- プロ野球選手一覧 > 門田博光
門田博光(かどた ひろみつ、1948年2月26日-2023年1月24日)とは、山口県出身の元プロ野球選手(外野手)である。現役時代は南海ホークス、オリックスブレーブス、福岡ダイエーホークスに所属した。
2010年から2011年までは独立リーグの大阪ホークスドリームの監督を務めていた。
現役時代に記録した本塁打数は567本で歴代3位、40歳を超えてもホームランを打つことにこだわり続けたことから「不惑の大砲」の異名で呼ばれた。
概要
OB | |
---|---|
門田博光 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 山口県 |
生年月日 | 1948年2月26日 |
没年月日 | 2023年1月24日 |
身長 体重 |
170cm 81kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1969年 |
引退 | 1992年 |
殿堂入り | 2006年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
高校時代は天理高校で外野のレギュラーとして活躍していたが、意外なことに練習試合ですらホームランを放ったことはなかった選手だった。
高校卒業後はノンプロの強豪だったクラレ岡山に入社し、周りの打者のフォームを観察しては研究、そしてバッティング練習とトレーニングいう日々を繰り返しクラレの中心打者に成長する。1968年のドラフト会議で阪急ブレーブスから指名されたが、下位指名(12位)だったことで会社が反対し、本人は入団に前向きだったものの拒否するに至った。翌1969年のドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け、晴れて入団を果たした。
プロ入り後、監督であった野村克也に見いだされ1年目から79試合に出場し打率.250、8本塁打31打点と結果を残し、1971年には31本塁打120打点という成績で打点王に輝く、またこの頃からバッティングを長打狙いに変更する。
その後は南海の3番バッターとして完全にレギュラーに定着、1977年まで毎年120試合以上に出場し打撃成績で上位の結果を残し続けオールスターにも四度出場、1976年のオールスターでは2戦目にMVPを獲得するなど南海の中心打者としても活躍し続ける。
1978年には自分の長打狙いのバッティングに苦言を呈していた野村克也が退団したこともあり、より一層長打を狙うようになるが前半戦の故障もありこの年は106試合、15本塁打の成績となる。しかし翌年これ以上の苦難を門田は味わうことになる。
1979年2月16日、高知県でのキャンプの真っただ中、ランニングを終えた門田は柔軟運動に入っていた。
そして右足を大きく蹴り上げたその時「バキッ」と乾いた音が響く。まさかのアキレス腱断裂、全治6ヶ月の重症だった。
すぐに門田は入院したがこの時門田は31歳、この当時アキレス腱断裂という大けがを負って復帰できた選手はほとんどいなかったため、普通なら選手生活を諦めてしまうかもしれない程のものである。
しかし門田は諦めなかった、積極的にリハビリを行い良いと言われることはなんでも取り掛かった事でこの年の9月には復帰、しかし走力は完全には元に戻らなかったため、「歩いてこれるから」という理由で徹底的にホームランを狙うためにフォーム改造に着手し右足を高く上げ体をねじ切るような一本足打法に変更する。
1980年、前年のフォーム改造がいきなり功を奏し、指名打者として111試合に出場しそれまでの最高記録となる41本塁打を記録して見事に復活(※前年にアキレス腱を切った選手です)、カムバック賞を受賞する。
またこの年から背番号を44に変更、「44歳で亡くなった母親の供養のために44本ホームランを放つ」というのが理由。
1981年には宣言通り44本塁打を記録しホームラン王を獲得、また92四球もリーグ最多で最高出塁率も記録している。
1982年は肩の脱臼もあり19本塁打で終わったが、リーグ最多の11敬遠を受けた。
1983年からは背番号を60に変更、理由はもちろん「60本塁打」である。その宣言に違わぬ好調なペースでホームランを放ち、関連動画にもあるようにオールスターでも2ホーマーの活躍で7年ぶりにMVPを獲得したが、シーズンではくるぶしに死球を受けて1か月ほど離脱するアクシデントにより、最終的にホームラン王こそ獲得したもののその本数は40本に終わった。
その後1987年まで毎年20本塁打以上を記録していたが門田自身は全く満足がいかない成績が続く。
そして1988年、40歳となった門田は「今年こそは60ホームランを」と順調に本塁打を重ねる。この年限りで南海が身売りし球団が無くなるという話でメンタル面に影響が出てしまい、終盤はあまり数を伸ばせなかったが、それでも44本塁打125打点という成績でチームは5位ながら2冠王とMVPに輝き、「不惑の大砲」は流行語にもなった。
1989年、門田は身売り先のダイエーではなくオリックスにいた。娘が関西の高校に在学中だったため関西に残ることにこだわり、内田強、原田賢治、白井孝幸との3対1のトレードでオリックスに移籍していたのだ。
この年は終盤まで近鉄と優勝を争ったが、門田は9月25日のダイエー戦でホームランを放った際に同僚のブーマー・ウェルズとのハイタッチで肩を脱臼してしまい離脱。最終的に33本塁打93打点の好成績だったがチームは優勝を逃した。
ちなみにこの年はチームに自分と同じく指名打者専門の石嶺和彦がいたため、51試合に外野手として出場している。
1990年も31本塁打91打点の成績を残すも、今度は西武に敗れ優勝できず。
1991年からはダイエーホークスに復帰するももやは衰えは隠せず、1992年に引退。引退試合は3番DHで出場し、野茂英雄相手に3球3振だった。
引退後は1993年から2005年まで朝日放送の解説者、2006年には野球殿堂入り、2010年から2011年まで自らが設立した独立リーグの大阪ホークスドリームの監督を務めた。
2023年1月24日に死去したことが分かった。かねてより兵庫県内の病院で療養中だったが、23日に予定されていた通院治療に姿を見せず、病院から相談を受けた警察官が自宅を訪ねたところ、倒れていたところを発見されたという。
人物・プレースタイル
手本とした打者は、野村克也であった。しかし野村は右打者、門田は左打者である。これには、以下のような逸話がある。
「プロに入って2年目やった。凡退して、手が真っ黒になっていたので、大阪球場のベンチにある洗面所で手を洗っていたんや。何気なく目の前の鏡を見たら、そこに自分が探し求めていた理想のフォームの左打者が写っていた。おかしいな、俺の次は右打者のはずなのに、何で左で…。一瞬、不思議に思ったぐらい。そうか、鏡やから反対に写るんや、と気付いた」
こうしてきっかけを掴んだ1971年の門田は、120打点を記録して初の打撃タイトルである打点王に輝いた。
だが、当時兼任監督であり、4番打者を務めていた野村とは意見で対立することも多かった。
そのホームランにこだわるバッティングに野村克也がよく苦言を呈し「チームのためにヒットを狙うべき」と考えを改めさせようとしたが門田は絶対に首を縦に振らなかったほど頑固であった。
どのくらい頑固だったの?
野村「長打狙いのバッティングはやめろ」
門田「やだ」
野村「お前は塁に出ればいい、俺が返すから」
門田「やだ」
野村「お前はヒット狙いなら3割5分は打てる、その方がチームのためになる」
門田「やだ」
野村「こりゃだめだ、王に頼んで説得してもらおう」
ある年のオープン戦にて
野村「王よ、頼む」
王「門田君、ホームランはヒットの延長なんだ、決して狙って打つものではないし打てるものではない」
門田「ホームランの当たり損ねがヒットです!」
野村・王「・・・」
以上のようなやりとりなどもあって野村とは仲が悪いと言われており、後年野村は門田を江本孟紀、江夏豊とあわせて「三悪人」と呼んでいた。
ただ実力は認めていたため野村は門田に対してぼやく事こそあったものの、干すようなことは決してなかった。
意外なことに身長は170cmしかなく歴代のホームランバッターと比べても極めて小柄であるが、右足を高く上げて力を溜める一本足打法でホームランを量産、そのスイングから発せられる音で恐怖を感じる投手もいた。
また常にホームランを狙うといっても外国人打者のように何も考えずブンブン振り回していたわけではなく、どの球を仕留めるか、どこのゾーンに絞り込みどこのゾーンは捨てるかということを常に考えていてバッティングしていた。
たとえば引退試合で対決した野茂英雄から最初にホームランを放ったのは門田であり、野茂が入団した時には綿密なシュミレーションを行って野茂対策に軽めのバットを用意、公式戦初対決時には「自分のような年寄りにはストレートで押してくる」という予想を的中させて見事ライナーでスタンドまで運んだ。
また現在統一球によりホームランが激減しているプロ野球に対し、「なぜもっとホームランを狙わないのか?」・「なぜそのための技術を磨こうとしないのか?」と苦言を呈し、飛ばないボールと正面から向き合い、挑戦し、乗り越えろというエールを送っている。
通算打撃成績
通算:23年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 2571 | 10304 | 8868 | 1319 | 2566 | 383 | 19 | 567 | 1678 | 51 | 6 | 95 | 1273 | 62 | 1520 | 164 | .289 | .379 |
関連動画
関連項目
- 2
- 0pt