長谷川町子(はせがわ まちこ、1920年1月30日 - 1992年5月27日)とは、日本の漫画家である。
日本初の女性プロ漫画家として知られ、漫画家として唯一の国民栄誉賞受賞者でもある。
概要
山脇高等女学校在学中の1934年から『のらくろ』で知られる漫画家の田河水泡に師事し、1935年に少女向け雑誌「少女倶楽部」に2ページ漫画が掲載され、15歳にしてデビューを果たす。1940年から同誌に連載された『仲良し手帖』が人気作となるが、検閲のため自由な創作ができずとても嫌だったという。
戦時中は西日本新聞社の学芸部に校閲係として勤務し、終戦後の1946年5月から福岡の「夕刊フクニチ」で漫画『サザエさん』を発表。1947年には姉の長谷川毬子、妹の長谷川洋子と共に「姉妹社」を設立して『サザエさん』の単行本を出版し、第1巻はB5判横綴じという形状が書店に不評で返本が相次いだが、B6判に改めた第2巻以降は成功を収める。その後『サザエさん』は1949年に「夕刊朝日新聞」、1951年には朝刊に掲載紙を移して1974年まで連載され、テレビアニメ、テレビドラマ化もされる国民的大ヒット作となった。
1978年には朝日新聞日曜版に自伝エッセイ『サザエさんうちあけ話』を連載。翌年には姉の毬子を主役にしたNHK連続テレビ小説『マー姉ちゃん』の原作となった。
生活に根差したユーモアのある作品で人気を集める一方、1966年からはブラックユーモア路線の『いじわるばあさん』を執筆し、こちらも人気を博す。長谷川は善良なキャラクターより意地悪なキャラクターの方が地のままでいいから気楽に描けると語っている。
1970年には作者に無断で「サザエさんバス」を運行した立川バス会社を提訴。知的財産権に関する先駆的な行動と言われ、その後も長谷川作品は著作権に非常に厳しいことで知られていたが、近年は緩和されつつある。
1985年には姉と共に趣味で蒐集した美術品を公開するため「長谷川美術館」を開館、初代館長となる。町子没後の1992年には「長谷川町子美術館」と改名し、1993年の姉妹社解散後は財団法人長谷川町子美術館が作品の版権管理を行っている。
1992年5月27日、心不全のため逝去。同年7月に国民栄誉賞が授与された。
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