概要
1962年にTBSにアナウンサーとして入社。翌1963年、ジョン・F・ケネディ暗殺の第一報を伝えた。
しかし、その後社内で実質的な左遷に遭い様々な部署を転々とする。1983年にようやくアナウンサーとして復帰し、1998年の定年退職まで活躍した。
アナウンサーとしてテレビ画面に復帰した後も、一時期夕方ニュースのヘッドラインのリーダーを務めた以外は、主にナレーションや週末夜のニュースを一貫して担当しており、報道番組における彼の立場は必ずしもライトアップされたものでではなかった。
画面上ではアナウンサー然としたお堅いイメージの人物であったが、定年に近づいた頃、
など、コミカルな仕事における意外性が受け、TBS退社後も数々のバラエティ番組などで活躍している。
「鈴木史郎」と誤変換される場合が多いが、「ロウ」の字は「朗」が正しい。
高齢ゲーマー
老齢だが大のゲーマーであり、特にバイオハザードシリーズは全作所有している。
1978年。スペースインベーダーでテレビゲームデビュー。1980年代はファミコンで「スーパーマリオブラザーズシリーズ」「グラディウスシリーズ」「魔界村シリーズ」といった高難易度のゲームを嗜む。元々は娘のために買ったものだったが、自分が一番ハマってしまう。
1996年。「からくりTV」の忘年会でプレイステーションを獲得。娘から「バイオハザード」のソフトをプレゼントされ、完全にバイオハザードの世界にのめり込む事になる。
2008年元旦に放送されたカワズ君の検索生活でその腕前が披露され、冷静な面持ちで普段の鈴木史朗からは想像も出来ない言葉(『焼きます』『ぶっ殺します』など)を織り交ぜ、淡々と実況プレイしていく様が大きな反響をよび、ニコニコにアップされるやいなやたちまちランキング上位に入る人気を見せた。
その後もいくつかバイオハザード関連の実況収録をしている。その際は必ずといっていいほど自前のセーブデータを持参して腕前を披露するのが恒例となっている。
最近、CAPCOM公式の動画に登場した際は、プレイ中に「CAPCOMの野郎……」と口走ってしまっている。
なお、原作ゲームの世界観をこよなく愛しているためか、実写版のバイオハザードはあまり好きではないと公の場で発言している。お気に入りのキャラクターはレオンとジル。現在の「バイオハザード4」の「マーセナリーズ」のハイスコアは20万5370点。このゲームは初見では1万点行けば凄い方。6万点行けば一人前。10万点行けば上手い人と一概に言われる。20万5370点がどれだけ凄いか、おわかりいただけただろうか。
ゲームをやりすぎたおかげで反射神経が研ぎ澄まされてしまっており、自動車の教習所で免許更新をした際、教官から「反応が良すぎて逆に危険だ」という評価を受けた。
エピソード
- 学生時代に急性虫垂炎を患い手術することになったが、執刀医が元軍医であり、執刀直前に「鈴木、君は日本男児か!?」と聞かれ「はい!」と答えると「なら大丈夫だな」と言われ、麻酔なしで手術を受けることになったという。麻酔なしの方が治癒が早い、という判断だったらしい。
- 史朗さんの小国民時代は「特攻隊に行って戦死する」のが夢だったらしい。
- 同じく老齢のゲーマーとして有名な加山雄三とも交流がある(主にゲーム友達的な意味で)。
- TBSのアナウンサー時代、火事で十一人が焼け出されたニュース速報の原稿を受取った際、原稿が縦書きでかつ数字が漢数字で書かれていたためか、「土人が焼け出されました」と、こともあろうに放送禁止用語と読み間違えてしまったことがある。
関連動画
関連静画
関連コミュニティ
関連項目
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