金本位制とは、国の通貨の価値が金塊によって裏付けされている制度のことをいう。
概要
金本位制は3種類に分けられる。
金貨本位制
まず金貨本位制というものがある。
金塊でできた正貨を通貨に採用する。正貨というのは素材価値と額面金額が同じ金属鋳造貨幣のことである。
そして金塊でできた正貨に無制限通用力を与える。無制限通用力とは、商取引にその金貨を無制限に使ってよいということである。補助貨幣には使用制限が課せられることが多く、2020年現在の日本の硬貨は1回の取引に20枚までしか使えない(通貨法第7条)。無制限通用力を持つ通貨は、一国の通貨として主力となる通貨である。
そして自由鋳造・自由融解を認める。自由鋳造・自由融解というのは、一般人が金塊や他国金貨を造幣局に持ち込めば、それに応じて金塊や他国金貨を鋳つぶし、金貨(金塊でできた正貨)を鋳造してくれるという制度である。
簡単に言うと金貨本位制とは、金塊そのものを一国の主力通貨にしてしまう制度である。
金貨本位制は、金貨が重くて持ち運びにくくて国民に不便な思いをさせたり、金貨が次第に摩耗して金塊の量が減っていって国内にある金塊の量が減少して損をしたりする。つまり優れた制度ではない。
江戸時代の日本は小判(金貨)を通貨としていたが、この小判は名目貨幣であり、素材価値よりも大きい額面金額で通用していた。このため江戸時代の日本を金貨本位制であると言うことができない。
金地金本位制(きんじがねほんいせい)
金貨本位制に代わって導入されるのが金地金本位制である。
一国の通貨を「金塊でできた正貨」と、「金塊でできた正貨」との交換を保証した兌換銀行券と、「金塊でできた正貨」との交換を保証した補助貨幣とする。そうすると国民は兌換銀行券や補助貨幣ばかりを使うようになり、金貨は銀行の倉庫に眠ったままとなる。金貨が摩耗することもなくなるし、兌換銀行券は紙でできていて持ち運びしやすくて便利である。
金本位制というとこの金地金本位制のことを指すと思っておいてよい。
兌換銀行券はいつでも好きなときに銀行から金塊を取り立てることのできる債権である。人々は兌換銀行券を支払って、つまり債権を譲渡して、商品を受け取るようになっていった。
ちなみに、金塊と金地金(きんじがね)は同じ意味を持つ言葉である。
金為替本位制(きんかわせほんいせい)
A国が金地金本位制を採用して兌換銀行券を発行する。それに対してB国が不換銀行券を発行しつつ、固定相場制を採用して、A国兌換銀行券との交換比率を固定することがある。
B国不換銀行券は不換銀行券の体裁を取りながらも金塊との交換を保証する兌換銀行券としての性質を持つようになる。
このように兌換銀行券との交換比率を定めた不換銀行券を発行して通貨にすることも金本位制の一種と見なすようになった。これを金為替本位制という。19世紀末のインドで採用された。
ブレトンウッズ体制は金本位制か、それともただのドル本位制か
ブレトンウッズ体制は金本位制という論理
1914年から1918年までの第一次世界大戦と1939年から1945年までの第二次世界大戦において軍需物資の注文がアメリカ合衆国に殺到し、工業大国のアメリカ合衆国は輸出を繰り返して大量の外貨を獲得した。1945年頃になると世界中の金塊がアメリカ合衆国のニューヨークやフォートノックスに集まり、アメリカが世界最大の金塊保有国となった。兌換銀行券を発行できるほど金塊準備に恵まれた国はアメリカ合衆国だけになった。
そこで、1944年に締結され1945年に発効したブレトンウッズ体制で、アメリカ合衆国が発行するドルが唯一の兌換銀行券となり、各国は固定相場制を採用して、各国の発行する不換銀行券がアメリカドルとの交換比率を保つようになった。
これにより、世界各国の不換銀行券は、不換銀行券の体裁を取りながらも金塊との交換を保証する兌換銀行券としての性質を持つようになった。
以上の説明に従うと、「ブレトンウッズ体制は金本位制の金為替本位制である」ということになる。
アメリカ合衆国国民の金塊保有を禁止する大統領令と金準備法
1933年4月5日になるとフランクリン・ルーズベルト大統領が大統領令6102を発し、アメリカ合衆国国民が金塊を保有することを禁止した。
芸術家、宝石商、歯科医、看板製作者に対しては特例が認められ、5トロイオンス(160g)程度までの保有が認められた。しかしそれ以外での金塊保有が禁じられ、最大で懲役10年、最高で罰金1万ドルの罰則が設けられた。この当時の1万ドルは2020年の価値に換算すると20万ドル程度になる。
このため、1933年4月5日以降のアメリカ合衆国国民はアメリカ合衆国ドルを銀行に持ち込んでも金塊に交換できなかった。金塊に交換して所持した時点で警察の厄介になるからである。ゆえに1933年4月5日以降のアメリカ合衆国ドルはアメリカ国民にとって事実上の不換銀行券だった。
大統領令6102の後に大統領令6111と大統領令6260と大統領令6261が出され、さらに1934年1月30日に発効した金準備法でアメリカ国民の金塊保有が禁止された。大統領令というのは後任の大統領が独断で破棄できるものであるのに対し、法律というのは大統領の独断で破棄することが不可能である。このためフランクリン・ルーズベルト大統領が大統領の座を去った後も金塊保有禁止の体制が続いた。
アメリカ国民の金塊保有を禁止する体制は長々と続き、ジェラルド・R・フォード大統領時代の1974年12月31日に発効した法律でやっとアメリカ国民の金塊保有が認められるようになった。
ブレトンウッズ体制はドル本位制という論理
このため、「『ブレトンウッズ体制は金本位制の金為替本位制である』という論理はやや間違っていて、不換銀行券のドルを基軸通貨にしたドル本位制だった」という論理が成立する。
ブレトンウッズ体制の最中はアメリカ国民がドルを金塊に交換することが禁じられていた。アメリカ合衆国以外の国の政府がFRBやアメリカ合衆国政府に対してドルを金塊に交換することを要求できた程度だった。
金本位制の終焉
金本位制というのは国家の持つ通貨発行権を強く制限するものである。金塊という有限の地下資源を掘り当てないと新規に通貨を発行することができない。
戦争や恐慌に立ち向かうときの政府は通貨発行権を行使して巨額の政府支出を行わねばならず、金本位制を維持することができない。第一次世界大戦や世界恐慌ですべての国が金本位制から離脱し、不換銀行券を発行するようになった。
1914年から1918年まで第一次世界大戦が続いたが、イギリスとフランスとドイツは1914年に金本位制から離脱し、アメリカ合衆国と日本は1917年に金本位制から離脱した。
1929年から世界恐慌が始まったが1931年にイギリスと日本が金本位制から離脱し、1933年にアメリカ合衆国が国民の金塊保有を禁止し、1937年にフランスが金本位制から離脱した。
第二次世界大戦を経て唯一の超大国となったアメリカ合衆国は、「国民に対しては金塊保有を禁止してドルと金塊の兌換を停止する、外国政府に対してはドルと金塊の兌換に応じる」という二面的な政策をとっていた。1965年から始まったベトナム戦争で巨額の政府支出を強いられ、このままでは多くの金塊を外国政府に兌換されるという状況となり、金本位制を維持するのが難しくなっていった。
1971年8月15日に、リチャード・ニクソン米大統領が「ドルと金塊の交換を停止する」と発表し(ニクソン・ショック)、アメリカ合衆国が金本位制から完全に離脱することになった。
それから50年近く経った2020年現在において、金本位制をとっている国は世界のどこにも存在しない。
関連項目
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https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E9%87%91%E6%9C%AC%E4%BD%8D%E5%88%B6