽力した学生野球協会第2代会長
広瀬謙三 スポーツ公式記録記録の第一人者。
1974年 野田 阪神甲子園球場の設計工事責任者。
1974年 該当者なし
1976年 小泉信三 学徒出陣壮行早慶戦を実現。
1977年 茂雄 早大監督で9回優勝プロ野球でも監督も努めた。
西村幸生 創期のタイガースを支えたエース第二次世界大戦で戦死。
1978年 伊丹安広 戦時下の学生野球存続に尽力した早大の名捕手
吉原正喜 巨人第1期黄金時代の強肩捕手
岡田三郎 ポジションを守った明大選手、金鯱監督
1979年 平沼 アマスポーツ」と呼ばれた東京六大学野球連盟第2代会長
谷口五郎 大正時代早大エース
1980年 千葉茂 「猛」と呼ばれた巨人軍の名二塁手
1981年 佐伯達夫 高校野球発展に寄与した第3代高野会長
小川太郎 社会人野球協会結成に貢献。
1982年 鈴木 セ・リーグ会長を長年務め、球界の発展に尽力。
茂十郎 学生野球章制定に尽力し、学生野球協会を設立。
1983年 内村 第3代コミッショナー。
1984年 早慶復活に尽力した慶大将。
1985年 田中勝雄 早大首位打者3度のスラッガー。
山内以九士 野球規則・記録研究、整備に貢献。
1986年 中河美芳 名物の守備で活躍した投手一塁手。通称「タコ足」。第二次世界大戦で戦死。
方正雄 タイガース初代会長
1987年 藤田信男 法大優勝時の監督
山下 慶大黄金時代の強打者。阪急創期にも活躍。
1988年 横沢三郎 プロ野球創期の名審判
田武夫 東京六大学リーグ発足時に活躍した早大の名外野手
永田 東京球場を作った大映の名物オーナー
1989年 池田恒雄 出版活動を通じ、野球界の発展に貢献。
伊達正男 大リーグチームに挑んだ早大投手
1990年 佐伯 長きに渡り近鉄オーナーを務めた。
1991年 中澤良夫 甲子園大会の基盤をつくる。
1992年 吉田正 商業夏の甲子園3連覇投手
1993年 該当者なし
1994年 知男 野球オリンピック参加に尽力。
1995年 呉昌征 人間機関車」と呼ばれた台湾出身の俊足、強肩の名外野手
村上 プロ野球創期の阪急球団代表。
1996年 牧野 第4代高野会長
保坂 日本初のドーム球場(東京ドーム)建設。
1997年 山本一郎 社会人野球発展に貢献、野球人としても活躍。
1998年 中尾碩志 速球投手として活躍し通算209勝。コーチとしても活躍。
井口次郎 和歌山中、早大の名選手。
1999年 吉國一郎 第9代コミッショナー。歴代最多の3期9年務めた。
2000年 福島太郎 野球協約発行に尽力。パ・リーグ会長を2度務めた。
2001年 武田 大学野球開催に尽力。
長谷川良平 創期の広島を支えた通算197勝の「小さな大投手」。
2002年 中澤不二 パ・リーグ初代専任会長試合天皇陛下への説明役も務めた。
生原昭
(アイク生原)
日米野球交流の中心的役割を果たす。導者としても活躍し山本昌らを大成させた。
2003年 松田 広島オーナーを務め、大リーグを手本に球団改革を推進。
2004年 秋山登 大洋初の日本一に貢献した大エース。通算193勝。
2005年 志村正順 野球人気に貢献した名アナウンサー
2006年 川島 プロアマの協調体制を加速させる。
豊田泰光 西鉄黄金時代クリーンアップベストナイン6回受賞。
2007年 松永 アマチュア球界で導者として活躍、ロサンゼルス五輪優勝監督
2008年 清一 夏の甲子園の準決勝、決勝でノーヒットノーラン念の戦死。
2009年 大社義規 日本ハム初代オーナー
一郎 日本野球発祥の研究をし、「日本野球創世記」を著す。
2010年 古田 都市対抗野球大会16回出場の「ミスター社会人」。
2011年 該当者なし
2012年 騏郎 全日アマチュア野球連盟の結成に貢献。
大本 アオダモ育成の会」を設立。
2013年 一雄 小倉高のエース夏の甲子園2連覇。
2014年 相田暢一 戦時中「最後の早慶戦」の実現、戦後野球に尽力。
2015年 和男 日本リトルリーグ創設に尽力。
村山 中等学校優勝野球大会(現:全国高等学校野球選手権大会)を創設した朝日新聞社長
2016年 松本 戦後野球に貢献した
山中 東京六大学リーグ最多48勝の名投手バルセロナ五輪代表監督
2017年 アマ球界の名審判で、審判導者としても貢献。
鈴木美嶺 日本野球規則委員会で中心的役割を果たす。
2018年 正男 商で選手、導者として優勝
2019年 プロアマ交流の礎を築いた高野会長
2020年 前田 慶大監督を経て、アジア野球連盟事務局長を務めた。
石井連蔵 早大監督を務め、日大学野球開催に尽力。
2021年 川島 都市対抗野球大会3度優勝アトランタ五輪代表監督
佐山和夫 ノンフィクション作家日本高野連顧問。
2022年 松前重義 首都大学野球連盟を設立。野球際化にも尽力。
2023年 古関裕而 球団歌・学校応援歌・大会テーマ曲など多数の野球関連曲を作曲
2024年 谷村友一 アマチュアプロ野球審判として活躍。プロ野球審判として3026に試合出場。

新世紀特別表彰者

新世紀(21世紀)になったことを記念し、20世紀の日本野球界の基礎作りに大きく貢献した野球に縁のある著名人に対する表を行った。

年度 人物 な功績・役職・表理由・備考など
2002年 フランク・オドール 日本野球技術向上に尽力。
子規 野球愛し明治の俳人・歌人
2003年 ホーレスウィルソン 明治5年に野球を伝えた「日本野球ルーツ」。
鈴鹿 軟式ボールを考案し野球の普及に尽力。

野球殿堂博物館の資料・館内施設

野球殿堂博物館内には殿堂入りした人物の肖像のレリーフと功績の解説以外に、実際に使用されたユニフォームバットグローブなど重な品が約40000点保管されており、そのうち約2000点を常時展示。展示される資料は常時入れ替えられており、野球歴史を様々な展示資料とともに学ぶことができる。

この他図書室映像シアター、イベントホールなどの施設がある

図書館では野球に関連する出版物が約50000点所蔵されており、利用には事前予約が必要であるが閲覧はでも可となっている。中には野球漫画も所蔵されている。室外への貸し出しは不可能だが、OPACやレファレンスも可

映像シアターでは、オールスターゲーム日本シリーズダイジェスト映像が様々なテーマを組んで上映されている。

イベントホールでは野球用具や野球場のいろいろなひみつを紹介している。各種イベントはここで開催され、企画展示も行われている。

館外には鎮の碑が建立され、戦者となった野球関係者の名が刻まれている他、副碑には特攻隊員として戦士した石丸進一である石丸吉による追憶文が刻まれている。

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野球殿堂(日本)

1 ななしのよっしん
2023/12/21(木) 09:59:41 ID: WXWZcmshTO
選考基準に疑問はあれど、入ってもおかしくない人がたくさんいる。
加藤英司(元阪急他)
足立光宏(元阪急
大沢啓二(元南海他)
土橋正幸(元東映他)
大島康徳(元中日他)
高橋慶彦(元広島他)
西本聖(元巨人他)
郭源治(元中日
ドン・ブレイザー(元南海他)
チャーリー・マニエル(元ヤクルト他)
レロン・リー(元ロッテ
レオン・リー(元ロッテ他)
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