電子制御(MotoGP)とは、なにかをコンピュータで操作して、様々な効果を得る技術のことである。
電子制御を略して電制(でんせい)ということがある。英語ではelectric controlという。
さまざまな電子制御
MotoGPにおける電子制御というと、電子制御サスペンションや電子制御ステアリングダンパーといったものがある。しかし、これらは2009年7月の規則改定により禁止された(記事)。
「エンジン主軸の回転数を電子制御する技術」は、英語でEngine Control Unitと言い、頭文字を取ってECU(いーしーゆー)と略される。この技術は、2020年現在になっても禁止されておらず、MotoGPの各クラスにおいて最重要の技術となっている。
2020年現在において、MotoGPの「電子制御」というと、99%、「エンジン主軸の回転数をコンピュータで制御する技術」のことを指す。ゆえに、本記事では、「エンジン主軸の回転数をコンピュータで制御する技術」について記述する。
エンジンの動かし方
このgif動画やこの動画を見つつ、エンジンの動かし方を簡単におさらいしてみよう。
スロットルバルブを開けて空気を入れる
まず、ライダーが右手首をひねってアクセルを開ける。そうすると、エンジンの燃焼室につながっている管(くだ)のなかのスロットルバルブ(弁)がパカッと開き、エンジンの燃焼室へ空気を送り込む。
ライダーの右手首の操作というのは、空気の量を操作している。
スロットルバルブの動かし方は、2種類ある。右手首近くのアクセルとスロットルバルブを金属線(ケーブル)で結んでスロットルバルブを動かすタイプを機械式という。この方式だと、あまり電子制御が進化しない。
アクセルが動いた量を電気信号に変え、電気信号を電線で送り、スロットルバルブをモーターで動かすタイプをスロットル・バイ・ワイヤ(throttle-by-wire)という。この方式は、電子制御を進化させるために必須と言える。
ちなみに、~バイワイヤ(~by-wire)というのは、「電子信号と電線で行う」という意味である。航空機のエンジン操作を電子信号と電線で行うならフライバイワイヤとなるし、4輪自動車のエンジン操作を電子信号と電線で行うならドライブバイワイヤとなるし、オートバイのエンジン操作を電子信号と電線で行うならライドバイワイヤとなる。
スロットルバルブの形状
スロットルバルブの形状には2種類あり、スライド型とバタフライ型がある。この記事には、その2種類がイラストで載っていて参考になる。
スライド型は、スロットルバルブを全開にしたとき、管の中の障害物がなくなって大量の空気を効率よく流し込めるので、エンジンパワーが出る。一方で、部品の形状が大きくなってしまうのが難点である。
バタフライ型は、スロットルバルブを全開にしたとき、管の中の障害物が残るので大量の空気を効率よく流し込めなくなり、エンジンパワーが悪くなる。ただし、部品の形状が小さくて、エンジンの燃焼室の近くに置けるというのが利点である。スロットルバルブをエンジンの燃焼室に近い位置に置くと、スロットルバルブの動きとエンジンの出力がより密接に連動するようになり、スロットル・レスポンスが向上し、スロットルバルブの動きでエンジンの出力をより正確に操作できるようになる。
2020年現在のMotoGPでは、バタフライ型スロットルバルブが主流である。
バタフライというのは蝶々という意味で、この記事の画像と蝶々の画像が似ている。ちなみに、バタフライ型バルブを「バタ弁」という。
※この項の資料・・・RACERS vol.14 34ページ
インジェクターが混合気を作る
空気が管に送り込まれたら、空気の量を検知したインジェクターがガソリンを噴出する。インジェクターはこういう感じのものである。
空気とガソリンの比率を空燃比というのだが、その理想的な比率は理想空燃比と呼ばれ、ガソリン:空気=1:14.7とされている。それよりも薄い混合比はリーン(lean)でガソリン:空気=1:15~16などであり、それよりも濃い混合比はリッチ(rich)でガソリン:空気=1:12~13などである。インジェクターをコンピュータで操作して、上手に混合気を作り上げる。
この動画を見ると、スロットルバルブとインジェクターの位置関係がよく分かる。スロットルバルブがパカッと開いて空気量を決め、それに応じてインジェクターがガソリンを噴く。
ちなみに、MotoGP最大排気量クラスのマシンは、シリンダー1つにスロットルバルブ1つが存在する。4気筒なら4つのスロットルバルブがある。RACERS vol.14 34ページに絵が描かれているので参考のこと。
このように、空気に応じてインジェクターがガソリンを噴霧して混合気を作る機構をフューエルインジェクション(Fuel Injection)という。頭文字を取ってFIとも呼ばれる。電子制御を進化させたいのなら、この方式を採用する必要がある。また、燃料を効率的に燃やせるので環境的にも良好である(記事)。
MotoGPにおいて、4ストロークエンジンの車両なら、フューエルインジェクションを採用していると見て良い。
MotoGPには2ストロークエンジンが主流だった時代があった。2ストロークエンジンにおいて、フューエルインジェクションを採用する例も少しあったが、やはり、キャブレターが主流だった。
4スト=フューエルインジェクション、2スト=キャブレター、と憶えておいてよい。
燃焼室で火花を散らして爆発させる
ガソリンと空気の混じった混合気が、エンジンのシリンダーの燃焼室に到達したら、あとは、スパークプラグ(点火プラグ)で火花を付けるだけである。
このgif動画や、この動画で、火花が散って爆発してピストンが動いている様子を眺めてみよう。
火花を付けて、燃焼室で爆発させ、ピストンを直線運動させる。コネクティングロッド(コンロッド)とクランクシャフトで、ピストンの直線運動を回転運動に変換する。
電子制御の機能
電子制御とはエンジン主軸の回転数をコンピュータで制御する技術で、それにより様々な効果を生む。
ニコニコ大百科に記事がある電子制御の機能は、以下の通りである。
このほかの電子制御の機能というと、ピットレーンリミット(ピットレーン制限)が挙げられる。ピットレーンに入ったらライダーが左ハンドルのボタンを押し、ピットレーン制限の機能を効かせ、時速60km以下を保つように速度制限する。ピットレーン制限の機能が効いているときは「バッバッバッ」というエンジン音になる。
電子制御を嫌うライダー
電子制御という技術は、「基本的に、エンジン出力を抑える技術である」とイメージしておいてよい。
ヤマハワークスの電子制御技術者である関和俊さんが「僕たちの仕事というのは、基本的には、その、パワーを削る側の仕事になってしまいますね」と語っている(動画)。
電子制御の諸機能とエンジン主軸の回転の関係は、次のようになっている。エンジン主軸の回転を抑え、パワーを削る機能の方が多い。
トラクションコントロール | エンジン主軸の回転を抑え、パワーを削る |
アンチジャーク | |
アンチウィリー | |
ローンチコントロール | |
クイックシフター | |
オートブリッピング | エンジン主軸を少し回し、少しパワーを与える |
エンジンブレーキ制御 | |
マッピング | |
ピットレーン制限 | エンジン主軸の回転を抑え、パワーを削る |
電子制御を効かせれば効かせるほど、アクセルを開けても加速しないマシンになる。このため、電子制御を嫌うライダーも存在する。
その筆頭がケーシー・ストーナーで、彼は電子制御をできるだけ少なくして、アクセルワークとリアブレーキだけでマシンを操作するのが好みだった。
ケーシーは2010年11月のバレンシアテストでダニ・ペドロサが「ホンダが2011年向けに用意したエンジンは力強すぎる」と言っていたときに「ホンダのエンジンは優しくて甘い感じだ(I found that the engine was mild and sweet)」と言っていたような人である(記事1、記事2)。また、イタリアのテレビ局に「最大排気量クラスは2スト750ccのマシンで争うのがよい」と言ったこともある(2012モトGP PRESS VOL2)。電子制御をきっちり効かせたマシンなど、彼にとっては退屈そのものの存在だった。
鈴木哲夫HRC社長は、ケーシー・ストーナーについて、「実は彼は、電子制御が明らかに入っている仕様にすると嫌がるライダーなので、彼が気づかないような微妙な制御を入れるようにしていました」と語っている(記事)。
凹凸のある路面で電子制御が過剰に効いてしまう
電子制御は、凹凸がない完璧な路面を想定して作られている。
路面に凹凸があってバイクがジャンプして接地を失いフロントタイヤが空転してしまうと、アンチウィリーが作動して、バイクが自動的にエンジン出力をカットしてしまう。
路面に凹凸があってバイクがジャンプして接地を失いリアタイヤが空転してしまうと、トラクションコントロールが作動して、バイクが自動的にエンジン出力をカットしてしまう。
バイクが自動的にエンジン出力をカットすると、加速力が落ちてしまい、競争力が落ちてしまう。また、いきなりエンジン出力をカットするのでバイクが不安定になることも、望ましくない問題点である。
路面に凹凸があって電子制御が過剰に発動してしまう事で悪名高いサーキットは、サーキットオブジアメリカズ、シルバーストンサーキット、カタルーニャサーキットあたりとなる。
※この項の資料・・・motorsport.comのダニ・ペドロサ発言
ボタンを押す
ボタンをハンドルに取り付ける
電子制御の設定を走行中に変更するためのボタンは、ハンドルに取り付けられる。ライダーは走行中に親指でボタンを押す。チームが遠隔操作で電子制御の設定を変更することは、禁止されている。
メーカーごとにボタンの様子が異なっている。
スズキは、左右にボタンを取り付けており、数が多い(画像)。
ホンダは、数が少なめである(画像)。
ヤマハも、数が少ない。このページには2006年のマシンの様子が映っていて、左に2個、右に2個のボタンがついている。2019年型のマシンもこれと大体同じであり、左に2個、右に2個のボタンがついていて、その様子がライディングスポーツ2020年4月号14ページで公開されている。
ドゥカティは、左に5個のボタンを付けていて、右になにも付けていない(画像)。
「MotoGP button」で画像検索すると多くヒットするのが、ドゥカティのボタンである。ドゥカティサテライトのプラマックレーシングに所属するスコット・レディングがYoutubeでボタン操作を紹介したので(動画)、その影響を受けている。
KTMは、ドゥカティとよく似た感じで、左に5ヶのボタンを付けている。ただし、そのうち1つは、会社カラーのオレンジ色である(画像1、画像2)。
プラマックレーシングのボタン動画
先ほど紹介したプラマックレーシングの動画を見てみよう。画面の右下に字幕ボタンがあるので、それを押して字幕を出現させるとよい。
赤いボタンがパワー(power)。これを押すたびにマッピング(電子制御の設定をまとめたもの)が切り替わる。プラマックレーシングではマッピングA、マッピングB、マッピングCの3種類を設定していて、マッピングAが最強であり、マッピングBがその次に弱く、マッピングCはさらに弱い。
青いボタンがローンチ(launch 「発進」の意味)。スタート時はこのボタンを押して、ローンチコントロールを発動させる。
黄色いボタンがフューエル(fuel 「燃料」の意味)。燃費節約モードの強弱の切り替えを行うボタン。こちらもA、B、Cのモードがある。
スコット・レディングは「赤いパワーボタンと黄色いフューエルボタンは一緒に使う(赤いボタンを押すときは黄色いボタンも押す)」と語っている。
「それならば、赤いボタンと黄色いボタンを統合してしまえばいいじゃないか」と誰もが考えるだろう。ホンダやヤマハは、その考えを実現させたようで、ボタンが少なくなっている。
灰色のボタンはピットレーン走行時に押し、ピットレーンリミット(ピットレーン制限)を発動させて、時速60km以下で走行するようになる。そのときのエンジン音は「バッバッバッ」というものになる。
緑色のボタンはエンジンブレーキの設定を変えるもの。ヴァレンティーノ・ロッシのサインボードにはときおりBRKと表示が出る(画像)。これについて問われたロッシは「エンジンブレーキに関するものなんだ」と回答している。このサインボードを見て、エンジンブレーキのボタンを押すのであろう。
MotoGP公式サイトのボタン動画
MotoGP公式サイトも、電子制御のボタンを紹介する動画を作っている。
こちらも左ハンドルに5つのボタンがついている。
青いボタンがピットレーンボタンで、ピットレーンリミット(ピットレーン制限)を発動させる。
黒いボタンがローンチボタンで、ローンチコントロールを発動させる。
中央の黄色いボタンで電子制御の設定を切り替える。黄色いボタンを押すたびにトラクションコントロール、アンチウィリー、トルクマップ、エンジンブレーキとモードが切り替わっていく。
マッピングを変えたい場合は黄色いボタンを何回か押してトルクマップのモードにする。マッピングを強くしたいのなら赤いアップ(up)のボタンを押し、マッピングを弱くしたいのなら緑色のダウン(down)のボタンを押す。
エンジンブレーキ制御を変えたいのなら、やはり中央の黄色いボタンを押してモードを変え、赤いボタンか緑色のボタンを押して強弱を変更する。
レース中に忙しくボタンを押す
決勝レースになると、状況に応じてボタンを押す必要がある。
ドゥカティのマシンのボタンの場合、赤色のパワーボタンと黄色のフューエルボタンを一緒に押し、緑色のエンジンブレーキボタンを押す。
ボタンを押し間違えることがある
ボタンはカラフルで間違えにくいように作ってあるのだが、決勝レース前の緊迫した心理の中でついつい押し間違えてしまうことがある。
2015年スペインGPで、アンドレア・イアンノーネがスタート用のボタンを押すべきなのに他のボタンを3~4秒押し続けてしまい、雨天走行用モードになってしまって、上手く走れなくなった(記事1、記事2)。走行中もテールランプ(マシンの後ろの赤いランプ。雨天走行時の目印になる)が付きっぱなしだった(動画)。3番グリッドだったのに11番手まで下がり、そこから6位にまで挽回した。非常に走りづらい雨天走行モードなのに走りきって6位に入ったので、このこと自体はイアンノーネの凄さを示している。
2019年アルゼンチンGPで、ホルヘ・ロレンソがスタート用のボタンを押すべきなのにピットレーンスイッチを押してしまい、スタート直後に順位を大きく下げてしまった(記事)。
2019年タイGPで、ジャック・ミラーがスタート用のボタンを押すべきなのにキルスイッチ(エンジン停止ボタン)を押してしまった(記事)。エンジンが止まったので、コース横の壁を開けてピットレーンに戻り、ピットレーンスタートした(動画1、動画2)。スタートの動画を見ると、6番手のところがぽっかり空いている。
ダッシュボードに情報が表示される
マシンの状態を示す計器盤のことをダッシュボード(dashboard)という。
インパネ、インストルメントパネル(instrument panel)という呼び方もあるが、MotoGPの公式サイトはダッシュボードという呼び方を好んでいる。
ダッシュボードには電子制御の設定、回転数、ラップタイム、ギア、と様々な情報が表示される。
ダッシュボードは、小さい(画像1、画像2、画像3)。
コーナーを走っているときのライダーは、全身を使っていて忙しく、とてもダッシュボードを見ている暇がない。それゆえ、ダッシュボードを見るのは直線を走っているときだけである。
2017年からチーム指示が表示されるようになった
2016年ドイツGPはハーフウェットの難しいレースになった。そのレースの後、最大排気量クラスのライダー達で構成される安全委員会(セーフティコミッション)で、「チームからの指示をダッシュボードに表示させるべきではないか」と議論されるようになった(記事)。
「ライダーの集中力を削ぐので危ない」という反対意見も出されたが、「単純な情報に絞ればよい」という意見が出されたこともあり、2017年からダッシュボードにチームからの指示が表示されるようになった(記事)。
2017年以降のダッシュボードに関する紹介動画は、こちらである。チームスタッフがパソコンに向き合い、指示の内容を選ぶ。指示の形式は決まりきっていて、単純なものに限られている。
GPSを使わずに現在走行中の場所を特定する
Moto2クラスやMoto3クラスはコーナーごとの設定ができない
Moto2クラスやMoto3クラスにおいて、コーナーごとに電子制御の設定を変えることは不可能である。電子制御の設定を変えたら、サーキットの全てのコーナーを同じ設定で走ることになる。
Moto2クラスやMoto3クラスの各チームは予算が少なくて電子制御の人員を雇うことができない。このため運営のドルナは、電子制御のコーナー別設定を廃止して、コストを削減し、各チームを支援することにした。
最大排気量クラスはコーナーごとに設定できる
最大排気量クラスにおいて、コーナーごとに電子制御の設定を変えることができる。
運営のドルナで技術監督をしているコラード・チェッキネリは、コスト削減のために最大排気量クラスにおいても電子制御のコーナー別設定を廃止したがっているのだが(記事1、記事2)、その意向は実現していない。
GPSが禁止されている
最大排気量クラスにおいて、GPS(人工衛星から発信される電波を受信して位置を特定するシステム)の利用は禁止されている。2000年代後半には各メーカーがGPSを使用していたが、2010年12月に正式に禁止された(記事)。
GPSの使用を許可するとセンチメートル単位で場所を特定できるので、電子制御の設定が細かくなり、各チームが電子制御の人員を多く雇うことになり、電子制御のコストが増大してしまう。
最大排気量クラスのバイクの最後尾にはカメラがついていて、ライダーを撮影している。この動画では、マルク・マルケスの尻を映している。
MARQUEZと文字が書いてあるが、そのUEZの前に、黒い小さな部品がある。これは、運営のドルナが付けたGPSで、テレビ放送に役立てるためだけに設置している。ライダーが転倒すると、その黒い小さな部品がポロッと外れてしまうことがある。
位置を推測する
最大排気量クラスにおいて、どうやって位置を特定するかというと、推測するシステムを採用している。
運営のドルナは、すべてのサーキットを4つのセクター(sector 部門)に区切っていて、セクターごとにタイム計測をしている。
セクターの区切りには、ドルナが電波を送信する装置を置いている。各マシンは、トランスポンダーでその電波を受信して、「セクター1を超えて、セクター2に入った」と判断している。そして、そこからタイヤの回転を数えて、「セクター1とセクター2の区切りを過ぎてからタイヤが●回ほど回ったから、今いる場所はここだろう」と推測する(記事)。
2012年ポルトガルGPのニッキー・ヘイデン、2014年カタールGPと2016年カタールGPのカル・クラッチローはいずれもマシンの位置特定用装置が故障し、マシンが迷子になった(記事1、記事2、記事3、記事4、記事5、記事6)。
マシンが迷子になると、ライダーにとって非常に危険な状態になる。高速コーナーでキツいエンジンブレーキがかかったり、エンジンブレーキがかからず止まれなくなったり、ライダーが「我ながらよく完走できたものだ」という状況になる。
忠誠心の低いサテライトチームには電子制御の設定を教えない
電子制御というのはエンジンを操作する技術であるので、電子制御の設定を見ればエンジンの性質がよく分かる。
メーカーにとってエンジンの性質というのは重大な企業秘密である。それゆえ、他メーカーに乗り換える可能性がある忠誠心の低いサテライトチームには、電子制御の設定を教えずに放置して、企業秘密の漏洩を防ぐ。
ヨナス・フォルガーは2017年にヤマハサテライトのTech3に所属し、2017年限りで現役を引退し、2018年11月からヤマハのテストライダーになった。2018年11月のテストでヤマハのマシンに乗った感想は「Tech3のマシンと電子制御が全然違う」というものだった(記事1、記事2)。
Tech3は、2018年限りでヤマハ陣営を脱退し、2019年からKTM陣営に加入した。このため、ヤマハにとって、エンジンの性質を伝える電子制御の情報をKTMに渡さずに済んだ。
電子制御の歴史
2001年までのMotoGPの最大排気量クラスは2ストローク500ccエンジンだった。この2ストロークエンジンは電子制御を取り入れることが難しかった。
2002年から4ストロークエンジンの時代が始まった。4ストエンジンは電子制御を取り入れやすく、初年度から各メーカーが競って電子制御の技術を磨いていった。
2010年頃には各メーカーの技術が上達し、ハイサイド転倒も減少し、走行タイムも上がっていった。
ところが電子制御というのは膨大な作業量が必要で、上手く扱うには熟練作業員を多く必要とする。熟練作業員を多く用意できるメーカー直系のワークスチームが圧倒的に有利となり、プライベートチームの勝機がどんどん少なくなっていき、興行として魅力が少なくなっていった。
また、電子制御という技術には終わりというものがない。その気になれば、無限に細かく設定できる。電子制御の開発競争は資金を浪費する不毛な争いになると論議され始めた。
電子制御の統一でコストを下げようと論じられ始めたのは2012年シーズンの当初である。レースにかかるコストを減らして参戦費用を下げたいと考えるドルナが提唱したが、電子制御の分野で優位に立っているホンダやヤマハはかなり強硬に反対していた。ホンダは「電子制御が統一されるのなら撤退する!」とまで言っていたのだが(記事)、ドルナは粘り腰で対応し、じっくり説得した。
2014年シーズンは電子制御のハードウェア(マシンに搭載する小型コンピュータなど)が、マニエッティ・マレリ社のものに統一された。
2014年シーズン開幕直前に、ホンダやヤマハの首脳が電子制御ソフトウェアの統一に合意した(記事)。
2016年シーズンから電子制御ソフトウェアがマニエッティ・マレリ社のものに統一されたのだが、その年はプライベートチームの優勝が3回起こった。2007年から2015年まで9年間もプライベートチームの優勝が見られなかったので、新鮮な驚きとなった。
マニエッティ・マレリ
MotoGP最大排気量クラスとMoto2クラスの電子制御は、ハードウェアもソフトウェアもマニエッティ・マレリが作ったものである。
マニエッティ・マレリは、1919年にイタリアの巨大企業フィアットの出資を受けてエルコレ・マレリが設立した企業で、2018年までフィアットグループの一員だった。
2018年4月、フィアットがマニエッティ・マレリを分社化する方針を発表した。
2018年10月、日本のカルソニックカンセイがマニエッティ・マレリを買収し、それと同時に社名をカルソニックカンセイからマニエッティ・マレリに変更するという、少しややこしい合併をした。
2019年10月に、マニエッティ・マレリ(旧カルソニックカンセイ)は社名をマレリに変更した。
もともとはエンジンに使う磁石を作る会社だった。このため社名にマニエッティという言葉が入る。マニエッティはMagnetiと書き、イタリア語で磁石という意味で、英語のMagnet(マグネット)に相当する。
電装品、燃料噴射装置、電子制御、ギア、サスペンション、マフラー(吸排気部品)、ライト、など自動車部品なら何でも作る総合メーカーで、日本のデンソーやドイツのロバート・ボッシュと同格の企業である。
主力工場はイタリア北部の大都市ミラノ近郊のロンバルディア州コルベッタにある。ちなみにフィアットの本社はトリノにあり、トリノがあるピエモンテ州やその隣に位置するロンバルディア州は、イタリア随一の先進工業地帯として知られる。
デロルト
Moto3クラスの電子制御は、ハードウェアもソフトウェアもデロルト(Dell'Orto )が作ったものである。
創業者の名字であるデロルトを社名として1933年に設立された。
本社はイタリア北部の大都市ミラノ近郊のロンバルディア州カビアーテにある。
電子制御の代わりとなるテクニック
電子制御がなかった時代のライダーは、フロントタイヤのウィリーやリアタイヤのスライドに対して、どのように対処していたのだろうか。
対処法は主に2つあって、リアブレーキと荷重移動だった。
リアブレーキも電子制御も、リアタイヤの回転数を落とすという点で同じであり、やることが似ている。電子制御が登場する前にリアブレーキを駆使していた代表例は、ミック・ドゥーハンである。
荷重移動を駆使していたライダーはケヴィン・シュワンツやヴァレンティーノ・ロッシが代表例である。彼ら2人とも身長が高くて手足が長く、バイクの上で体重を移動させるのが得意である。フロントタイヤがウィリーしそうになったら荷重を前に移動させる、リアタイヤが滑ったり暴れたりしたら荷重を後ろに移動させる・・・この繰り返しをしていた。
ウェイン・レイニーは「コーナーから脱出するときはシートから尻を外して前に出し、燃料タンクの上に尻を置いて、それで前に荷重をかけてウィリーを防いでいました」と語っているし、クリスチャン・サロンは「コーナーから脱出するときは思い切り体を前に移動させていました。もの凄い速さで前に移動していたのでヘルメットがカウルに当たり、カウルが割れたことがありました」と語っている(記事)。
青木宣篤さんは2スト500ccのマシンの加速について「フロントタイヤに覆いかぶさるようにしてウィリーを抑え それでも浮いてくるならタンクにヘルメットを押し付ける!」と記している(記事)。
関連項目
- トラクションコントロール(MotoGP)
- アンチジャーク(MotoGP)
- アンチウィリー(MotoGP)
- ローンチコントロール(MotoGP)
- クイックシフター(MotoGP)
- オートブリッピング(MotoGP)
- エンジンブレーキ制御(MotoGP)
- マッピング(MotoGP)
- 2
- 0pt