「おー!提督じゃん!ちーっす!」
鈴谷(すずや)とは、大日本帝国海軍所属の最上型重巡洋艦3番艦「鈴谷」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場するカレー好き艦娘(かんむす)である。
担当声優はブリドカットセーラ恵美。担当イラストレーターはコニシ。
なんかマジ退屈なんだけど、概要しないの? がいよう!
最上型重巡四姉妹の三女。2013年7~8月のイベントにて、3面クリア報酬として実装された[1]当時は、同じく4面クリア報酬の戦艦「大和」と同様に、持っている提督はそこまでおらず、加えて「大和」との圧倒的な知名度の差のため、あまり話題に上がることも少なかったりした。
約1ヶ月の間を置いて、10月5日のメンテナンス以降、建造が可能となり、夏イベント新登場の水上艦娘としては先陣を切って一般にも入手可能になった(潜水艦2人はその前からドロップが実装されていた。また、妹の「熊野」の建造・ドロップが実装されたのはその後)。
最上型重巡洋艦の一隻なのだが、妙にレア度が高い。現在ではドロップ海域が増えてきたものの実装当時では期間限定のイベントを除くと、5-3のボスドロップと建造以外に入手経路は無く、妹の熊野ともどもレア艦として提督を悩ます存在となっていた(なお、当時は熊野の方はボスドロップすらせず、完全に建造頼みなので入手難度は熊野が上だった)。
その後、長らく待たされて2月26日のアップデートで追加された5-4「東京急行」、5月23日で追加された2-5「沖ノ島沖戦闘哨戒」のボス撃破でも(妹の熊野とともに)ドロップが確認されたが、どれもドロップで入手するには高い練度が要求される海域となっている。(とはいえ五指に入る難易度を誇る5-3で狙うよりはよっぽど現実的)
そのため鈴谷を狙う提督たちは建造に望みを託す事になるのだが、艦隊へ迎え入れるには恐怖のWBCを打ち砕く強運が必要となる。ヒエー!
一応、戦艦レシピや大型艦建造のハズレとして入手できる可能性はある。全く別の艦娘を狙って建造をし、鈴谷を入手した提督も結構多い。思わぬところで出会いがあるかもしれない。しかし大型艦建造でもWBCの魔手は迫る。
妹の「熊野」と同じ茶色のブレザーに身を包む。水色のロングヘアが印象的な艦娘。口調がやや乱暴で「~じゃん」「ちーっす」「あざーっす」「きんもー!」と、いわゆるギャル語を連発するのが、お嬢様然とした「熊野」とは好対照である。
姉の「最上」「三隈」と服や絵師が異なるのは、史実にあるとおり「鈴谷」「熊野」は設計変更されたためであろう。
中破絵(特に改造後)を見ると判るが、「熊野」とは違って結構立派なものをお持ちである。ただ、中破するとそれまでのイケイケな感じから一転して本気で恥ずかしがるところから、遊んでいる風で実は処女という二次設定が付けられたとも。また、好対象な妹・熊野とのイチャイチャコンビで活躍する二次創作も多い。公式にもこの二人の関係は認知されたようで、四コマでは熊野とじゃれあったり、さらには熊野とともに二人が主役のマンガ「止まり木の鎮守府」が連載された。
最上型重巡なので、航空巡洋艦に改装可能である。改装レベルは「熊野」と同じくLv35。
航空巡洋艦となると、「熊野」同様に飛行甲板を含めた艦後部を模した装備を身につけるが、何故か「鈴谷」は飛行甲板が下を向いた状態で持っており、その形からアイロンとか言われている。
改装後は、雷装を除く全ステータスが向上する。航空機搭載の際に主砲ではなく魚雷発射管を撤去でもしたのか、雷装値だけは重巡時代と変わらずである。
弾は命中しなかったのに、至近弾で魚雷や弾薬に引火して沈没したという薄幸な出来事に基づいて鈴谷は運は5しか無かったが、改装をする事で標準並みに上がる。
航空巡洋艦なので瑞雲や試製晴嵐といった水上爆撃機を搭載可能。対潜や開幕の航空攻撃に参加出来るようになる。
2014年4月23日に行われた水上機に関する大幅なアップデートによって水上機搭載の重要性も飛躍的に増しているのだが、水上爆撃機を搭載していた場合、敵方に潜水艦がいた場合、他の敵艦そっちのけで潜水艦を狙うというメリットともデメリットとも取れる行動をするようになる。水上爆撃機を搭載せず水上偵察機を搭載すれば普通に敵艦を狙うようになるが潜水艦への対抗手段は無くなる。自分に似合う方を選ぼう(後述するさらなる改装で解決出来るようになっているが・・・)
ちなみに姉である最上と三隈は航空巡洋艦に改装された際には専用の台詞が追加されるのだが、鈴谷(と熊野)にはなぜか追加されず、航空巡洋艦になっても編成時には重巡と言い続けるばかりであったが、下記の改二実装に伴い鈴谷改でも「最上型航空巡洋艦、鈴谷。いっくよー」と言うように、実に3年越しで更新された。
とある任務に、航空巡洋艦が2隻必要になる。航空巡洋艦の枠組みに当てはまるのは、現時点では最上型重巡の最上改、鈴谷改、三隈改、熊野改の4種。さらに2014年4月23日にて利根型重巡姉妹が改二で航空巡洋艦に改装できるようになったことで6種類に増えた。比較的容易に手に入る最上改で1隻は何とかなるにしても、残りの最上型重巡は軒並みレア艦で入手が難しい。利根型重巡姉妹は最上と同程度の入手難易度であるものの航空巡洋艦への改装に必要なレベルと他の条件をクリアする難易度が高い。もし運良く鈴谷が手に入ったのなら大切に育てておこう。慢心ダメ、ゼッタイ。
時報セリフを聞く限り、夜は早めに寝てしまう「熊野」とは違って夜型らしい。どこぞの夜戦バカと話が合うのかもしれない。
めりくりめりくり! 提督、めりくりだよー
2016年12月22日のメンテナンスの前から、鈴谷と思われるグラフィックの一部分が運営の公式ツイッターにて公開され、限定グラの実装かと提督達の期待を煽っていた。
そして、相方の熊野(こちらはサプライズ実装)と共に、予想通り鈴谷にXmasモードとしてサンタ衣装の限定グラフィックが実装された。
鈴谷のボディコン風サンタ衣装は、その豊満なボディラインを惜しげも無くさらしたもので、特に「さらに成長した」と称される分厚い胸部装甲に(一部の)提督達の視線は釘付けとなった。事実上、2016年クリスマスの話題をかっさらった存在であり、僅か数日で多数の静画が投稿されたところからもその衝撃度合いが測れよう。
最上型航空巡洋艦鈴谷いっくよ・・・ってあれ?空母だっけ?あれれ??
2017年4月5日のアップデートで改二が実装・・・されたが、事前に公式ツイッターにて公開されていたグラフィックで見えた主砲やスカートから、航空巡洋艦としての改二であるのが予想され、実際「航空巡洋艦としても」実装された。
が、鈴谷の改二はそれだけでなく、何と攻撃型高速軽空母『航改二』も同時実装されたのである。異種艦種変更は既に航空機を主体として運用していた水上機母艦⇒甲標的母艦⇒軽空母の千歳・千代田姉妹の頃から実装されていたが、砲撃戦が主体である巡洋艦から航空戦が主である空母への改二は鈴谷が初めてである(畑違いの艦種から空母へ、という流れは大鯨→龍鳳があるが)。
これは鈴谷の妹に当たる「改鈴谷型巡洋艦」の「伊吹」が建造中に戦局の移行によって巡洋艦の存在意義が疑問視された中で軽空母への改装を実施された史実に基づいてる(なお、伊吹の史実を踏まえて「鈴谷の改二は軽空母になるのでは?」という予想も一部の提督の間ではあった)。ちなみにその「伊吹」は完成しないまま終戦を迎えている。
航空巡洋艦改二
航空巡洋艦改二はレベル84+改装設計図にて改装可能。先に実装された利根・筑摩の改二と比較すると火力や装甲・索敵といった巡洋艦としての能力は一歩劣るが、雷装がそれまでの重巡トップである妙高改二と同等の「88」であり、艦載機の搭載数も利根筑摩の改二18機を上回る24機でスロット配置も「3・3・7・11」と、砲撃戦の安定感を減らしつつも航空戦や夜戦攻撃に特化したステータスである。
それまで左腕に手甲状に装着する形で持っていた航空甲板がベルトによる肩掛け式に変更され、右手に主砲である20.3cm連装砲を装備しているが、後述する航改二との兼ね合いのためか無装備での加入になるので改装後は装備の見直しが必要になる。
そして、改二になると鈴谷(と熊野)のトレードマークと云える茶色のジャケットの前ボタンを外して、下に着込んでいるカーディガンと共に豊かな胸部装甲を惜しげも無く披露しているばかりか、さらに航空甲板を掛けている赤い肩掛けベルトが見事なπ/を演出している・・・(姉妹艦は泣いてもイイ)さらに中破すると以前は見えなかった紫の下着がチラ見えするというサプライズも用意された。
攻撃型高速軽空母・航改二
攻撃型高速軽空母への改装はレベル88に加えて、更に改装設計図が要求、つまり改から航改二にするには設計図が2枚必要になるので注意。航空巡洋艦の艤装に代わり、右手には大鳳が装備するのに似たボウガンを持ち、肩掛けしている航空甲板も空母のものに様変わりしている。ちなみにこちらの下着は「黒」である
注目すべきはそのステータスで火力が「56」とそれまでの軽空母トップの火力だった隼鷹改二・龍驤改二(火力40)を大幅に上回り正規空母である瑞鶴改二と同値で中型艦のカテゴリーとしては破格の高火力を出せる。17年11月に追加された「戦爆連合クリティカル」(艦戦・艦攻・艦爆のセットによるカットイン攻撃)を発動させれば状況によってはダメージキャップ値に余裕で到達するほど。
また、航巡時代と変わらぬ装甲・耐久値を持ち、軽空母カテゴリでは随一の打たれ強さを持つのも魅力の一つ。
更に巡洋艦時代の射程「中」もそのままなので他の空母より先手が打て(2018年2月21日に射程「長」の瑞鳳改二乙が実装された)、火力以外でも軽空母堂々のトップクラス(回避以外の全ステータスが実装時点で1位)。
代わりに巡洋艦改装空母という出自からか搭載機数が47機(スロット配分は15・12・12・8)と祥鳳・瑞鳳の改と同程度と、軽空母として順当に強化された隼鷹・龍驤の改二と比べ癖が強い能力といえる。また各スロットとも搭載数が少ないため、相手の対空攻撃次第ではあっという間に全滅してしまい砲撃戦では棒立ちになる事も少なくない。そのため各スロットに搭載する機種・艦隊に組み込む他の空母との組み合わせが重要になっている。
この鈴谷航改二(17年6月6日のアップデートで熊野航改二も加わった)の艦種として新設された「攻撃型高速軽空母」とは、カテゴリーとしては「軽空母」に属するが
・敵艦隊に水上艦が居ない場合、潜水艦を攻撃する
・水上艦が居る場合は水上艦を優先して攻撃する
というそれまでの軽空母とは逆の挙動をするのが特徴である。そのため、潜水艦と水上艦が入り混じった艦隊を相手する場合はそれまでの軽空母だと潜水艦に攻撃を集中して空母の火力が活かせないといったシーンでも水上艦を攻撃してくれるため、撃ち洩らしが減るメリットが発生すると云える。17年に追加された軽空母の派生である『護衛空母』と比較すると水上艦特化の攻撃型軽空母、潜水艦特化の護衛空母と云える。
尚、前述の改二とは、いわゆるコンバート改装が可能で、航改二に改装後も任意で改二に戻すことができ、さらにこの時は改装設計図は必要ない。
但し改二から航改二へのコンバートは毎回設計図が要求されるため改装には慎重に当たりたい。
なお、艦種が異なるコンバート改装はこの鈴谷が初である
(コンバート仲間の先輩である翔鶴・瑞鶴改二甲は正規空母→装甲空母であるが、18年5月時点で装甲空母によるルート固定や変更は確認されていないので現時点では正規空母扱い)
ここから私は史実の時間!
最上型重巡3番艦「鈴谷」は、1933年12月11日に横須賀工廠第二船台で起工。1934年11月20日に進水した。
鈴谷の進水式には昭和天皇が臨幸される事になり、失敗が許されない状況であった。海軍大臣や鎮守府司令長官、そして多くの大衆が見守る中、事件は起きる。命名が終わって盤木を外そうとした時、思わぬ事態が発生する。なんと船体が重すぎて砂袋が潰され、キール砂盤木が外せなくなってしまったのだ。愕然とした関係者は慌てて空気ホースを持ち込み、強引に取り外そうとするが、なかなか終わらない。昭和天皇や海軍大臣は直立不動のまま、船体が滑り出すのを今か今かと待っている。昭和天皇を待たせた事により関係者は青ざめ、作業員は焦燥し、気まずい空気が流れ始める。取り外し作業は10分ほどで終了。盤木は取り除かれ、鈴谷の船体はするすると滑り始めて、ようやくその身を海上に落とした。これにて進水式は完了し、関係者や大衆はホッと胸を撫で下ろしたのだった。命名式開始から進水完了までの時間は約27分ほどと言われているが横須賀工廠にとってこの時間は異例の長さであった。この反省から、いつでも盤木を削り取れるよう、盤木ブロックに鋸目を予め入れておくようになり、空気ホースやタガネも現場に置かれるようになったという。
鈴谷がやんちゃな性格をしているのはこの一件に起因しているのかも・・・しれない。
妹の「熊野」とは同日の竣工であり、この2人は金剛型戦艦の「榛名」「霧島」と同様に双子と言えなくもない。
建造中に友鶴事件が発生し、その結果極めて無理のある設計と判断された鈴谷には急遽設計の変更がなされた。甲板の高さを低くすると同時に重心を降下させ、重量を軽くするなど改良、性能が改善された。
1935年11月10日から各種公試運転を開始した鈴谷であったが、その2ヶ月前の9月に第四艦隊事件が発生。姉妹の最上と三隈が巻き込まれ、二隻の被害こそ軽微であったが帝國海軍を揺るがす大事故を前に、鈴谷は再度設計の見直しを迫られる事となる。公試運転を中止し、第四艦隊の惨劇を軽微で乗り切った最上・三隈に準じた船体の改装を行った。そして1937年10月31日に改装完了。横須賀海軍工廠で竣工した。
前述したとおり、「鈴谷」「熊野」は最上型とはいえ設計変更されているところから、改最上型、もしくは鈴谷型と呼ばれることもある。
本人も図鑑で言っている通り、名前は樺太の鈴谷 [2]川[3]からとられている。
1938年4月9日、佐世保を出港し華南方面で活動。台湾を拠点とし10月23日まで活動を続けた。12月15日、予備艦となり横須賀工廠で主砲換装工事に着手。翌年2月に完了した。その後も3月27日から華南方面に出撃している。
1941年1月23日、鈴谷は支那方面艦隊に編入され仏印進駐。続けて海南島、サイゴン沖へと派遣された。
さて、同日に生まれた「鈴谷」と「熊野」は、以降ずっと共に、激戦をくぐり抜けていくことになる。
開戦直前の12月4日、マレー作戦に備えるため柱島を出撃。開戦当時は第7戦隊に所属し、司令に栗田健男少将を据えた。この第7戦隊は南遣艦隊司令官小沢治三郎の指揮下にあったため鈴谷は南方方面へ投入される事となった。
開戦後はマレー上陸作戦の支援、ボルネオ島攻略支援、サラワク及びブルネイの上陸支援、アナンバス攻略作戦支援、パレンバン攻略支援、北部スマトラ上陸支援、バタビア沖海戦、アンダマン作戦などに参加。緒戦の快進撃を支え、東南アジアから連合国海軍を一掃する事に成功する。
そして4月1日、鈴谷と熊野は東インド洋に行動範囲を移し、ベンガル湾を中心に通商破壊を開始。6日、日本機動部隊の空襲から逃れるため、カルカッタを脱出してきたイギリス船団を発見し攻撃。貨物船オートリカス、兵員輸送船マルダ、貨客船インドラ、貨物船シンクァンとシルクワースを撃沈する。6隻中5隻を沈められた船団は壊滅した。
その後も通商破壊を続け、鈴谷は合計で7隻のイギリス商船を撃沈した。その時、鈴谷の艦長を務めていた木村昌福大佐は人命第一の戦術を取った。攻撃を受け、白旗を揚げた敵商船を確認すると攻撃をやめさせ、乗組員がボートで脱出してから敵商船を砲撃・撃沈した。
また攻撃の仕方も、高角砲で敵船の船底部を撃ち抜くという被害の少ない方法で撃沈。砲撃を加えている敵船に脱出する船員がまだ残っていた事を知った時には、わざわざ射撃の中止を命じ、完全に脱出が終わってから改めて攻撃の命令を出している。
1942年4月11日、通商破壊を終えてシンガポールへ帰投。続いて呉軍港へ向かい、入渠する。同年5月22日、ミッドウェー攻略支援のため柱島を出撃し、グアム経由で作戦海域へ向かった。
数々のエピソードを持っている鈴谷だが、その中でも特筆すべきエピソードは、かのミッドウェー海戦。
当時所属していたのは第2艦隊第7戦隊。ここにはミッドウェー海戦の前に「最上」「三隈」も転属してきて、最上型4姉妹揃い踏みとなっていた。しかし、これが最初で最後の揃い踏みとなってしまう。
ミッドウェーでは4空母が沈没したのが有名だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。撤退命令が出た直後、敵潜水艦を発見して回頭した「最上」と「三隈」が衝突、「最上」が大破してしまう。
艦首が折れた「最上」と、その護衛に付いた「三隈」は駆逐艦「朝潮」「荒潮」と合流しトラック島方面へ撤退していたが、今度は米軍の大空襲を受け[4]、これによって「三隈」は大破する。
一方、その場から全力で離脱した第7戦隊の旗艦「熊野」には「鈴谷」は従わなかった。「我に続け」の信号旗を掲げる「熊野」に対し、「鈴谷」の艦長は「我機関故障」と伝え、わざとゆっくり進み、その後反転して姉を救うべく戦場に戻った。結果的には間に合わず、「三隈」は燃え尽きて廃墟と化していたが、その乗組員を救出した後、「三隈」に自ら雷撃処分を行い、介錯をしている[5]。
この時、旗艦「熊野」で2隻をトラック島方面へ撤退させる決断をしたのが、後の栗田ターンで有名になる栗田少将、そして味方を助けに戻った「鈴谷」艦長こそ木村昌福大佐である。木村大佐はその後、第3水雷戦隊司令を経て、第1水雷戦隊司令に着任し、「キスカ撤退作戦」に携わることになる。
ただし、この「鈴谷」反転に関しての情報源は、今のところ鈴谷乗組員の証言のみで、他に裏付ける記録はまだ発見されていない。
ミッドウェー島攻略が失敗に終わった後、鈴谷は1942年6月13日に一度トラックへ寄港。その後、同月23日に呉軍港に帰還し船体と兵器を整備した。第3艦隊第7戦隊へと配置換えとなった鈴谷はシンガポールへ向かい、再度ベンガル湾にて作戦行動を行う。
7月29日、インド洋通商破壊作戦に従事していた鈴谷はオランダ潜水艦「O23」から3本の魚雷を撃たれる。辛くも回避した後、第二駆逐隊とともに爆雷攻撃を仕掛け、追い払う。
それからは「最上」が修理のために戦隊を離れ、「鈴谷」は「熊野」と共にソロモン方面の作戦に従事。8月24日の第二次ソロモン海戦や9月26日の南太平洋海戦に参加。南太平洋海戦では空母を護衛する前衛艦隊として参戦していたが、その途中で敵航空隊によって左右両方から同時に魚雷を放たれる。どちらに回頭しても、もう一方の魚雷群に命中してしまうという絶体絶命の危機に、木村艦長は「まっすぐ行け」と命令。鈴谷は直進した。それでも命中は必至・・・だったのだが命中確実と思われた方向の魚雷群が深度の設定を誤ったらしく鈴谷の船底を通り抜けるという奇跡が起きる。その結果、一発も被雷する事無く危機を脱した。それなのに運が5って一体・・・。
1942年11月には「摩耶」と共にガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に砲撃を行っている。しかし重巡の砲撃程度では飛行場を完全に破壊する事は難しく、戦果は駐機していた敵航空機を幾つか破壊するに留まった。
12月25日からはカビエンへの兵員輸送に従事。一度は敵機に発見されて反転するも、揚陸には成功した。
年が変わって1943年では、特に海戦には参加しておらず防空隊の輸送や物資輸送、訓練、船体の整備など、南方方面の各拠点や内地を行き来している。
6月16日、ラバウルへ進出し同月22日まで第五防空隊の輸送任務に従事した。
7月20日、クラ湾方面で作戦行動中にヘンダーソン基地から出撃したB-25や米軍機の空襲を受ける。指揮下の駆逐艦「夕暮」「清波」が撃沈され、相方の熊野も損傷する被害を出す。
1943年11月5日に第一次ラバウル空襲が発生。米機動部隊が放った大編隊がラバウルを空襲し、鈴谷と最上は損傷。最上を護衛しつつトラックへ移動する。
12月3日、熊野とともに兵員を積載。駆逐艦「谷風」に護衛されてカビエン輸送任務に励む。27日に米軍機に発見されて反転するも、続31日まで兵員輸送が続けられた。
翌年1944年2月21日、リンガ泊地へ進出。あ号作戦に向けて訓練に従事する。6月19日、マリアナ沖海戦が生起。鈴谷もこの大海戦に参加。熊野や最上も一緒に参戦したが特に戦闘は起きなかった。しかしこの海戦で帝國海軍の機動部隊は壊滅する事となってしまう。海戦後、沖縄の中城湾へ帰投。
7月8日、陸軍の部隊を呉からシンガポールへ輸送。同月16日には再びリンガ泊地へ進出し、捷号作戦に備えて訓練。
その後、1944年10月にレイテ沖海戦が生起。22日、第一遊撃部隊第二部隊としてブルネイを出撃する。25日、「利根」「筑摩」の利根型姉妹を加えた陣容でサマール沖海戦に参加した第7戦隊だったが、引き続き旗艦を勤めていた妹の「熊野」が駆逐艦の雷撃を受けて艦隊から離脱。そして、これがこれまで常に行動を共にしてきた「熊野」と「鈴谷」の今生の別れとなった。
離脱した「熊野」から第7戦隊旗艦を受け継いだその直後、「鈴谷」も米軍の猛攻撃を受ける。直撃こそなかったものの、至近弾によって右舷の魚雷が誘爆し、さらに左舷の魚雷、弾薬が次々と誘爆、手が付けられない状態になり、航行不能、そしてついに爆発轟沈する。
総員退去準備が発令され、「鈴谷」より「利根」に移乗した司令より駆逐艦「雪風」と「沖波」に救援任務が命じられたものの、「雪風」には既に十戦隊から原隊に復帰せよという命令が出されていたため「沖波」だけが救援に当たることになった。乗員87名が死亡し、564名が行方不明、寺岡艦長以下415名が救助された。12月20日、除籍。
「鈴谷」の名を持つ艦としては2代目[6]。戦後は、ご存知の通り樺太は終戦のどさくさでソ連に占領されたままになっているためか、その名を継ぐ艦は現時点ではない。
ほーい、提督あての関連動画だよ~
あざーっす。関連静画大好き~
通常
めりくりだよ~
おおーう、関連コミュニティじゃ~ん
関連項目は大切じゃん?
- 艦隊これくしょん~艦これ~ 艦これの関連項目一覧
- 重巡洋艦(艦これ)
- 改二
- 最上型重巡洋艦
- 南方海域強襲偵察!
- 沖波(艦これ)
- ブリドカットセーラ恵美 / ブリドカット艦隊
- コニシ艦隊
- 鈴熊
- 艦隊これくしょん-艦これ- 止まり木の鎮守府
- 処女ビッチ
- 航巡丸
2013年夏イベント 『南方海域強襲偵察!』 新規実装艦娘 | ||
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脚注
- *一説によると、本当は「伊19」がクリア報酬の予定だったが、諸事情で実装がイベントに間に合わなかったため、別のイベント用に準備されていた「鈴谷」が緊急登板したとか。
- *詳しくは鈴谷の1~3を参照のこと。
- *一般的に重巡の名前は山の名前からとられているが、最上型重巡は計画時は軽巡だったため、軽巡のネーミングルールである川の名前になっている。
- *米軍は、「最上」達を戦艦や空母を含む機動部隊だと思い込んでおり、それを攻撃できる部隊を送り込んだ。実際には重巡2隻、駆逐艦2隻であり、明らかにオーバーキルであった。
- *ただし、これは命令無視だったせいか、公式の記録には「荒潮」と「朝潮」がやったことになっている。
- *初代については鈴谷の4を参照のこと。
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