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門倉健(かどくら けん、1973年7月29日-)とは、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
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門倉健 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県入間市 |
生年月日 | 1973年7月29日 |
身長 体重 |
193cm 90kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1995年ドラフト2位 |
引退 | 2012年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
東北福祉大学に進学し、全国大学野球選手権大会で準優勝に貢献した。
中日時代
1996年(1年目)から先発ローテーションの一角として活躍し、1997年から2年連続で2桁勝利を達成する。
その後1999年オフに、小池秀郎、佐野重樹、善村一仁との交換トレードで古池拓一、東瀬耕太郎と共に大阪近鉄バファローズに移籍。
近鉄時代
移籍後もローテーション投手として活躍するが、2001年以降は防御率、勝率共にパッとせず、2004年に福盛和男、矢野英司との交換トレードで宇高伸次と共に横浜ベイスターズに移籍する。
横浜時代
2005年は史上4人目となる12球団からの勝利や自己最多となる11勝、そして最多奪三振のタイトルを獲得など過去最高の成績を残す。
2006年もなんとか10勝(9敗)し、中日時代以来の2年連続2桁勝利を達成する、しかしそのオフに、契約交渉の席でFA権と10勝を理由に複数年契約を要求したところ、フロントから「10勝しても10敗する投手はいらない」と言われ交渉決裂。FA権を行使し読売ジャイアンツに移籍した。この経緯のため、この年の年末に行われた少年野球教室では子供たちに向かって「横浜だけはやめとけよ」という名言を残す。
巨人時代
開幕カードの横浜3連戦への登板を希望し、2戦目に登板するも古木克明の前に敗れ去る。この年は1勝に終わり、翌年は一軍での出番すらほとんどなく、2008年オフに戦力外通告を受ける。
2009年はメジャーに挑戦し、1月20日にカブスとマイナー契約を結ぶも2ヶ月足らずでマイナー行きとなり、開幕直前に解雇される。
4月14日に韓国プロ野球のSKワイバーンズに移籍し、主力投手として8勝を挙げた。
韓国野球界時代
2010年は開幕投手を務め、見事勝利。開幕から無傷の7連勝を挙げるなど、14勝を記録しチームの優勝に貢献した。東京ドームで行われたロッテとの日韓クラブチャンピオンシップに先発し久々に日本で投げたが3回途中3失点で敗戦投手になってしまった。その後、故障もあってSKを退団。
2011年は三星ライオンズに所属したが成績は振るわず、7月に解雇された。
韓国野球界退団後
その後、楽天や日本ハムの入団テストを受けたが不合格となり、北海道のクラブチームである伊達聖ヶ丘病院に入団した。2012年の都市対抗野球にはJR北海道の補強選手として出場したが、1回戦でリリーフ登板して決勝ホームランを打たれ敗れた。
2012年オフ、トライアウトを受験したがオファーはなく、現役引退を表明した。
引退後
2013年からは三星ライオンズで投手インストラクターを務めた。一軍の試合にベンチ入りしていたこともありコーチとどう違うのか線引きはあやふやである。この頃、三星に所属していたリック・バンデンハークを指導し制球難を改善させたらしい。
2015年には三星の一軍ブルペンコーチに就任。この年のシーズンをもって退団する。
2018年シーズン末、古巣の中日から来季二軍投手コーチをつとめることが発表された。
2021年5月26日、同日付で退団となったことが中日ドラゴンズから発表された。なお、5月15日から無断で練習を休んでおり、後になって2軍マネージャー宛に退団願が郵送されたとのこと。オフィシャルブログの更新も5月13日を最後に止まっており、家族も連絡をとれず捜索願が出されていたことから、何らかの事件に巻き込まれているのではないかと不安視されていた。その後6月6日に自ら帰宅し発見されたものの、同日にうつ病を患っていたことが明らかになっている。
逸話
非常にアゴが長いことで有名で、「アゴ倉」とも呼ばれており、門倉自身もネタにしている。
10勝しても10敗する投手
前述の「10勝しても10敗する投手はいらない」というフロントの発言は未だに有名だが、門倉の通算成績は巨人時代(1勝7敗)と韓国時代以降を除くと、
中日時代:29勝28敗(通算4年)
近鉄時代:21勝22敗(通算4年)
横浜時代:25勝25敗(通算3年)
であり、この11年間の通算は75勝75敗。まさにフロントの言うとおり「10勝しても10敗する投手」であったが、実際にシーズン成績が10勝10敗であったことは一度もない。
ちなみに巨人時代と韓国時代の成績をすべて総合してみると通算成績は103勝99敗となり、これまただいたい10勝しても10敗していたペースの成績に落ち着く。
また、なんJなどでは「本当に10勝しても10敗する投手はいらないのか」という議論がたまに起こるが、「10勝しても10敗する投手は要るが門倉はいらない」という結論に至るのがお約束。
横浜との和解
上記のように横浜時代はフロントと決裂し、球団に対する批判を口にしていた門倉であったが、2017年のセ・リーグのクライマックスシリーズ終了後の横浜のビールかけ会場において、スポナビライブのリポーターとしてレポートすることになったのが門倉であった。
かつての横浜と門倉の関係を知るファンからは「なぜ門倉なんだ」という声も上がっていたが、若手選手やラミレス監督にきさくに話しかけ、時には一緒にビールをかけあうなど選手と距離の近い親しみの持てるレポートを見せた。
特に現役時に同じチームで苦労をわかちあった吉見祐治(現在は打撃投手)との「強いチームになったね…」というしみじみとしたやり取りや、戦力外から2017年に横浜に入団した田中浩康との「横浜に来て本当に良かったね」という会話は現役当時の門倉の発言を知るファンを驚かせるとともに、門倉と横浜との和解を印象づけた。
門倉コピペ
門倉批判を批判していると見せかけて、結局門倉批判をしているコピペ。
批判される対象を別のものに置き換えて使用するが、最後の行は改変しないことがミソである。
お前ら門倉クソとか言ってるけど球場行って
練習や試合を生で見て言ってんの?
ろくにテレビすらも見ないで門倉批判してんじゃねーよ
2ちゃんの書き込みに影響されて門倉批判かよ
俺は球場行って門倉のピッチングを生で見た
そして思ったんだけどやっぱり門倉ってクソだわ
お前ら中田クソとか言ってるけど鎌ケ谷行って
練習や試合を生で見て言ってんの?
ろくに見もしないで中田批判してんじゃねーよ
2ちゃんの書き込みに影響されて中田批判かよ
俺は鎌ケ谷行って中田のバッティングを生で見た
そして思ったんだけどやっぱり門倉ってクソだわ
このように、突如として批判の矛先が門倉に向かうところに面白さがあるコピペである。
近年は門倉自体がほぼ一部の野球ファン以外には忘れ去られているためか、最後の行まで改変してしまったコピペが目立つ。繰り返すが、最後の行は改変しないことが門倉コピペのミソである。
最近は「や門糞」と略される場合も多い。
成績
通算投手成績
通算:16年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB:13年 | 302 | 190 | 18 | 5 | 76 | 82 | 10 | 2 | .481 | 1276.0 | 536 | 1146 | 658 | 618 | 4.36 |
KBO:3年 | 74 | 66 | 1 | 1 | 27 | 17 | 0 | 1 | .614 | 366.0 | 136 | 303 | 198 | 164 | 4.03 |
関連動画
関連項目
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