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金子千尋(かねこ ちひろ、1983年11月8日-)とは、新潟県出身の元プロ野球選手(投手)である。2019年から2021年までの登録名は「金子弌大」。現在は北海道日本ハムファイターズのコーチを務める。
概要
北海道日本ハムファイターズ #91 二軍投手コーチ |
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金子千尋 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 新潟県三条市 |
生年月日 | 1983年11月8日 |
身長 体重 |
180cm 77kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2004年自由獲得枠 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
日米野球 | 2014年 |
プロ野球選手テンプレート |
長野商業高校では2年次に甲子園に出場し、2回戦で敗れた。3年次には3回戦で参考記録だがノーヒットノーランを記録した。
2004年のドラフト自由枠でオリックス・バファローズに入団したが、その後肘の故障を抱えた。
オリックス時代
2005年は故障持ちの状態での入団だったため一軍に上がれず「ハズレを掴まされた」とも言われるが、3年目の2007年後半戦に先発で6連勝し、最下位に沈んだオリックス希望の星となる。
2008年は開幕投手に指名され、一時期は不調に陥るが夏場から復活。10勝を挙げ小松聖、山本省吾、近藤一樹と共に先発4本柱としてチームの2位躍進に貢献した。
2009年は投手陣が総崩れする中で先発の柱として奮闘。後半は加藤大輔の不調によって不在となった抑えの座につき、11勝8敗4セーブ、防御率2.57の好成績を挙げた。
2010年は開幕投手に指名され、東北楽天ゴールデンイーグルスのエース・岩隈久志を相手に1対0で完封勝利をおさめる。その後、セ・パ交流戦の頃までは突発性炎上病に苦しんだが、球団では米田哲也以来となる3試合連続完封を達成してからは破竹の勢いで勝ち星を重ね、7月・8月に連続月間MVPを受賞。最終的に13連勝を達成し、17勝8敗、防御率3.30の成績を挙げて初タイトルとなる最多勝利を福岡ソフトバンクホークスの和田毅と共に獲得した。
2011年はキャンプ中に右肘の違和感を訴え手術を受けることになり出遅れたが、6月に一軍復帰すると快調に白星を重ねる。9月には4試合全てで9イニング投げ僅か自責点1、3勝0敗防御率0.25という驚異の成績で月間MVPを受賞。出遅れたにも関わらず規定投球回数に達し10勝4敗、防御率2.43の成績を挙げエースの貫禄を見せた。ところが、クライマックスシリーズ進出をかけたシーズン最終戦で敗戦投手となってチームもCSを目前で逃し、最後は苦い幕切れのシーズンとなった。
2012年は開幕前に右上腕の張りと腰痛で開幕戦を回避、1試合投げただけで大事をとって離脱。5月に前倒し気味に復帰して6月までローテーションで投げたが、右肘の炎症を起こして長期離脱。復帰はシーズン終了間際になった。9試合で4勝3敗と連続2桁勝利も4年で途切れ、チームも最下位に沈んだ。
2013年は恒例行事的に春キャンプで離脱。そのままオープン戦では一度も投げなかったにも関わらず、なんとぶっつけ本番で開幕投手を務め8回1失点の好投を見せる。この年は結局そのまま3年ぶりにシーズンを通して一軍でエースとして投げ続け、29試合に登板して15勝8敗、防御率2.01、200奪三振とキャリアハイと言っていい成績を残し、奪三振王のタイトルを初めて獲得。投球回数223回1/3、10完投、3完封もリーグトップを記録した。オープン戦の意味とは…。また沢村賞の選考基準を全項目満たしたが、沢村賞は24勝0敗という異次元の成績を残した田中将大(完投数が基準未到達)に攫われた。基準を全項目満たしていながら沢村賞を逃したのは江川卓、ダルビッシュ有に続いて史上3人目である。
2014年はオープン戦の時期にインフルエンザで一時離脱していたが、開幕には間に合い開幕投手を務めた。5月31日の対読売ジャイアンツ戦では9回をノーヒットに抑えたが、打線が点をとれず試合は延長戦に入って降板したため、惜しくもノーヒットノーランを逃した。2006年の八木智哉以来史上2人目である。
この年は援護に恵まれ、26試合に登板16勝5敗、防御率1.98で両リーグ唯一の1点台、199奪三振と去年と変わらない高水準を記録し最多勝利と最優秀防御率の2冠を達成し、見事沢村賞とベストナイン、パ・リーグMVPを獲得した。FA宣言し去就が注目されていたが、4年契約でオリックスに残留した。
2015年は右肘のリハビリをしていたが、中々回復せず開幕を二軍で迎える。チームが2014年と打って変わって低迷する中、5月23日の千葉ロッテマリーンズで初登板したが、調整不足が祟ったのか3回6失点の大乱調だった。その後6月6日にようやく勝利を挙げた。9月に右肩を痛めたため規定投球回に到達せず、投球回93.0、防御率3.19、7勝に終わった。
2016年は開幕投手に選ばれたが不調に陥り、初勝利を4月30日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で完封勝利で挙げる。5月20日の千葉ロッテマリーンズ戦で通算100勝を達成した。右肩痛で一時期戦線を離脱したが、2年ぶりに規定投球回に到達。7勝9敗、与四球はワーストの59だった。
2017年は2年連続で開幕投手に選ばれ、開幕5連勝と好スタートを切った。4月14日の福岡ソフトバンクホークス戦で通算21回目の完封勝利を挙げ、現役投手最多タイとなった。5月と6月は不調に陥りわずか2勝しか挙げられなかったが、3年ぶりの二桁勝利を挙げた。
2018年は4月3日のロッテ戦がシーズン初登板となったが、ここから開幕4連敗と不振に陥る。首から背中への強い張りの影響もあり、8月中旬からは登板がなく、17試合の登板で4勝7敗に留まった。オフに減額制限を超える減棒を査定されたが、これを拒否し自由契約となった。
日本ハム時代
2018年12月4日に北海道日本ハムファイターズと1年契約を結んだ。背番号は19。一からスタートしたいという理由で登録名を「金子弌大」に変更した。
2019年4月18日のオリックス・バファローズ戦では5回1失点で勝利投手となり、これによって史上18人目の全球団勝利を達成した。ショートスターターを務めたり第2先発に回ったり中継ぎをしたりと役割を問わずに様々な場面で登板、26試合で8勝7敗2ホールドの成績を挙げた。
2020年は本人の希望でリリーフ起用されたが、開幕直後から4試合連続で失点するなど安定感を欠いた。10月以降は無失点で多少数字を改善したが、34試合に登板して防御率5点台に終わる。オフの契約更改では80%以上の減俸を受け入れ残留。
2021年は8試合のうち6試合に先発登板したが、プロ入り後では初めて1勝も挙げられなかった。オフに登録名を「金子千尋」に戻した。
2022年は3試合の登板で1勝2敗に留まった。稲葉篤紀GMはコーチ就任を申請したが、これを断って現役を続けていくことになったため、自由契約となった。しかしオファーが来なかったため、現役を引退した。
引退後
2023年からは北海道日本ハムファイターズの特命コーチに就任した。2024年からは二軍投手コーチを務める。
プレースタイル
投手には珍しい右投左打で打撃が得意なため、高校時代は「長野のイチロー」(または「チヒロー」)と呼ばれ、セ・パ交流戦では8番を打ったこともあり、呼び名からオリックス時代のイチローの応援歌が使われたこともある。
球界屈指の東北楽天ゴールデンイーグルスキラー。プロ入りから通算で16勝3敗、防御率1点台とカモにしている。
2010年途中に同姓の金子圭輔がソフトバンクから移籍してきたため、現在スコアボードの表記はフルネームになっている(「金子千」だとバランスが悪いため)。
俺の嫁
野球選手らしからぬ色白と可愛らしい顔立ちで、オリックスファンの間では「女の子」「俺の嫁」とよく言われる。
なおこの事は「千尋」という名前が原因とされることがあるが、千尋はもともと男性名である。
チヒロ(AA)
チヒロ
|_Bs_|_
彡*・ e ・) ねこポケモン
((E) )
く/_|_〉 たかさ 1.80m
し'ノ
No.019 おもさ 77.0kg
―□―□―□―□――――――□―□―□―□―
せんぱつになって かちうんをてにいれた おんなのこ。
ほんとうは ブルペンのみんなと はなれたくないので
なかつぎをきぼうしている さびしがりや。
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2006年 | オリックス | 21 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | .500 | 28.0 | 18 | 22 | 13 | 11 | 3.54 |
2007年 | 36 | 7 | 2 | 2 | 6 | 2 | 1 | 2 | .750 | 84.0 | 20 | 68 | 31 | 26 | 2.79 | |
2008年 | 29 | 25 | 0 | 0 | 10 | 9 | 0 | 0 | .526 | 165.0 | 34 | 126 | 78 | 73 | 3.98 | |
2009年 | 32 | 21 | 5 | 2 | 11 | 8 | 4 | 0 | .579 | 171.2 | 34 | 165 | 54 | 49 | 2.57 | |
2010年 | 30 | 29 | 7 | 6 | 17 | 8 | 0 | 1 | .680 | 204.1 | 44 | 190 | 85 | 75 | 3.30 | |
2011年 | 20 | 20 | 5 | 2 | 10 | 4 | 0 | 0 | .714 | 155.1 | 38 | 123 | 45 | 42 | 2.43 | |
2012年 | 9 | 0 | 2 | 1 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 63.2 | 15 | 56 | 19 | 17 | 2.40 | |
2013年 | 29 | 29 | 10 | 3 | 15 | 8 | 0 | 0 | .652 | 223.1 | 58 | 200 | 55 | 50 | 2.01 | |
2014年 | 26 | 26 | 4 | 3 | 16 | 5 | 0 | 0 | .762 | 191.0 | 42 | 199 | 48 | 42 | 1.98 | |
2015年 | 16 | 15 | 0 | 0 | 7 | 6 | 0 | 1 | .538 | 93.0 | 18 | 79 | 34 | 33 | 3.19 | |
2016年 | 24 | 23 | 0 | 0 | 7 | 9 | 0 | 0 | .438 | 162.0 | 59 | 125 | 71 | 69 | 3.83 | |
2017年 | 27 | 27 | 6 | 1 | 12 | 8 | 0 | 0 | .600 | 184.1 | 56 | 141 | 80 | 71 | 3.47 | |
2018年 | 17 | 17 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | 0 | .364 | 100.0 | 35 | 72 | 47 | 43 | 3.87 | |
2019年 | 日本ハム | 26 | 19 | 0 | 0 | 8 | 7 | 0 | 2 | .533 | 109.2 | 40 | 75 | 42 | 37 | 3.04 |
2020年 | 34 | 4 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 1 | .250 | 44.0 | 17 | 47 | 29 | 25 | 5.11 | |
2021年 | 8 | 6 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | .000 | 33.1 | 13 | 22 | 23 | 23 | 6.21 | |
2022年 | 3 | 3 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 13.0 | 1 | 11 | 7 | 7 | 4.85 | |
NPB:17年 | 387 | 281 | 40 | 20 | 130 | 94 | 5 | 8 | .580 | 2025.2 | 542 | 1721 | 761 | 693 | 3.08 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最多勝利 | 2回 | 2010年、2014年 |
最多奪三振 | 1回 | 2013年 |
最優秀防御率 | 1回 | 2014年 |
表彰 | ||
MVP | 1回 | 2014年 |
月間MVP | 7回 | 2008年7月、2010年7月・8月、2011年9月、2014年8月・9月、2017年4月 |
沢村賞 | 1回 | 2014年 |
ベストナイン | 1回 | 2014年 |
ゴールデングラブ賞 | 1回 | 2014年 |
最優秀バッテリー賞 | 1回 | 2014年(伊藤光) |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 3回 | 2009年、2014年、2017年 |
全球団勝利 | - | 2019年4月18日 |
関連動画
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関連項目
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