- 日本のプロ野球チーム一覧 > セントラル・リーグ > 阪神タイガース
阪神タイガースとは、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場を本拠地とするセントラル・リーグ所属のプロ野球球団である。
関西を中心に全国的な人気を誇る。よく間違われるが、本拠地は兵庫県西宮市で、球団の保護地域も兵庫県であり、決して大阪府の球団ではない。
概要
セントラル・リーグ | |
---|---|
阪神タイガース | |
基本情報 | |
創設 | 1935年 |
本拠地 | 阪神甲子園球場 |
一般略称 | 阪神 |
アルファベット | T |
優勝回数 | |
リーグ優勝 | 10回 |
日本一 | 2回 |
セ・パ交流戦 | 0回 |
アジアチャンピオン | 0回 |
永久欠番 | |
経歴 | |
球団組織 | |
運営母体 | 阪神電気鉄道 |
球団社長 | 粟井一夫 |
オーナー | 杉山健博 |
プロ野球球団テンプレート |
結成は1935年。当時は大阪タイガースと名乗っていた。
1940年には、戦争の激化による敵性語排除の風潮を受けて「阪神軍」と改名。
日本プロ野球史上唯一の投打の両タイトルを持ち史上最強打者と謳われた景浦將や、七色の変化球を操る若林忠志、初代ミスタータイガース藤村富美男、球団初の兼任監督となった松木謙治郎、勝率10割の御園生崇男をはじめとする常勝軍団であり、優勝は4回(現在の日本一にあたる)達成。
戦後、1946年から「大阪タイガース」に呼称を戻し(このとき一時的に「猛虎」を通称としていたが、「阪神(軍)」の方が定着していたことから廃止され、その後は正式名にかかわらず「阪神」と広く呼ばれていた)、1961年に「阪神タイガース」へと変更された。
なお、二軍は1954年から「阪神ジャガーズ」、1957年から「阪神タイガース」を名乗っており、一軍より4年早く現行名となっている。
一軍の球団名も「大阪」から「阪神」へ改称された背景には、単に親会社名を強調したいという事情ではなく、上述の通り「阪神」という通称が定着していたこと、それに本拠地が兵庫県(阪神地区)の西宮市に置かれていたため(二軍に至っては、神戸市長田区の神戸市民球場を本拠としていた時代もあり、それが一足早い改名につながったと言われている)、大阪府民のみならず、神戸市・阪神地区民の球団でもあることを強調する意味合いがあったといわれている。
なお、2軍については現在の阪神鳴尾浜球場から阪神大物駅周辺の小田南公園に建設中の日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎に2025年をめどに移転し、それに伴い選手寮の虎風荘も移転予定である。
また、女性プロ野球チームの阪神タイガースWOMENを運営している。(NPB球団では西武に次いで2例め)
ファンの特徴
熱狂的で感情的なのが多く道頓堀飛び込みを代表にお祭り騒ぎ好きが少なくないのが特徴。一方失速などで冷めやすく「ファンやめたる!」いう一面もあるが次のシーズンになると何故かファンに戻ってしまう事が多い面白い存在。
そういう事もあり球団やマスコミの金ヅルと揶揄される事もしばしば
関係者
首脳陣
※就任、退団などでの異動は球団の正式発表があるまで編集しないでください。
一軍 | 二軍 |
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所属選手
※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。
※ドラフト指名を受けた新入団選手は入団発表後に追加してください。
支配下選手 | |||
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投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
|
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育成選手 | |||
投手 | 捕手 | 内野手 | 外野手 |
主な球団スタッフ
- (100)小嶋達也(打撃投手)
- (101)古野正人(打撃投手)
- (102)屋宜照悟(打撃投手)
- (???)公文克彦(打撃投手)
- (113)鈴衛佑規(ブルペン捕手)
- (116)小宮山慎二(ブルペン捕手)
- 谷中真二(スコアラー)
- 御子柴進(スコアラー)
- 藤原通(広報部)
- 藤本修二(選手寮寮長)
- 清水誉(二軍チーム運営部課長(マネージャー))
- 緒方凌介(広報部)
- 岡崎太一(石川ミリオンスターズ派遣)
- 掛布雅之(レジェンドテラー)
- 糸井嘉男(球団スペシャルアンバサダー)
- 木戸克彦(阪神タイガースWOMEN監督)
スカウト
- ジェリー・サンズ(国際担当)
- ジェフ・ウィリアムス(駐米担当)
- 岡本洋介(プロスカウト兼アマスカウト兼国際スカウト)
- 葛西稔(東北・北海道地区担当)
- 筒井和也(北信越・東海地区担当)
- 吉野誠(東海・関東地区担当)
- 前田忠節(九州地区担当)
- 柴田講平
タイガースアカデミー ベースボールスクール コーチ
記事のあるOB・関係者
戦績
1949年に勃発したプロ野球再編問題(2リーグ制への移行)では、主力選手(若林忠志、別当薫、土井垣武、呉昌征、本堂保次、大館勲)を毎日オリオンズに引き抜かれるという事態を引き起こした(パ・リーグへの参加を表明していたタイガースが土壇場でセ・リーグに寝返ったことへの報復措置だったとする説もある)。
1962年はサード三宅秀史、ショート吉田義男、セカンド鎌田実、ファースト藤本勝巳ら鉄壁の内野手と小山正明、村山実がフル回転で優勝し、1964年にはジーン・バッキーや小山とのトレードで移籍してきた山内一弘らの活躍によりリーグ優勝を果たす(大洋があと1勝するか阪神が1敗すれば優勝を逃すという状況の中、見事逆転勝ちを収める)。
翌年から始まる巨人V9時代(1965年~1973年)では、大エース村山実を中心とした強力投手陣で3年連続3位、続けて3年連続2位となる。特に、1970年には兼任監督だった村山が防御率0.98を記録する活躍で、首位巨人に2ゲーム差まで迫った。
1971年は5位に低迷したが、翌1972年は腎臓炎から復帰した田淵幸一が本格化し、江夏豊との黄金バッテリーで首位巨人に3.5ゲーム差まで迫った。そして、1973年は「最終2戦、中日と巨人どちらかに勝てば悲願の優勝」という展開にまで持ち込んだものの、江夏と上田二朗が連敗し、わずか0.5ゲーム差の2位に終わった。
1976年は江夏豊を放出して江本孟紀を獲得して首位巨人に2ゲーム差の2位と健闘したが、翌1977年から4位、最下位と低迷する。そして、阪神フロントは看板選手だった田淵幸一を放出するという荒療治に踏み切ることとなった。
伝説の1985年
1番真弓明信・2番弘田澄男・3番ランディ・バース・4番掛布雅之・5番岡田彰布・6番佐野仙好・7番平田勝男・8番木戸克彦の強力打線により開幕から打ち続け、(特に4月のバックスクリーン3連発は有名)守っても中西清起、山本和行、福間納らの救援陣も大活躍であり、超黄金時代を築いていた西武ライオンズを倒し日本一になった。
空白の時代
翌1986年には急激にチームが壊滅し、1987年には2年連続リーグ最高打率を誇った打線も崩壊し、ダントツの最下位に転落した。2年連続最下位に沈んだ1988年にはランディ・バースが契約問題でシーズン途中に解雇され、ミスタータイガース掛布雅之が引退を表明した。
ラッキーゾーンを撤去し、横浜大洋ホエールズからジム・パチョレックを獲得した1992年は若手の抜擢もあって久々の2位に躍進した。
1993年以降は再びBクラスに転落し、そこから2001年までは和田豊の打率や新庄剛志の華麗な守備や打撃ぐらいしか楽しみがないほど低迷した。横浜ベイスターズや広島東洋カープの暗黒時代がチョロイくらいの暗黒時代である。余談ではあるが、後に野村克也はマスコミや質の悪いファンやタニマチなど、阪神の問題点を著書で何回か書いている。
詳しくは→これが本当の阪神タイガースシリーズ
とはいえ、野村克也が監督に就任した1999年から2001年の間は成績不振ではあったが、2002年以降に繋がる選手の獲得・発掘がなかったわけではない。
わしが(虎を)育てた
2002年には、中日ドラゴンズ監督を辞したばかりの星野仙一が監督に就任する。一年目はチームを見極めるために片岡篤史のFA獲得程度の補強に留めるが、シーズンオフには血の入れ替えと呼ばれる大幅な選手のリストラ、およびトレードなどで選手の意識を改革し、2003年にはぶっちぎりの優勝を遂げた。しかし、日本シリーズでは福岡ダイエーホークスに惜敗。
これ以降、常に優勝争いに絡む「常勝球団」になるという、ちょっと前では考えられないようなチームに生まれ変わった。
そら(猛虎魂あふれるどんでんが就任したら)そう(猛虎魂の力では勝てたん)よ
2003年オフ、星野が健康上の問題を主な理由として監督辞任。前年にヘッドコーチを務めた岡田彰布が後任に就く。
2005年は中日との死闘の末リーグ優勝を勝ち取った。しかしながら日本シリーズでは濃霧によるコールド負けがあるなど、ペナントレース2位からポストシーズンを勝ち上がった千葉ロッテマリーンズに0勝4敗とストレート負けを喫した。いやストレート負けどころか、4戦での阪神の総得点がわずか4点なのに対し、失点は33点と、余りにロッテの一方的な展開に終始した(33-4)。2010年(シーズン3位からまたしてもロッテが日本シリーズ進出を果たした年)には、阪神ファンのトラウマを蘇らせるように2005年のシリーズのVTRをNHKが放送し、「なんでや!阪神関係ないやろ!」という迷言が生まれた。
2006年はこれまた中日と終盤まで死闘を繰り広げるも、惜しくも2位に終わった。というよりも、大事なゲームで山本昌にノーヒットノーランを決められ、優勝を逃した。シーズン通じてのナゴヤドームでの勝率は惨憺たるものだった。
2007年は一旦12ゲーム近い差をつけられるも、シーズン終盤、10連勝・藤川球児の10連投などで首位に立つ。残り5割で行けば優勝というところまでこぎつけた。しかしデスブログの呪いもあったのか、その後8連敗を喫し3位に終わる。
2008年は、一時2位チームに13ゲーム差をつけ独走していた。しかしながら新井貴浩のケガ、オリンピックによる主力不在が響いたのか、終盤に巨人に追いつかれ、デッドヒートの末、巨人に逆転優勝されてしまう羽目に。
この年、夏に販売された「Vやねん!タイガース」という雑誌が壮大なフラグになったと揶揄された。
ちなみにAS後の勝率は5割であり、別段失速したわけではなかった。
この後どんでんは逃げるように辞任。
暗黒の足音…か? 4位・2位・4位・5位…
逃げるように辞任したどんでんに代わり、2009年から監督に就任したのは真弓明信。しかし選手の平均年齢が高い事態は改善されず、2010年は中日と優勝争いするも、秋口恒例の失速で2位に終わる。CSでも巨人相手にあっさり終戦。
そして2009年、2011年は4位と暗黒時代よりはマシだが低迷し、3年で真弓は辞任、監督は和田豊に交替した。
2012年、「ちょっとしたスパイスで優勝できる」と豪語して大補強をせずに挑んだ和田阪神であったが、優勝戦線から早々と離脱して下位に低迷、8月には自力CS出場すら絶望的になり、「暗黒時代の再来か?」と揶揄された。
この年の結果はベ・リーグという独自リーグ所属球団を除いたセ・リーグでは最下位同様の5位。
金本、城島らがこのシーズンを持って引退し、オフには昨年と打って変わって大型補強に乗り出した。
CSの壁を突破
猛虎復活なるか、あの時代の再来となるか、注目されていた2013年シーズン。
結果は、新戦力ではドラ1の藤浪とメジャー帰りの西岡の活躍もあったが、それ以外の選手陣が概ね復調(特に投手陣)して、2013年は2位という成績で終えた。ただしクライマックスシリーズでは秋の風物詩というべきか、初出場の広島東洋カープに0勝2敗でストレート負けしている。
2014年、前評判は最悪でよほどの解説者がBクラス予想であった。新外国人のマウロ・ゴメスはキャンプに参加すらせず、「マイク・グリーンウェルの再来」と呼ばれ、ファンの間でも「最下位待ったなし!」「シーズン開幕前から終了www」といった予想が趨勢を締めた。
そして開幕戦は能見が大炎上。続く試合でも西岡・福留の交錯で両者が怪我、更には藤浪の大炎上とこりゃ終わったな…という空気であった。
しかし第5戦、ドラフト6位の岩崎優が先発に登板した試合で15得点無失点の快勝を遂げると、後はマートンらが打線をけん引し、新外国人のゴメスも開幕前の悪評価を吹き飛ばすような大活躍であった。解説者の手首はボロボロ。例年通り交流戦と9月に失速こそしたものの、広島東洋カープが最終戦で敗れたため0.5ゲーム差でおこぼれ2位に。
例年ならここで終わるはずで、和田監督の進退問題がスポーツ紙の一面をにぎわすのが恒例のストーブリーグに突入していた。だがCS1stステージでは広島を下した。0-1の勝利と0-0の引き分けでの進出であったが、唯一の打点を挙げたのはシーズン中結果が残せず裏切り続けていた福留孝介のホームランであった。こいついつも生き返ってんな。ファンと解説者の手首はb(ry。
ファイナルステージでは巨人が相手であった。野球ファンや解説者の大半の予想では巨人がCSを突破するとしていたが、蓋を開けてみるとこれでもかと打ちまくり、アドバンテージの巨人の1勝を除いて4連勝で日本シリーズに進出を決めた。参考:21-9、☆●●●● ファンと解説者の手k(ry。
日本シリーズではソフトバンクと対戦。11年ぶりの鷹虎決戦であるが、打線が分断され惜敗。クリーンアップは破壊力はあるものの、それ以外の打線からは点が取れない、リリーフピッチャーの高齢化など課題も残るシーズンとなった。詳細は後述。
2008年以降の特徴・結果
2008年(82勝59敗3分、2位)監督:岡田彰布
一言で言うと典型的な投高打低型チーム。
少ない得点を早めの継投で守って逃げ切る事を得意とする。
- 投打守の要が40代(※矢野燿大は2008年末で40歳)
- 主力の平均年齢高すぎ
- タイムリー・本塁打欠乏症(だが調子がいいと驚異的な強さを見せる)
- 先発はそこそこ良いが岡田がすぐ降板させるのでいまいち力を出し切れない
- 優秀な中継ぎ陣(だが頼りすぎて後半はバテ気味)
- アッチソンへの過度な期待
- オフに岡田監督辞任。解説で毒を吐きまくった挙句、2010年オリックスの監督に就任。
2009年(67勝73敗4分、4位)監督:真弓明信
- カーネル引き上げで呪いが解けた?いいえ、呪いを「解いた」んです。矢野、岩田稔、久保田智之、藤川が開幕から故障。
- 相変わらず選手の平均年齢が高い
- 遂に矢野から狩野恵輔へと正捕手が代わるチャンスが来た→オフに城島健司を獲得。…おい!
- 能見篤史が先発ローテーション入りで何か不安→13勝の大活躍。虎のエースに
- 1985年の日本一ユニフォームを復元させたが、交流戦の成績がどうみても暗黒時代(確かにどちらとも同じようなユニフォーム…)
- ブラゼルを獲得しても巻き返しなりませんでした。
- 対ソフトバンク・馬原孝浩の究極兵器に林威助
- 背番号「72」真弓明信の隣に背番号「91」木戸克彦…くっ。
- オフに秀太が引退。スカウト就任へ。
2010年代
2010年(78勝63敗3分、2位)監督:真弓明信
- 2003年の優勝の原動力であった藤本敦士がヤクルトに、今岡誠がロッテに移籍。
- 磐石を誇った中継ぎ陣に陰りが見え始めた代わりに、マートン・ブラゼルなど打ちまくるという、ここ数年のタイガースでは考えられないほどの打高投低のチーム。
- 木戸克彦の背番号は変更された。
- 赤星憲広が持病もあり引退。機動力どうすんの?
→マートン呼んできました。1番センターで使います
→オープン戦微妙だぞ、本職レフトなのにセンターやらせて大丈夫か?
→シーズン始まったら打ちまくったから大丈夫だ、問題ない。レフトはやむを得ない事情だから目をつぶってくれ
→やむを得ない事情さんがフルイニング記録ストップでレフト守備の機会も増える。
→マートン最高や!(たった1年で秀太、そして・川籐幸三の生涯安打を追い抜く、歴代シーズン最高の214安打) - アッチソン、ウイリアムスが退団。代わりの外国人中継ぎ投手は今一つ頼りない。
- 金本知憲のクソレフトっぷりに遂にフルイニングストップ。連続出場に拘り代打で毎試合出場するも、三振が安打を上回るなど散々。
- 前述の通り投手陣崩壊。セットアッパーが固定できずしわ寄せが藤川球児に来て終盤には疲れからか逆転ホームランなど痛打を浴びる場面も目立ち、リリーフ転向後自己最悪の成績に。
- 安藤優也、下柳剛絶不調。能見篤史、岩田稔故障と先発陣も崩壊。出戻りのジェイソン・スタンリッジ(※ただし夜限定)と久保康友が奮起。
- 恒例の9月大失速で10月1日V逸決定。なんとかAクラスは確保する。同日絶対に許さない人が戦力外通告を受ける。
- 矢野燿大選手が右ひじの故障もあり引退。お疲れ様でした。引退試合ェ・・・
- 毎年30代以上の選手ばかりがベンチにいるのが常であったが、代走や守備固め、中継ぎを中心に若手の活躍も目立った。投手では終盤に新人の秋山拓巳が登場。高卒ルーキーで無四球完封を達成するなど来シーズン以降に期待。
- 二軍はもつれにもつれた挙句優勝。その勝負強さを一軍にわけてやれよ…。→ファーム日本選手権で大逆転負け。
- CSでは当然のように敗退。
2011年(68勝70敗6分、4位)監督:真弓明信
- ジョニキ故障→楽天で干されてた藤井彰人獲得。阪神顔最高や!→城島「間にあった」藤井「えっ…」→城島「やっぱだめだった。年齢とケガには勝てん。」藤井「チャンス発見!頑張るぞ!」→見事にリード、捕球、打撃でも活躍。城島「…。」→後半戦の消化試合(順位決定後の試合)にて、小宮山や清水がスタメンマスクとなる。藤井「まぁ…しゃーない…」
- 大崩壊したリリーフ陣を立て直すため小林宏之獲得→2007年ドラフト1位で若手有望株の高濱卓也を人的保障で持ってかれてしまう。首脳陣及びフロントの頭の悪さが目立った。→6月8日の古巣球場であるQVCマリンフィールドの試合から復活し、いつもの投球に戻る。もちろんその時リードしていたのは藤井。城島「…。」
- 金本知憲の連続出場試合記録が1766でストップ。金本の高校の後輩に当る俊介の盗塁失敗が直接の原因ではあるが、真弓「(打席に立っただけでは止まるとは)知らなかった」
- 交流戦前半戦ぐらいまで打撃が絶不調と言ってもいいほど不振で、去年打線を支えたブラゼルとマートンの他、ケガの城島や、俊介等も不振に陥っていた。だが交流戦後半戦以降に吹っ切れたように打線が好調に。特に7月1日~3日の横浜3連戦(甲子園)ではその好調打線を象徴するような得点量(3戦合計26得点)で、余裕の3タテ。だが俊介と城島はまだ不調と言える。守備、代走でつかえる俊介はともかく…。城島「…。」
- 秋の風物詩、藤川のサヨナラ負け等で、CS出場権を逃す。4位でシーズン終了。
- CS出場しないと真弓明信監督を解任とされていた為、真弓の指揮する阪神は今年までとなった。解任が決定し、シーズンの甲子園最終戦にて、「マユミ」コールが盛大に行われた。それに対して本人は会見にて「コールが起こった? なあ…」「最後に勝ててよかった。特別な感情? そらあるけどさ。最後にこうやって、甲子園最後の試合を勝ちで締めくくれたんでよかった」と、驚きや歓喜の気持ちを隠せなかった。
- 真弓解任決定後、次の監督は誰なんだろう?といった噂では、梨田・落合・野村・和田・矢野 等が上げられがちだったが、結局和田豊に落ち着いた。
2012年(55勝75敗14分、5位)監督:和田豊
- 「少しのスパイスで優勝争いできる」就任会見でそう言い切った和田監督はオフシーズンに補強をせず。
- 赤星引退後、守備が下手だと二軍幽閉されていた桜井、本職はレフトのはずのマートンと迷走を繰り返していたセンターのポジションに、本職ショートの大和をまさかの大抜擢!
- 実績のある選手を優先的に起用して、若手選手がミスをするとスタメンから下ろしたり、二軍に落とす懲罰を繰り返す。これでは若手が育たんわ。
- 4月は安藤の勝利、金本のホームランなど、終わったと思っていた選手の一時的な復活により一時は首位にたつなど、そこそこ好調だった。
- しかし、長年固定してきた実績ある主力選手・外国人選手が軒並み不振に陥り、5月頃から黒星を重ねる。7月5日に「残り12試合で9勝3敗、開き直って借金を全部返すつもりで頑張ろう。俺は オールスターまでに借金を返すと思っていく。」と和田監督自ら熱弁を振るうも、それから9勝目を達成したのはおよそ1ヶ月半後の8月17日ヤクルト戦だった……
- 「アイ ドント ライク ノウミサン。」交流戦に入ってもチームが連敗を重ねる中、緩慢な守備を問われ、マートンまさかの暴言連発。その試合先発したエース能見がとばっちりを食らうハメに。それどころか6月10日発売のスポーツ紙各紙がその発言を一面ですっぱ抜いたもんだから、マートンイライラ。さらに8月17日のヤクルト戦に緩慢の守備を巡って関川守備コーチとやり合う始末。2軍に落とされる。チームの雰囲気は最悪に……これって暗黒?
- 7月頃から不振の新井(兄)に代わり、新井良太がスタメン出場、一気にブレイクを果たし、4番に就任する。また、同じく夏ごろから不振の平野に代わり二塁手で出場を始めた上本もブレイク。1番上本、2番大和のコンビがかなりハマる。若手最高や!しかし後続の新井兄弟がゲッツーを打ちまくってせっかくのチャンスが台無しに。
- 成績不振から、球団初となるGMの役職を設けることに。中村勝広氏が就任したものの、契約内容は異例中の異例とも言える一年契約。当人はヤル気満々で年俸十億円カットを宣言。……汚れ役を押し付けられただけじゃ。
- 編成会議が行われ、来季の構想からブラゼルを外すことに。シーズン途中ながらも、帰国となった。2010年に47本塁打を放ち、あの55本超えも期待された選手としてはあまりにあっけない退団だった。
- 2012年9月12日、鉄人金本、記者会見の場で現役引退を表明。「この3年間は惨めで自分が可哀想だった」ファンへのメッセージとして「かなり落ちぶれてからはバッシングとか多かったけど、それでもこんな成績でも一生懸命励ましてくれたファンというか…弱った時に支えてくれた人に恩義に思います。」と語った。
- ほぼ同時期に城島健司も現役引退を表明。こちらは二軍の試合で引退試合を行った。
- 金本引退試合、古巣相手となる9月29日広島戦で調整!→広島がCS進出をかけて戦ってるので変更→10月5日ヤクルト戦が決定的!→DeNA戦が雨天中止となり、追加日程が10月9日に組まれることが決まっており、それが今季最終戦になった。酒井営業部長「こういうこともあるかとおもって、(引退試合は)調整中としていた。今も最終要請ということ」 チケット売り上げ美味しいです。
2013年(73勝67敗4分、2位)監督:和田豊
- オフに例年にない大型補強にでる。新外国人として前タンパベイ・レイズのブルックス・コンラッド内野手、ミネソタ・ツインズを退団した西岡剛内野手を獲得すると、続けざまにオリックスからFA宣言した日高剛捕手を獲得し、城島退団により手薄になった捕手を補強。さらに3Aスクラントンを自由契約となった福留孝介まで獲得し、総額一年あたり4億7千万円なり。
- それでも大量に金が浮いたあたり、去年がいかに高額だったかをうかがえる。
- 左肘を手術した榎田投手の負担を減らすため、中継ぎから先発へ転向に→守護神藤川球児の穴を埋める投手がいない……→能見に白羽の矢が立つ。中西コーチ「先発に戻すことは考えていない」→能見「ノーサンキュー。やったことはないし、未知数ですから。やりません」→ということで、右のエース久保がまさかの守護神に。→しかし6度の救援失敗を起こすなど結局久保は二軍行き。
- 勝ち継投が安藤(35)、福原(36)、加藤(35)、筒井(31)のおっさんメインでちょっと不安→前半戦の防御率が安藤2.50、福原0.68、加藤0.85、筒井1.65と大活躍。躍進の原動力に。
- 「ノウミサン アイシテル!」開幕7連勝していた読売に土を付け、その日のお立ち台でマートンと能見が抱擁を交わし、歴史的な和解。
- 6月には巨人が交流戦で5連敗を喫し約400日ぶりに首位浮上→長くは続きませんでした。
- 9月7日、代打の神様桧山進次郎が現役引退を表明。引退試合で「地響きのような声援を一生忘れません。僕は幸せ者でした」と語り、22年間の現役生活にピリオド。お疲れ様でした。→その後、クライマックスシリーズファーストステージでの現役最終打席でなんとホームラン。有終の美を飾りました。
2014年(75勝68敗1分、2位)監督:和田豊
詳細はプロ野球2014を参照
2015年(70勝71敗2分、3位)監督:和田豊
詳細はプロ野球2015を参照
2016年(64勝76敗3分、4位)監督:金本知憲
詳細はプロ野球2016を参照
2017年(78勝61敗4分、2位)監督:金本知憲
詳細はプロ野球2017を参照
2018年(62勝79敗2分、6位)監督:金本知憲
詳細はプロ野球2018を参照
2019年(69勝68敗6分、3位)監督:矢野燿大
詳細はプロ野球2019を参照
2020年代
2020年(60勝53敗7分、2位)監督:矢野燿大
詳細はプロ野球2020を参照
2021年(77勝56敗10分、2位)監督:矢野燿大
詳細はプロ野球2021を参照
2022年(68勝71敗4分、3位)監督:矢野燿大
詳細はプロ野球2022を参照
2023年(85勝53敗5分、1位、日本一)監督:岡田彰布
詳細はプロ野球2023を参照
2024年(74勝63敗6分、2位)監督:岡田彰布
詳細はプロ野球2024を参照
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