鈴木貴男単語

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スズキタカオ
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鈴木貴男すずき たかお)は日本の元テニス選手である。

概要

1976年生まれの北海道出身。ランキング100位をえたことはいが松岡修造引退後から錦織圭登場まで、長い間日本男子テニス界における希望だった。昔ながらのサーブボレーヤーでとにかくネットに出てボレーで勝負するタイプ。体格の割に強サーブボレーの巧さはさすがだが、残念ながらストロークが貧弱過ぎて時代の流れに合わなかったようだ。最高ランキング1998年記録した102位、2000年代に入ってからも何度か100位近くまでは行ったが、そこから先には進めなかった。せっかくランキングを上げながら故障で落としてしまうこともしばしば。近年はすっかり活躍の機会が少なくなり、ランキング1000位以下まで落ちていた。コーチテレビ解説仕事をこなしつつ、細々と下部大会で現役を続けてきたが、2020年になってついに現役引退を表明した。最後の大会優勝2015年グアムフューチャーズだったが、38歳にして初めてのフューチャーズ優勝だったという。

ATPツアーではベスト8が数回ある程度で大きな活躍はできなかった。下部大会のチャレンジャーレベルで16回もの優勝がありながらツアーレベルで活躍できなかったため、チャレンジャーキングと言う人もいる(判りやすく言えば「2軍帝王」の意でありほめ言葉ではない)。ロジャー・フェデラーと2度対戦しており、1度2005年オープン2回戦ではストレートで敗れたものの、クラシカルなサーブボレスタイルに歓が上がったと言う。2度の対戦は2006年ジャパンオープンで、このときは故障で1000位台までランキングを落としていたが、最終セットタイブレークまでもつれる戦を演じて話題となった。鈴木コート特性を熟知しているジャパンオープンでは2桁ランクの格上選手にも何度か勝っており、この年もタイパラドン・スリチャパンを破ってのベスト8だった。また2005年ジャパンオープンでは岩渕聡とのペアでATP史上初となる日本人ペアによるダブル優勝を挙げている。

長い間、日本男子テニス界の中心選手だったためデビスカップでも活躍している。引退時点で日本代表チーム記録はデ杯公式ページに記載のある全部門で1位である[1]

主な実績

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関連項目

脚注

  1. *こちらexitを参照。単複合計勝利数41、シングル勝利数27、ダブル勝利数14、ダブルスチーム勝利数(岩淵とのコンビ)9、出場回数31、出場年数15。シングル勝利数のみ福井 とのタイ記録

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