阿茶局(あちゃのつぼね)、(弘治元年/1555-寛永14年/1637)とは、徳川家康の側室。本名は須和と伝わる。法名は雲光院。
同じく家康の側室に「茶阿局(ちゃあのつぼね)」という人物もいるが、こちらは松平忠輝の母で、別人である。
概要
武田家家臣・飯田直政の娘として生まれる。初めは今川家家臣・神尾忠重に嫁ぎ二男を設けるも、夫と死に別れ未亡人となったところを、家康に見初められ側室となった。ちなみに下級武士に嫁ぎ子を設けるも夫と死別し後に家康に見初められ側室になるという流れは、前述の茶阿局をはじめ家康の側室にはよくあることである。
何度も家康の戦に同行するなどお気に入りであったが、小牧・長久手の戦いの陣中で流産、以後は子供に恵まれなかった。
大変な才女であったようで、母を亡くした徳川秀忠・松平忠吉兄弟の養育を家康に任されたことを皮切りに、奥向きの一切を任せられていた。さらに大坂冬の陣の際には和議を行うなど、側室と言うよりは女参謀というべき地位にあったようだ。
家康の死後も剃髪を認められず、秀忠の娘・徳川和子(のちの東福門院)の入内に同行し、母親代わりを務めている。その功によって後水尾天皇より従一位民部卿の地位を賜り、神尾一位、一位尼と呼ばれた。
寛永14年まで生き、死後は雲光院に葬られた。雲光院は現在も東京都江東区にある。
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