金森長近(かなもり ながちか)とは、戦国時代の武将であり茶に通じていた。
概要
父の金森定近は土岐氏に仕えていたが失脚し美濃を離れ、18頃になるまで近江で過ごす。
その後に近江を離れて織田信秀に仕官。信秀死後は後を継いだ信長に仕える。
信長の部下として桶狭間、美濃攻め、姉川、比叡山、長篠、手取川、武田攻めと数多くの戦に出陣。
功績により信長の赤母衣衆に名を連ね、越前大野を所領とした事から北陸方面軍の柴田勝家の軍団に属する。
戦国武将としては順風満帆だったが、本能寺の変に際し織田信忠の近侍となっていた嫡男の長則を失う。
この事で長屋景重から可重を養子として引き取る。
本能寺の変後は勝家に従うも賤ヶ岳の戦いにて前田利家、不破直治と共に戦線を離脱。
勝家死後に頭を丸めて秀吉に降伏し、鮮やかに変節を成し遂げた。食えない男である。
小牧・長久手の戦いに秀吉方として参加した後に、佐々成政征伐を発端とした飛騨攻めの任に就く。
長近は別働隊として姉小路氏の居城である桜洞城、高堂城等を攻略し姉小路頼綱を飛騨から追放。
その功績により秀吉から飛騨一国を所領として授かる事となる。
以降は飛騨の国人一揆の平定から小田原攻めと秀吉の主だった戦闘に参加。
文禄・慶長の役にも参加する予定だったが島津家の横槍から参加を見送っている。
既に小田原の時点で65を過ぎており、十分に老将と言える存在となっていた。
秀吉死後は織田家時代からの付き合いである徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いは東軍として参加する。
先述の賤ヶ岳の時と同様に変節があまりにも上手すぎる。時に76歳。本当に抜け目の無い爺さんである。
当然ながら所領は安堵され飛騨のお隣の上有知(こうずち)の分の約二万石の増加となり、2国5万石の大名となった。
そして戦国を生き抜いた歴戦の猛者は大坂の役を前にして、1608年にこの世を去る。享年83。
所領は飛騨を養子の可重、上有知を年老いて得た次男の長光が受け継ぐが長光は7つにして夭折。
上有知は幕府に没収され天領となってしまい、奇しくもこれが後の飛騨と上有知の明暗を分けてしまった。
茶人として
長近は千利休に師事し茶の才を伸ばした。
その事が縁となり千利休が切腹を命じられた際には利休の子の道安をかくまったという話すらある。
養子の可重はその道安から茶の師事を得ており、可重の息子で長近の孫にあたる金森重近は祖父と父の茶の流れを引き継ぎの宗和と号し、今もなおその技は茶道宗和流として現世に受け継がれている。
戦国大戦
女顔のイケメン兄貴なのだが、大き目の兜と自身の長髪が相まって妙に暑苦しい格好をしている。
コスト1.5で武力6の鉄砲隊と使い勝手はいいが計略の主張がやや弱いかもしれない。
ちなみに鉄砲隊である理由は可重の墓所である京都の大徳寺に保管されている愛用の火縄銃からと推測される。
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何故か二つとも史実で自身が滅ぼした姉小路家に仕えていたりする
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関連項目
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