長島飛行脚とは、「ワールドウィッチーズ」に登場する航空兵器製造会社である。
概要
扶桑皇国最大にして世界有数の航空兵器製造会社。扶桑陸軍機を中心に、扶桑陸軍の主力となった一式戦闘脚をはじめとする多数の航空ストライカーユニットを開発・生産しているほか、通常航空機の生産や魔導エンジンの供給も担っている。社章は三つの切れ目が入れられた円(陸海民の三者を示す)に囲まれた、ストライカーユニットとプロペラで構成される十字。
扶桑海軍出身で第一次大戦で航空ウィッチの活躍を見た長島智久平(元機関大尉)により、山西財閥などの出資で「扶桑飛行製作所」として創業する(長島は所長に就任)。しかし、続く赤字と経営方針の相違から社内が分裂。長島が井上物産の支援により会社を買収し、山西を離れて「長島飛行脚」へと改めた。
リベリオン式のライン生産方式により、高い生産効率と品質を保っている。自己開発のほか、宮菱重工業が開発した零式艦上戦闘脚のライセンス生産も行っており、同ユニットは宮菱での生産数より長島での生産数のほうが多いほど。扶桑陸軍の航空ウィッチである中島小鷹、中島錦、中島疾風の三人を輩出した中島家とは縁が深く、一家で長島のストライカーユニット開発に協力している。
モデル
モデルは「中島飛行機」。中島知久平によって創業された日本最大の航空機製造会社。
陸軍のキ43一式戦闘機「隼」をはじめ、キ44二式単座戦闘機「鍾馗」、キ84四式戦闘機「疾風」、海軍では二式水上戦闘機、艦上攻撃機「天山」など多数の名機を開発・生産した。
開発機体
海軍 九五式艦上戦闘脚
扶桑海軍の艦上ストライカーユニットで、宮藤一郎博士による「宮藤理論」以前の複葉戦闘脚。
原型となった九〇式同様、エンジンをユニット内に収納する「宮藤理論」確立以前の戦闘脚であるため、エンジンは搭乗ウィッチによる背負い式。九〇式より三割増しの出力とエンジンの小型化を達成し、高い運動性と安定性を誇った。黎明期の海軍航空ウィッチに愛され、その戦闘技術確立に資したという。
やがて扶桑ではじめて「宮藤理論」を本格採用した九六式艦上戦闘脚(宮菱重工業)の導入により主力の座を明け渡し、練習機へと退いた。扶桑海事変の勃発時には舞鶴での迎撃戦に使用されている。
著名な使用ウィッチとしては、北郷章香、若本徹子、坂本美緒(いずれも舞鶴航空隊時代)など。
陸軍 キ27 九七式戦闘脚(97式飛行脚)
1937年(昭羽12年)春頃に先行量産が開始された、扶桑陸軍における最初期の「宮藤理論」搭載ストライカーユニット。同年に発生した扶桑海事変において、扶桑陸軍の主力戦闘脚を担った。
開発経緯
1936年(昭羽11年)、海軍による九六式艦上戦闘脚の導入に触発され、陸軍が「宮藤理論」を搭載した新型ユニットの開発を取り急ぎ指示したことで競争試作されたユニットのひとつ。長島が提案したキ27は、宮菱キ33(九六式の陸軍向け)、川滝航空機工業キ28の両提案に比べて性能面で有望と評価され、陸軍の全面協力を得るに至った。開発者は宮藤一郎博士の共同研究者のひとりである大山技師。
その後、基礎的な試験を経て1937年初頭に正規採用が内定。先行量産が始まった1937年春からは、陸軍飛行実験部実験隊において実戦評価試験が行われた。扶桑海事変においては、複葉で背負い式エンジンユニットを必要とした旧式機である川滝九五式戦闘脚に代わるかたちで前線配備され、同戦役における陸軍航空ストライカーユニットの主力として活躍することとなる。
性能
魔導エンジンは長島マ1乙を採用し、最高速度は川滝九五式より60km/h優速な460km/hに達した。
魔導エンジンの内部収納こそ達成したものの「宮藤理論」の正式採用に至っていない時期のユニットではあるが、空力的な洗練と徹底した軽量化により速力と格闘戦能力にすぐれ、同一の魔導エンジンを使用した海軍九六式より上昇力と加速性能において勝った。頑丈で特に魔導エンジンの信頼性が高く、日に複数回の出撃にもよく耐えたが、シールドへの魔法力割り振りに難があったという。
航続距離では海軍九六式に劣ったため、扶桑海事変初期には遠くウラル方面に進出した部隊まで十分な数量が行き届かず、やむなく旧来の九五式を使用する場合も多かった。下部には海軍九六式同様、接地用のスパッツ付きタイヤを装備している。
こうしたキ27の性能と特性は、刀剣での近接戦闘や巴戦を志向することが多い扶桑ウィッチにはよく合致した。しかし扶桑海事変の後、欧州派遣での戦訓から欧州のネウロイの進化に対応できないことが明らかとなり、軽戦闘脚である長島キ43一式戦闘脚「隼」や、一撃離脱戦法に向いた重戦闘脚として開発された長島キ44二式戦闘飛行脚「鍾馗」に取って代わられることとなった。
搭乗ウィッチ
著名な使用ウィッチとしては扶桑海事変当時の江藤敏子、加藤武子、加東圭子らがおり、特に「格闘戦戦法の申し子」と評された穴拭智子は九七式に強い愛着を抱いていたことで知られている。
陸軍 キ43 一式戦闘脚「隼」
扶桑陸軍では初となる、完成した「宮藤理論」を正式採用して量産されたストライカーユニット。第二次ネウロイ大戦初期から中期にかけて活躍し、扶桑陸軍では最も多く使用された航空ユニットとなった。
魔導エンジンはマ25/マ115を搭載。立河原飛行機でもライセンス生産された。シャムロ王国のような国外へ輸出された機体も存在している。
開発経緯
扶桑海事変における怪異の著しい進化と、同時期の欧州ヒスパニア戦役で生み出された新戦法に対し、陸軍は軽重二種類の戦闘脚によって応じることとした。これを受け、前者にあたる軽戦闘脚として長島が設計したユニットがキ43である。
基本構造はキ27(九七式戦闘脚)のものを発展させ、軽戦闘脚として高速と運動性が求められた。本格採用された「宮藤理論」による燃料タンクの拡大と航続距離の延長、より洗練された空力特性が特徴となったが、試作機の段階ではキ27同等程度の速力しか得られず、格闘性能でもキ27に劣ったため制式採用は遅れ、扶桑海事変では前線の強い要求により末期に試作改修型が投入されるにとどまった。
しかし、扶桑海事変の終結後に扶桑陸軍のウィッチが欧州に義勇兵として派遣されるようになると、持ち込まれた先行試作型は航続距離の長さと良好な運動性で高く評価される。欧州のネウロイの急激な進化に対抗するにあたっての九七式の限界が判明したこともあり、キ43は制式化を待たずに先行量産が決定し、のちに一式戦闘脚「隼」と名付けられた。
性能・各種形式
1型(キ43-I)は海軍の零式艦上戦闘脚(宮菱)とほぼ同じ魔導エンジンを搭載し、零式より火力と航続距離を削減、防御に重きを置いて調整されている。欧州派遣での先行試作型の実戦経験を経て、魔導エンジンと機体構造を強化して上昇力と降下速度を向上させたうえでの制式採用となった。
II型(キ43-II)では、新型呪符発生器と高出力魔導エンジンに換装し、初期型で20km/hの増速に成功した。欧州配備後は補給の都合で現地部品を補修に使用することも増え、やがて欧州やリベリオン合衆国の強力な魔導エンジンへの換装、排気管の形状変更により速力を増大させた現地改良型(キ43-II改)へと発展する。II後期型では、II改をもとに欧州式装備、機体強度向上、翼形状変更、ブリタニアのエンジン部品やリベリオン製の潤滑油の使用などの改良が施され、1型より速力を50km/hも増加させるに至った。
このように、キ43は様々なマイナーチェンジによって性能の向上に務めたが、欧州のユニットと比較して高い航続性能の分、攻防の面で劣ることとなり、より強力な新型機が求められるようになっていった。
搭乗ウィッチ
著名な使用ウィッチとしては、加藤武子、犬房由乃、黒江綾香、角丸美佐、黒田那佳などがいる。
なかでも加藤武子は、第二次ネウロイ大戦初期の欧州派遣時に先行試作型を使用して高く評価し、早急な量産を要するとのレポートを提出してキ43シリーズの展開に大きな影響を与えた。
扶桑以外での使用例としてはシャムロ王国のクラマース・ブレンガームがおり、II型に搭乗していた。
関連機
ダキアのインダストリアル・アエロナウティカ・ダキア IAD-80のうち、IAD-80Cはキ43を参考に改修が行われたサブタイプである。これはダキアで戦闘中、奇しくもコンスタンティア・カンタクジノの邸宅庭園に墜落した犬房由乃のキ43をIADで修理したことに由来するもので、その構造をもとに新造されたIAD-80Cはカンタクジノの専用機とされた。
陸軍 キ44 二式戦闘飛行脚「鍾馗」
大出力エンジンを搭載し一撃離脱戦法に長ける重戦闘脚で、欧州派遣された陸軍ウィッチによる迎撃戦闘に重用された。それまでの扶桑のストライカーユニットと異なり、欧州・リベリオン系のストライカーユニットに近い特徴的な機体形状を有していた。
開発経緯
軽戦闘脚キ43と並び、試験的に高速力重武装の重戦闘脚として陸軍が開発を指示したストライカーユニット。大型ネウロイとの対戦を目し、加速・上昇・防弾性能と重武装が求められたが、開発は長島の重戦闘脚設計経験の不足やキ43の並行開発のため遅延を余儀なくされた。
欧州の情報やカールスラントのメッサーシャルフBf109を参考に製作された試作機は、重戦闘脚としては出力不足ながら高い防御力と急降下性能を有し、一撃離脱戦法に向く高速重武装の重戦闘脚となった。欧州での戦闘運用実験ののち、Bf109Eとの性能比較で優秀だったことから欧州派遣向け迎撃ユニットとして正式採用され、二式戦闘飛行脚「鍾馗」と名付けられることとなる。
性能・各種形式
頑丈で防弾性能が高く、速力と急降下性能にもすぐれ重武装を搭載可能という秀逸な重戦闘ユニットではあったが、I型では魔導エンジンの信頼性が低く、安定性の悪さや着陸事故の多さも欧州で多い迎撃戦闘にそぐわず少数生産にとどまった。現地改修型として、ブリスター・ハーキュリーズ(ブリタニア)、R-1830(リベリオン)などを搭載した機材も登場している。
II型では、現地改修型の使用エンジンと部品を共通化し、出力と信頼性が向上した新型魔導エンジンを搭載して問題を解消。高高度性能と速力の向上により迎撃ユニットとして高く評価されるようになった。
やがて1944年(昭羽19年)末ごろになると、生産ラインがキ84「疾風」に回されたことでキ44の生産はほとんど終了した。しかし高高度迎撃に長けたキ44の継続使用を望むウィッチも多く、II型を改造し、稼働率の悪かった魔導エンジンをリベリオン製大出力エンジンに換装、四枚呪符としたIII型(キ44-III)が誕生。欧州派遣部隊を中心に使用された。
搭乗ウィッチ
格闘戦を好み九七式を愛用していた穴拭智子は長島の主任技師である糸河衛が直接スオムスに持ち込んだキ44増加試作機の旋回性能の低さに反発したが、九七式の損傷によりやむなく搭乗し、やがて一撃離脱戦法に習熟するに至った。中島錦はキ44の開発に初期から関わっており、各種試作機の試験運用部隊となった独立飛行47中隊でキ44を用い活躍している。
特殊な例として、オストマルクウィッチのヴィクトリア・ウルバノウィッチュがペルシア戦線で使用した事例がある。当時ウルバノウィッチュは秘密裏にリベリオン軍義勇部隊の一員として参戦しており、専用機がなかったために当時現地展開中の扶桑陸軍飛行64戦隊より借用したものだった。なお、ウルバノウィッチュが空冷式ユニットに不慣れだったためか、戦果を挙げつつも当該機体は全損している。
陸軍 キ84 四式戦闘脚「疾風」
1944年(昭羽19年)末ごろより、キ44に代えて生産が開始された新型ストライカーユニット。
魔導エンジン
長島では、初期にはリベリオン製魔導エンジンをライセンス生産していたが、やがて独自の魔導エンジンを開発・生産し、他社にも供給するようになった。このためリベリオンとは部品が共通化されており、後には宮藤一郎博士の縁でブリタニアとも部品共通化が図られた。
マ1乙はキ27で採用された魔導エンジン。「寿」はブリタニアのブリスター・エンジン社開発「ジュピター」空冷星型エンジンのライセンスを獲得し、リベリオンからの技術で独自改良した魔導エンジンである。
「栄」(陸軍マ25/マ115)はキ43や宮菱の零式艦上戦闘脚に採用された魔導エンジン。一二型、二一型、三一型といった各種の形式が存在し、零式艦上戦闘機(宮菱)の使用発動機にも同じ「栄」の名がつけられている。
「誉」は2000Mp級の魔導エンジンで、山西の海軍紫電一一型をはじめ陸海軍双方の新型ユニットに採用された。しかしそれが逆に仇となって生産が追いつかず、紫電五三型では宮菱の対抗作であるマ43に使用エンジンの座を譲ることとなった。
作中への登場
長島飛行脚そのものの設定解説は『SW2』特典「全記録」第一集に「扶桑皇国のストライカーユニットメーカー」の一部として収録。
ノベル「スオムスいらん子中隊」「スオムスいらん子中隊ReBOOT!」では、主人公・穴拭智子がキ27とキ44を使用しているため、両機材の特性などを含めて詳細に触れられた。なお、ノベル「スオムスいらん子中隊」と同作関係の設定では「中島」表記が用いられていたが、「ReBOOT!」以降は他設定と同じ「長島」に改められている。ちなみに、「スオムスいらん子中隊」を著したヤマグチノボルはキ44二式単座戦闘機「鍾馗」の大ファンらしく、同作のあとがきでも語っている(穴拭智子の記事参照)。
コミック『ストライクウィッチーズ零 1937扶桑海事変』では、第一巻の巻末に鈴木貴昭による「戦闘脚ノ頁」が収録されており、九五式艦上戦闘脚、キ27、キ43、キ44について解説されている。この他、イラストコラム「ワールドウィッチーズ」内の各キャラクターの愛用ユニット紹介や、江藤敏子(キ27)、加藤武子(キ43)、穴拭智子、中島錦(共にキ44)の本文中でも各機体について触れられている。
アニメでは、扶桑陸軍ウィッチの映像登場の少なさもあり長島の開発機は揃って長く未登場だった(『SW2』での中島錦のストライカーユニット着用シーンは無く、『SW劇場版』での黒田那佳はBf109を使用している)が、アニメ『ルミナスウィッチーズ』で西杉智美の搭乗機としてキ43が登場した。立体化としてはセガが中島錦をフィギュア化した際に搭乗機キ44-IIが同梱されている。
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