阿川佐和子(あがわ・さわこ、1953年11月1日~)とは、タレント・エッセイストである。
概要
おしとやかに育ってほしいと女子校に入れたら逆にお転婆に育ってしまったという。当時は卓球部に所属。今はスリムな阿川だが、当時はミルクタンクと呼ばれるほどふくよかだったらしい。慶應義塾大学文学部卒業後、就職せずに織物職人を目指してアルバイト(小学校の図書館司書など)を転々とした。TBSのニュース番組でレポーターを担当したことをきっかけに、情報デスクTodayのアシスタント、筑紫哲也のNEWS23のキャスターを務めた。織物職人への道は挫折。深夜番組を担当していた時のことは1980年代~1990年代のエッセイに詳しくつづられている。1992年アメリカ・ワシントンに渡米、1年間滞在。帰国後はこれもTBSの報道特集のキャスターを務めた。1990年代後半、今も続いているビートたけしのTVタックルの進行を務めることになり、アクの強い共演者たちに動じることなくクールに司会を務める姿は圧巻である。この間もエッセイを書き続けていたが、1999年初めて小説に挑戦。「ウメ子」は坪田譲治文学賞を受賞。父が作家だったせいか(家庭内では色々苦労していたようで)学生時代は小説をあまり好んでいなかったようである。CMでたびたび共演した女優・檀ふみ(1954年~)とは、特に親交が深い。若い頃にお見合いを100回以上したという武勇伝(?)を持っている。アルバイトを転々としていた時、同時に花嫁修業もしており料理は上手だという。未だ独身。
阿川佐和子と新幹線
従来の新幹線(ひかり、こだま)や飛行機より速いとアピールするための新しい名称が必要であった。しかし、JR東海は「スーパーひかり」という名称を避けたかったので新しい名前が考える必要があった。
選考委員であった佐和子は父で日本の鉄道関係に詳しい弘之に相談したところ「日本国鉄の列車の名前は歴代すべて大和言葉でつけられてきた」と佐和子にアドバイスした。そして、佐和子は修学旅行列車の「きぼう」を大和言葉にした「のぞみ」という名前を提言したら、JR東海から気に入られたのか採用されることになった。対立候補に「つばめ」があったらしい。
このため、佐和子(と助言した父の弘之)が「のぞみ」の名付け親となっている。ちなみに弘之は「つばめ」案を支持していたらしい。
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