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金丸 信(かねまる しん、1914年9月17日 - 1996年3月28日)とは、日本の政治家である。
概要
1953年の第3回参議院選挙の選挙運動に従事したことがきっかけとなり政界に進出する。
1958年第28回衆議院議員選挙に自由民主党所属で山梨県全県区から初出馬。一回目ながらトップ当選となった。当選同期は安倍晋太郎や竹下登がおり、特に竹下登とは後に「金丸・竹下」とセットで呼ばれるほどの仲となる。
1972年に自由民主党国対委員長に就任。入閣経験が無い人物の国対委員長就任は異例であったが、55年体制下の国対政治に於いて「金丸国対」と言われる程の政治手腕を発揮した。また国対政治を通じて日本社会党との人脈を作ることにも成功し、日本社会党の田邊誠と共同で訪朝を実現した。
1992年に東京佐川急便事件の被疑者として起訴された。最後まで裁判に出廷していたが、体調悪化により裁判が停止され、そのまま1996年に死去。
山梨県内の影響力
地元の山梨県内では地元TBS系列テレビ局のテレビ山梨の初代会長を務めるなど影響力がある、FM-FUJIもテレビ山梨の関連会社であり、同社にも親族がいる。
山梨県外の評判はよろしい状態ではないが、山梨県内では今でも絶大な人気を誇っている。中央自動車道や中部横断自動車道、さらにリニア中央新幹線などの誘致は金丸信が積極的に行った結果で、山梨県民が長年苦しめられていた地方病(日本住血吸虫)の対応についても縄張り争いで工事が進まなかった場所について金丸が各省庁や国鉄に乗り込んで解決させるなどしている。かいじ国体の時も施設が整っておらず開催が危ぶまれていたが、これも金丸が動き多額の予算を取り付け無事開催することができた(やりすぎて行政監査局に目をつけられてしまったが…)など、「金丸先生がいなかったらどうなっていたか」という事案が多い。
国政では護衛艦の名称問題や北朝鮮による日本人拉致問題などの対応で傲慢な政治家と捉えられていたが、山梨県内、特に地盤の南アルプス市では「金丸先生は謙虚」という評価で、世襲を否定して子供を後継者にしなかったり、これまでの功績を称え銅像を建立しようとした際「俺は逮捕された身だからふさわしくない」と固辞(代わりに死後に碑を建立)するなどしている。
関連動画
関連項目
先代 | 副総理 | 次代 |
伊東正義(自由民主党) 1980~1980 |
金丸信(自由民主党) 1986~1987 |
宮澤喜一(自由民主党) 1987~1988 |
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