\かっぜっになれ~♪/
鈴木みのるとはパンクラスMISSION所属のプロレスラーであり、
株式会社パイルドライバー社長、世界一性格の悪い男である。
本名は鈴木実。1968年6月17日生まれ、神奈川県横浜市出身。
概要
新日本プロレス~新生UWF
1988年に新日本プロレスの飯塚孝之(現:飯塚高史)戦でデビュー。当団体から期待されていたこともあり翌年にはアントニオ猪木との試合も経験したが、隆盛を極めていた新生UWFに移籍。田村潔司とのシングルで初白星を飾ると高田延彦、前田日明などの大物とも対戦するようになると、モーリス・スミスとの異種格闘技戦で注目を集めるようになる。
1990年末から1991年初頭にかけてUWF分裂騒動が起き、鈴木は盟友の船木誠勝らとともにプロフェッショナルレスリング藤原組へ参加。東京ベイNKホール大会における佐野直喜戦では、佐野が鈴木のスタイルに適応し大きな反響を呼んだ。当時の藤原組は故・カール・ゴッチ氏を顧問に据えており、鈴木がゴッチに傾倒にした時期でもあった。
パンクラス移籍
1993年に船木とともに藤原組を離脱すると、同年8月にパンクラスを旗揚げ。1995年にはケン・シャムロックを破り、第2代キング・オブ・パンクラシストにも輝いた。しかし、同時期に台頭してきたブラジリアン柔術を取り入れようとしていた船木を公然に批判したことから、盟友であった2人の間に確執が生まれることになる。
同年9月の初防衛戦で敗北すると、翌年には首の負傷が原因で連敗を重ねるように。船木からも「もう両雄ではない」と見切りを付けられ、10月には長期欠場した。翌年以降復帰、欠場を繰り返すようになり、リングスとパンクラスの騒動の発端となるなど、この頃の鈴木はとげとげしい発言が目立つようになる。
指導者としても「柔術が嫌いだから」という個人的理由で出稽古禁止のルールを設けるなど、他団体との技術的なギャップを広げる原因を作ったことから、引退していた船木にも「鈴木を切った方がいい」と言われてしまうほどで、一時期は引退も考えたという。
そんな不遇の鈴木を呼び戻すきっかけを作ったのが、2002年の獣神サンダー・ライガー戦。当時組まれていた対戦カードは前座戦線時代に激闘を繰り広げてきた佐々木健介であったが、本人が新日本を退団、WJへ移籍したことにより流れてしまった。
この時のライガーが「オレじゃダメか?マスク脱いででもやる」と強烈にアピール。結果は鈴木の勝利だったものの、負けたライガーの評価が上がった事で「対相手」だけではなく、「対客」というスタンスもあるプロレスに再び興味を持つようになる。
プロレス復帰(新日本、NOAH)
ライガー戦を機に総合から見切りをつけた鈴木は、本格的にプロレス界への復帰を目指す。この時には体形も脂の乗ったプロレスラーらしいものへと変化していた。
プロレス復帰に先立ちパンクラスのプロレス部門「MISSION」を立ち上げ、2003年に古巣・新日本に参戦。2004年には佐々木健介の持つIWGP王座にも挑戦し、2月には高山善廣とともにIWGPタッグ王座を獲得。この高山との「外敵タッグ」は結成から"4年間無敗"と言う記録を持っている。(高山が脳梗塞で欠場した際には健介にパートナーの座を譲り、棚橋弘至、中邑真輔組と防衛戦を行った。)
同年のNOAHにも外敵タッグとして参戦すると、翌年から定期的に出場するようになる。NOAHではシングル戦でお互い興味を持った丸藤正道とタッグを結成し、GHCタッグ王座を獲得。「ベルトには興味が無いが、ベルトで面白いことをする」と宣言し、イギリスでの防衛戦を成功させた。
同じNOAH所属の秋山準との初対戦で秋山を締め落とし失神に追い込んで以降、鈴木は「世界一性格の悪い男」、秋山は「NOAH一性格の悪い男」と称されるように。キャラもかぶっていることからお互いに舌戦を繰り広げ、試合が組まれればえげつなく攻め立てる関係と発展していた。
全日本プロレス参戦~『鈴木軍』結成へ
2006年の健介20周年自主興行に参戦の際、全日本プロレス所属選手のふがいなさを訴えた鈴木は、当時負傷欠場中であった本間朋晃が反応したことで全日本参戦へのきっかけを作り上げ、4月以降から主戦場とする。
同年6月にはプロレス大賞・話題賞を受賞したメカマミーと戦い、9月には太陽ケアから三冠ヘビー王座を獲得。
鈴木自身初となるプロレス大賞MVPを受賞した。
2008年になるとスランプ状態で悩める太陽ケアを独特の熱い言葉で説得し、緊急合体。「もう一度この団体のてっぺんに行く」と宣言し、NOSAWA論外・MAZADA・TAKEMURAと共に「GURENTAI」を結成、ケアとともにプロレス大賞・最優秀タッグを受賞している。
全日本のマットから離れ、デビューの地である新日本プロレス出戻った際には、高山、TAKAみちのく、タイチ、WWE在籍経験のあるのランス・アーチャーとともに"鈴木軍"を結成。エル・デスペラードや飯塚高史ら所属選手を巻き込む一大勢力を築き上げる。
2015年の新日本東京ドーム大会にて矢野通のパートナーとしてNOAHの丸藤正道、マイキーニコルス、シェインヘイスト3選手が出場。これに鈴木軍は対戦するも矢野組が勝利。
6日後のNOAH後楽園ホール大会のメインイベント終了後、鈴木軍メンバーを率いて乱入。
NOAHとの抗争が勃発した。
同年3月には鈴木が丸藤からGHCヘビーを奪取したことを皮切りに鈴木軍がNOAHのベルトを制覇することに。
2017年、新日本プロレスの興行の最中に突如として乱入。オカダにゴッチ式パイルドライバーを敢行し、新日本再侵略を開始した。
2019年、引退を表明していた獣神サンダー・ライガーとの最後のシングルマッチを行い、ゴッチ式パイルドライバーで勝利。試合終了後は恩師ライガーに対し、リング上で「座礼」を行った。
補足
- 鉄拳シリーズにおいて、キングのモーションキャプチャーに参加。この際、「ベルウッド・スペシャルコンボ」と自らの名前がついた技を残している。
- 2007年、全日本沖縄大会に参戦するため沖縄を訪れたが、その際に与那原警察署で一日署長を務めた。しかし東京スポーツに「みのる逮捕」なる見出しが載っていた。
- 中村あゆみの大ファンで、入場テーマ曲は中村あゆみに直接製作を依頼したオリジナル曲『風になれ』である。会場ではリングインする瞬間にくる「かっぜにぃなれー♪」の部分で大合唱が起こるのが定番。
- NOSAWA論外興行でたびたび登場した超獣コンビの一角、ブルーザー・ミノディとの面識が深いらしい。
- 同じNOSAWA興行で登場したドス・ミル・シエテ・ベルウッドとも親交が深いらしい。
- 実はかなりのゲーマーであり、『FFIV』と『クロノ・トリガー』のファン。DSリメイク版が発売された際、ファミ通にレビューを書いたこともある。
- ONE PIECEのファンであることも公言しており、悪魔の実を意識した剃りこみにしていたこともある。
原作者、尾田栄一郎とも親交があり、2007年のアニメ版では「風野みのる」として声優デビューを果たした。さらに2015年には本人公認の形で鈴木軍加入を果たしている。
また、『SMAP×SMAP』で行われたワンピース王決定戦では堂々の優勝を果たしている。
関連項目
- 1
- 0pt