錦織圭(にしこりけい)とは、島根県松江市出身のプロテニス選手。
5歳からテニスを始め、2007年・17歳でプロデビュー。その翌年には四大大会のひとつ、全米オープンでベスト16まで勝ち残るなど早くからその才能を見出され、2014年には日本男子初のATPランキングトップ10入り、同年全米オープンでは日本人初の男子シングル・グランドスラムファイナリストにまで登り詰めた。ツアーで現在11勝を挙げている。
数多くの日本テニス界の記録を塗り替え、世界でも次世代のトップを窺う地位まで登り詰めたスーパースターである。
特に有名なのが、「エア・ケイ」と呼ばれる強烈なジャンピングショット。彼の代名詞でもある。
概要
錦織圭 | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 島根県松江市 |
生年月日 | 1989年12月29日 |
身長 体重 |
178cm 70kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
デビュー年 | 2007年 |
テニス選手テンプレート |
プロフィール
1989年12月29日生まれ。身長178cm、体重70kgと、男子プロテニス選手の中では小柄な体格である。
幼い頃からその才能を嘱望され、2003年、「盛田正明テニス・ファンド」の出資対象となったことで、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー(本拠地はアメリカ・フロリダ)に留学。以降、アメリカを拠点に活動。
2007年・17歳でプロデビューを飾り、翌年にはいきなり全米オープンでベスト16に入ったり、ATPツアー初勝利を挙げるなど噂通りの若き才能としてテニス界をwktkさせるが、その攻撃的なスタイルに身体がついていかなかったのか、1年以上に渡ってあちこちの怪我に苦しむことに。特に、2009年に患った右肘の疲労骨折により、1年近くツアーを欠場し、世界ランキングから名前が消えたこともあった。
怪我も癒えた2010年からは地道に成績を積み重ね、2011年に新しくコーチに迎えたブラッド・ギルバートは錦織に「醜く勝つ」=我慢強い、守備的なテニスを伝授。自慢の攻撃力に加わった新しい武器が、以降の彼の躍進を支えていくことになる。同年10月の上海マスターズでベスト4入りを果たし、世界ランキング30位にジャンプアップ。日本人の世界ランク記録を更新し(前記録保持者は松岡修造の46位)、日本歴代最高のテニスプレイヤーへと成長した。
2012年はツアー2勝目、ランキングも自己最高の15位を記録と、シード選手としての地位を確立しはじめる。2013年は日本人として75年ぶりに全仏ベスト16まで勝ち残るなど、怪我の多発にも耐えて成績を維持。2014年も引き続いて怪我と闘いつつ、新たにコーチに迎えたマイケル・チャンが彼に強靭なメンタルを注入。トップ10を伺える場所で停滞しかけていた彼に、新風を吹き込んだ。
男子テニス界に長年君臨する「ビッグ4」(フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレー)相手にも、互角の戦いを演じ、時には勝利をもぎ取るまでになった錦織。2014年5月にはついに世界ランキング9位を記録し、日本人男子には不可能では…と言われていた「トップ10」に足を踏み入れた。
そして2014年、足親指の手術明け間もなくの全米オープン。ベスト16まで勝ち進んだ錦織は、まずラオニッチ(世界ランク6位)を4時間超えの死闘の末撃破。準々決勝ではワウリンカ(世界ランク4位・2014年全豪チャンピオン)を、こちらもフルセット・4時間超えの末撃破。そして準決勝ではビッグ4のひとり、ノヴァク・ジョコビッチ(世界ランク1位)と対戦。その絶対王者相手に会心のテニスで勝利をもぎ取り、日本人として初のグランドスラム決勝進出を、グランドスラムでのビッグ4初撃破で成し遂げた。
惜しくも決勝ではマリン・チリッチに破れて優勝は逃したが、その後もATPツアーで2勝を積み重ね、またしても日本人男子初、「ツアーで1年を通して好成績を収め続けた選ばれし8人」しか出場出来ない今季最終戦、ATPワールドツアー・ファイナルズに出場を決めた。
2015年、全豪はベスト8まで進み、メンフィス・オープンは大会3連覇を達成。アビエルト・メキシコ・テルセルオープンでは、1回戦のA・ゴンザレス戦に勝利した結果、通算200勝(当時の対戦成績:200勝107敗)を達成した。決勝でD・フェレールにストレートで敗れ、2週連続優勝こそ逃したが、3月2日付けATPランキングにて、日本人選手最高位の4位に浮上した。
主な経歴
ジュニア時代から現在に至るまで華々しい戦歴を収めており、今後もトロフィーの数が増えそうなので主な戦歴に絞って紹介したい。もっと詳しく知りたい方はファンサイトなどをご覧下さい。
グランドスラム戦歴・世界ランク変遷
'07 | '08 | '09 | '10 | '11 | '12 | '13 | '14 | '15 | '16 | |
全豪OP | 不参加 | 不参加 | 1回戦● | 不参加 | 3回戦● | Best8 | Best16 | Best16 | Best8 | Best8 |
全仏OP | 不参加 | 予選● | 不参加 | 2回戦● | 2回戦● | 不参加 | Best16 | 1回戦● | Best8 | Best16 |
全英OP | 不参加 | 1回戦● | 不参加 | 1回戦● | 1回戦● | 3回戦● | 3回戦● | Best16 | 2回戦● | Best16 |
全米OP | 予選● | Best16 | 不参加 | 3回戦● | 1回戦● | 3回戦● | 1回戦● | 準優勝 | 1回戦● | Best4 |
世界ランク | 250 | 63 | 56 | 98 | 24 | 15 | 11 | 5 | 4 |
世界ランクは年度内(1月1日~12月31日まで)に記録した最高位を記載。
オレンジ背景のセルは大会での最高成績。
ATPツアー大会優勝歴
- 2008年2月 デルレイビーチ国際選手権(ATP250)優勝 (18歳1ヶ月で優勝)
- 2012年10月 楽天ジャパンオープン(ATP500)優勝 (日本男子初のATPツアー2勝目)
- 2013年2月 USナショナルインドア選手権(ATP500)優勝
- 2014年2月 USナショナルインドア選手権(ATP250)優勝
- 2014年4月 バルセロナ・オープン (ATP500) 優勝
- 2014年9月 マレーシア・オープン (ATP250) 優勝
- 2014年10月 楽天ジャパンオープン (ATP500) 優勝 (初の2週連続優勝)
- 2015年2月 メンフィス・オープン (ATP250) 優勝 (大会3連覇)
- 2015年4月 バルセロナ・オープン (ATP500) 優勝 (大会連覇)
- 2015年8月 シティ・オープン (ATP500) 優勝 (ATPツアー10勝目)
- 2016年2月 メンフィス・オープン (ATP250) 優勝 (大会4連覇)
特筆すべき戦歴
- 全米オープン本戦デビューとなる2008年大会、いきなりベスト16入り。3回戦で破った相手は当時世界4位のダビド・フェレール。2008年の活躍でATPツアー最優秀新人賞も受賞した。
- 2011年10月17日、上海マスターズでベスト4に入り、松岡修造と自身の持つ日本人男子最高位を大幅に更新し世界ランク30位へ。
- 2011年11月、スイス・インドアにてジョコビッチを破り決勝へ。決勝ではフェデラーに破れ準優勝。
- 2012年1月、日本男子初となる全豪で4勝を挙げベスト8進出。ベスト16では当時世界ランク6位のツォンガとフルセットの死闘を繰り広げる。
- 2014年5月、マドリード・マスターズにて準優勝。決勝の相手はナダルであり、あと一歩で撃破と言うところまで追い詰めたが試合中の怪我により失速。しかしこの結果、世界ランクが9位に上昇。日本人男子シングル初の「トップ10」入りを果たす。
ちなみに、2008年に錦織はナダルと対戦し敗れたものの1セットを奪った。その際ナダルは「彼は数年後には世界トップ10、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」と予言した。それがリップサービスではなかったことを、錦織は6年後にナダル本人との戦いで証明した。 - 2014年9月、前述の通り全米オープンにてグランドスラム決勝にたどり着く。男女通じて日本人初、アジア出身プレーヤーとしても男子シングルでは初。惜しくも準優勝に終わったものの、世界ランクを8位に上げてスリチャパン(タイ)が持っていたアジア出身プレーヤーの男子シングル世界ランク最高位記録、9位を11年ぶりに更新した。
- 2014年ATPツアー・ファイナル。ジョコビッチとの対戦で1セットを奪取。これが地味な快挙で、ジョコはこれまでインドア大会で12試合連続のストレート勝ちを収めていた。記録を錦織に止められた事が面白くなかったか、ジョコビッチは試合終了後恒例のカメラへのサインの時、点しか書かずに帰っていった。
- 2016年・リオデジャネイロ五輪、男子シングルスに出場。準決勝でマレーに敗れるものの、3位決定戦でナダルに競り勝ち銅メダルを獲得。男子シングルスの日本人選手として96年ぶりのメダル獲得となった。
プレースタイル
スピードとフットワークが持ち味のアグレッシブ・ベースライナー。ストローク戦を得意としライジングショットや角度のついた打球で相手を追い込む。また、快足を生かして届かなさそうなボールに追いつきカウンターショットを打つ。時折ネットプレイも混ぜ相手を翻弄する。またサービスリターンや打球予測も評価が高い。
かつてはサービスの威力不足を指摘されていたが、2014年頃からトレーニングの成果が実り始め、200km/hを超えるサーブでエースを決める回数も増えた。
エピソード・こぼれ話
- トップ選手の例に漏れず、大変な負けず嫌い。トランプは勝つまで(相手が音を上げるまで)続け、子供の頃は試合に負けると誰が相手でも(松岡修造相手でも)大泣きし、食べ放題の飲食店で柔道の選手に「大食い対決」を吹っかけて返り討ちに合い、「今日は胃の調子が悪かっただけ」とめだか師匠ばりの言い訳をしたとかしないとか。
- TVゲームが大好きらしく、子供の頃は「テニスとゲームを取り上げるのか」と大泣きしたことも。成長してからもゲームとの付き合いは変わらず、風呂に浸かりながらPS Vitaで遊んでいたところ寝落ちして浴槽にドボンさせた。なおVitaはお亡くなりになった模様。テニスに影響出なくてよかった。
- 自分を動物に例えるとペンギン。部屋にもペンギングッズが多いらしい。
- 礼儀正しいがかなりの天然ボケでマイペースらしく、ワウリンカと既に2度対戦してるのに「まだやったことないので」と言っちゃったり、ボトルに入ったホットコーヒーをアイスと間違えて飲んでヤケドしたり、集合時間を間違えて早く着いちゃったりするのもザラとか。
- 炎の妖精松岡修造との縁はジュニア時代にまで遡り、小学生チャンピオンを獲った後、2001年から2003年にかけて「修造チャレンジ」にて指導を受けていた時期も。その後も松岡本人は折に触れて「圭は俺とは才能が違う、マグレで全英ベスト8に行った俺と彼を一緒にするな」とまで断言する熱の入れ込みよう。
- なお錦織本人は松岡に対して折に触れて感謝の言葉を述べているが、「人生を変えたエンターテインメントは?」という質問に対して「松岡修造さんです!」と力強く回答。
- なんとあのテニヌ漫画、「テニスの王子様」を愛読。小学生の頃から作中の技を真似たりしていたようだが、プロとなった今もジャンプショット、通称「ジャックナイフ」を時折繰り出す。桃城武の必殺技のひとつにそっくり。
このエア・ケイ、通常のジャンプショットがジャンプ頂点でボールを捉えるのに対し、錦織はかなり早めにジャンプし、落下に入った所でボールを捉えるのが特徴。
関連動画
関連項目
公式サイト他
- 錦織圭公式サイト
- ATPワールドツアー公式サイト-選手紹介:錦織圭
- Live ATP Rankings
(大会中の順位変動が知りたい方は必見)
- 錦織圭ファンサイト
(試合情報や結果、放送予定など掲載)
- 錦織圭を鼻血が出るまで応援し続けるブログ
(錦織圭ファンが集うブログ。様々な情報が満載)
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