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鈴木尚広(すずき たかひろ、1978年4月27日-)とは、福島県出身の元プロ野球選手(スピードスター)である。現役時代は読売ジャイアンツに所属し、代走の切り札として活躍した。
概要
読売ジャイアンツ #82 二軍外野守備走塁コーチ |
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鈴木尚広 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福島県相馬市 |
生年月日 | 1978年4月27日 |
身長 体重 |
180cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投両打 |
守備位置 | 外野手、二塁手 |
プロ入り | 1996年ドラフト4位 |
引退 | 2016年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
同じ生年月日生まれに声優の望月久代、元子役の間下このみ、格闘家のノブ・ハヤシがいる。実家は「すずや」という精肉店と焼肉店を兼ねた店を経営している(ズームイン!!サタデーで紹介された)。
福島県立相馬高校から1996年のドラフト4位で入団。背番号は68。入団当時は右打ちの内野手だった。俊足の評価は高かったものの、スペ体質だったこともあってしばらく二軍暮らしが続く。そのうちに両打ちを経て左打ちの外野手に転向。
2002年、機動力野球を掲げる原辰徳監督のもとで一軍に抜擢され、主に代走で出場。日本シリーズでも2盗塁を決める活躍を見せた。
2003年は二塁も兼任し準レギュラーとして104試合に出場する。しかし原が辞任し堀内政権になると再び代走要員となり出番が減少。それでも代走から高い成功率で盗塁を決め、チームトップの盗塁数を記録していた(2004年は9盗塁でチームトップ。いかに巨人の盗塁数が少なかったかが伺える)。
2006年に原辰徳が監督に復帰すると再びレギュラー争いに加わり、中盤から高橋由伸の離脱で1番・センターに。このシーズン中に対左の打率改善のためスイッチヒッターに再転向した。この年のオフに背番号を12に変更した。その後、レギュラーと代走要員を行ったり来たりしながら盗塁を稼ぎ、一軍で働き続けた。
2008年は夏場から1番センターに定着し、巨人では緒方耕一以来となる30盗塁をマークして優勝に貢献、ゴールデングラブ賞も受賞した。埼玉西武ライオンズとの日本シリーズにも全試合1番打者として出場。4打点を挙げ優秀選手に選ばれた。
2009年は開幕スタメンの座をつかむも自身の不調と松本哲也、亀井善行の台頭もあり代走、守備固めの機会が多くなる。それでもチームトップの25盗塁をマークし、チームの日本一に貢献。
2010年は長野の加入、高橋由伸の復活もありさらに出場機会が減少。出場61試合、25打数、10盗塁と大幅に成績を落とした。オフには出場機会を求めFA宣言が噂されていたが、残留。
2011年も相変わらず代走要員だったが、90試合68打席と前年より出場機会は増え、チーム3位の18盗塁をマークした。この年、シーズン中にスイッチヒッターから右打ちに再転向。
2012年はとうとうスタメン出場0に終わったが91試合に出場、16盗塁をマーク。オフに2年契約を結んだ。
2015年5月3日の対阪神タイガース戦では、いつも通り終盤の代走で登場すると、相手のバッテリーミスから1塁から3塁の好走、その後打者寺内のスクイズに3塁からの見事なベースランで得点をもぎ取る。その後打席が回ってくると、6年振りとなるホームランを放ち、ダメのダメを押し阪神にトドメを刺した。この年、監督推薦でプロ入り19年目にしてオールスター初選出を果たした(川藤幸三と並んで史上最遅記録)。
2016年10月13日、会見を行い引退を表明した。「すっきりとした一言に尽きる。もう悔いはない」と述べた。
なお、引退表明直前の10月10日の試合で村田修一の代走として出場したが、ピッチャーの田中健二朗に虚を突かれ牽制死となっている。これが彼の最後の出場だった。
そのため、一部ではこの結果が引退表明のきっかけになったのではないかと言われている。
引退後
野球解説者を経て、2019年から読売ジャイアンツの一軍外野守備走塁コーチを務める。一度退団して野球評論家を務める。Youtubeチャンネルも立ち上げていたが、2024年に巨人に二軍外野守備走塁コーチとして復帰する。
代走のスペシャリスト
球史を代表する走塁のスペシャリスト。一軍に定着した2003年以来、シーズンを通してレギュラーだった年は一度も無いにも関わらず、2009年まで7年連続でチーム盗塁王。2010年以降もチーム3位内の盗塁数を記録し続けている。
通常バッテリーに厳しく警戒される代走での出場でも、極めて高い盗塁成功率を記録する俊足と走塁技術の高さは「神の足」と讃えられ、専ら試合終盤の代走の切り札として出場した
2014年4月29日の東京ヤクルトスワローズ戦で史上72人目の通算200盗塁を達成した。一度も規定打席に到達せずに200盗塁を達成したのは鈴木が初めてである。
2015年のオールスター初選出の際「オールスターに代走枠を設けるべき」と発言し、議論の的となった。
人物・その他
2007年から2008年まで、チームに同姓の鈴木誠が所属していたため、スコアボードに「鈴木尚」と表示されていたが、横浜ベイスターズの鈴木尚典(すずきたかのり)と表記・読みが同じだったため、紛らわしいとよく言われていた。2009年は「鈴木」表示に戻ったが、2010年から「縁起が良い」との理由で再び「鈴木尚」表示になっている。
「足のスペシャリスト」としてのイメージが強すぎるため走塁一辺倒の選手とも思われるが、毎年規定打席不足ながら.260以上をマークしており決して貧打ではない。守備も2008年にゴールデングラブ賞を受賞している。そんな鈴木がレギュラーに定着できなかった最大の理由は怪我がちな体質であった。
入団から右打ち→両打ち→左打ち→両打ち→右打ち→両打ちとコロコロ変えている。
2016年、離婚調停中であることが報じられた。主なきっかけは、2013年に警察沙汰の夫婦喧嘩を起こしてのこと。
過去には妻が暴行(DV)を受けたとの件で告訴されているが、不起訴となっている。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#153 | 8755 | ![]() |
成績
通算打撃成績
通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1130 | 1463 | 1339 | 375 | 355 | 39 | 12 | 10 | 75 | 228 | 40 | 2 | 73 | 9 | 244 | 18 | .265 | .307 |
表彰・その他
表彰 | ||
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ゴールデングラブ賞 | 1回 | 2008年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 1回 | 2015年 |
関連動画
関連項目
外部リンク
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