概要
三重県北部の市で、人口は約20万人。地名については定説はないが、大海人皇子(のちの天武天皇)が鹿に鈴をつけて増水した川を渡った伝説が有力視されている。市の西側には隣県滋賀にまたがる鈴鹿山脈があり、鈴鹿御前を始めとする様々な説話を生み出す土台となった。東側は伊勢湾に面している。
ちょうど東海道が通っており、古来より伊勢神宮に詣でる旅人が多く行きかっていたため交通の要衝として発展。港町や宿場町が整備され、それに付随する形で人口も増えていった。1937年、日本海軍は鈴鹿を飛行場建設の適地に定め、練習航空隊を開設。翌1938年10月1日に正式に発足した。海軍第二燃料廠のある四日市に近く、交通の便も良い事から鈴鹿が選ばれたと言われている。大東亜戦争では国内拠点の一つとして機能。1944年11月からB-29の空襲が始まると、鈴鹿市内に掩体壕が作られ、航空機の疎開が行われた。1945年に入ると鈴鹿海軍航空隊は鈴鹿海軍第一航空基地に改名し、伊勢湾に侵入する敵艦に特攻を仕掛けるようになった。当時を偲ぶ建物は殆ど残っておらず、跡地と一部の建物のみが残る。
日本海軍の進出をきっかけに鈴鹿市は工業都市の道を歩むようになり、戦後は自動車部品工場などが発達。更に1962年9月には日本有数のレース場である鈴鹿サーキットが開かれ、一躍モータースポーツ界隈の聖地と化した。またサーキットの隣には遊園地も作られている。工業・農業ともに県内トップクラスの生産額を誇り、県の財政を支えている。しかし田舎である事は否めず、若者の流出が続いている。
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