J7W1 震電(しんでん)とは、「ワールドウィッチーズ」に登場するストライカーユニットの型式である。
概要
扶桑皇国の海軍航空技術廠によって研究開発された航空ストライカーユニット。実製作は筑紫飛行機が担当した。高度10000mにおける戦闘を目して開発された高高度・高速迎撃用ユニットであり、1945年(昭羽20年)当時、扶桑でも最新鋭となる高速迎撃用の局地戦闘ユニットであった。
脚長110cmを越える大型戦闘脚であり、宮菱重工業 零式艦上戦闘脚や山西航空機 紫電といった従来の戦闘脚とはまったく異なる形状となった垂直翼付きの大型主翼、呪符形成器以後の尾部に設置された小型翼といった独特なフォルムが最大の特徴となっている。最終的な完成形は優秀な成績を収め、量産化された。
筑紫飛行機
生産元である筑紫飛行機は、松浦鉄工所の航空機部が分離して設立された航空機メーカー。三つの丸からなる「三つ星」を社章としている。同社は他社開発の練習機のライセンス生産、水上練習機の独自開発・生産を経て、ストライカーユニットの開発にも着手した。
モデルは九州飛行機。渡辺鉄工所を母体とし、局地戦闘機「震電」のほか陸上哨戒機「東海」などを設計・生産した。
開発経緯・性能
扶桑海軍が、革新的な高速迎撃用ユニットとして開発した航空ストライカーユニットが「震電」である。開発には海軍航空技術廠があたり、同廠の鶴田敬子大尉が開発の中心となって、1943年(昭羽18年)に風洞実験、1944年(昭羽19年)に縮小モデル滑空試験の成功と研究が進められた。これを受け、筑紫飛行機が十八試局地戦闘ユニット「震電」として試作命令を受けることとなる。
震電の魔導エンジンには宮菱が開発し山西 紫電五三型に採用されたマ43シリーズが選定され、その2,000Mpを越える大出力を活かすべく6枚呪力ペラ形成器を搭載することとなったが、「震電」用エンジンの開発は遅延。危うく頓挫しかけたものの、1945年(昭羽20年)春になって故・宮藤一郎博士から娘の宮藤芳佳のもとに大きく遅れて届いた手紙に同封されていた設計図がもたらされ、新型魔導過給器を搭載するマ43-42特と「震電」試作1号機の完成に至った。
しかし、完成した同機は使用に極めて高い魔法力を要し、鶴田少佐(昇進)や横須賀航空隊審査部でも使用不能の存在であった。つづく試作2号機、3号機では既存の魔導エンジンが流用され、このうち成績の良かった試作2号機をもとに、魔導エンジンをマ43-42エンジンに変更、呪符形成器をより量産性の高い4翔形成器に変更した試作4号機が製造された。これをプロトタイプとして21機が追加量産され、その後も5~7号機が横須賀で運用テストに供されるなど細かい修正が行われている。
性能・各種形式
高速迎撃用ユニットという開発目的に違わず、試作2号機での速度試験では761km/h(非公式)と、当時の最新鋭主力戦闘脚である紫電五三型の最大速度を100km/hも上回る高速を発揮。実戦使用では圧倒的な上昇性能も見せつけている。
追加量産機による横須賀での運用テストでは、震電は上昇力と高高度性能が高く、高速一撃離脱戦法に極めて適すると判断された。一方で機動力に劣るため格闘戦には不向きとされ、また着陸時速度の高さや始動の手間といった欠点もあった。このことから、欧州派遣部隊や首都防空部隊に配備するため100機の量産が指示された。
試作機
試作1号機
試作1号機は、6枚呪力ペラ形成器とマ43-42特魔導エンジンを搭載したが、上述の通り始動にさえ膨大な魔法力を必要としたため扶桑国内には搭乗できるウィッチすら存在せず、使用不能となっていた。
そこで、その膨大な魔法力を持つとされる宮藤芳佳軍曹(501JFW所属・在ロマーニャ公国)による運用テストに望みを託し、援三号作戦で欧州へと派遣される戦艦<大和>に積載・輸送された。当時、同軍曹は搭乗機である零式艦上戦闘脚がその魔法力の増大に対応できず不調だったが、ネウロイに遭遇した<大和>艦内で急遽搭乗した「震電」試作1号機は見事に彼女の魔法力に応え驚異的な戦闘力を発揮する。
父・宮藤一郎博士の遺した設計図によって完成した「震電」試作1号機に娘・宮藤芳佳軍曹が搭乗する状況は、501JFW司令ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐をして「まるで専用機」と評さしめ、同機は以後1945年7月のオペレーション・マルス(ヴェネツィア解放)完了時に放棄されるまで宮藤軍曹によって使用されることとなる。
放棄後の機体は回収され、ブリタニア連邦で整備・改修を受けてより安定した稼働を実現(噴進式への改造も構想されたが見送られた)、同年秋のネウロイの攻勢時に宮藤軍医少尉が一時的に再使用する。その後、翌1946年春のベルリン奪還作戦にあたり宮藤曹長用の決戦兵器として持ち込まれ、ウルスラ・ハルトマン中尉の整備を受けた。作戦直前に宮藤曹長が戦線を離脱したため不使用となるはずだったが、戦闘中に服部静夏少尉が搭乗して宮藤曹長に届け、みたび搭乗機に返り咲いた。
試作2号機~4号機
試作2号機、試作3号機は、最初の本格的な運用テストに使用された機体。呪符形成器は6枚ペラで、試作2号機ではマ43-11(山西 紫電五三型で使用)、試作3号機ではマ45-41を搭載した。前者の魔導エンジンは上述の速度記録を達成するなど快調だったが、正反対に後者のものは不調で、オイル噴出や不時着が多かったとされる。
試作4号機は快調だった試作2号機をもととし、呪符形成器は従来型の4翔形成器の改良型を使用。魔導エンジンもマ43-42へと変更された。以降の追加量産機は、この試作4号機をプロトタイプとすることとなる。
試験終了後の試作2号機は修理を受け、折しも類似形状のストライカーユニットを開発中だったリベリオン合衆国に貸し出された(S12号機)。結果的には運用が困難と評価され開発中止に終わったが、リベリオン陸軍飛行試験センターでの使用中はリベリオン機の塗装とラウンデルを纏うこととなった。
震電一一型
魔動機 | マ43-42 | 公称呪力 | 2,130Mp(離昇) |
---|---|---|---|
脚長 | 111.1cm | 自重 | 極秘 |
最大速度 | 750km/h(8,700m・標準的航空歩兵装着時) | 兵装 | 五式30mm機銃一型、他 |
『第五〇一統合戦闘航空団全記録参 第六集』所収 |
震電一一型は震電の先行量産型で、首都防空を担う第302航空隊、欧州根拠地の防空にあたり最新鋭迎撃機が優先配置される第352航空隊などに配備された。震電一一乙型は夜間戦闘向けに巡航距離を延長したサブタイプで、一一型と同時に生産され、同様に第302航空隊に配備された。
搭乗ウィッチ
搭乗記録のあるウィッチとしては、宮藤芳佳のほか、横須賀航空隊審査部の中岡柚子、第302航空隊の森岡寛、近藤祥子がいる。ベルリン奪還作戦では、501JFWの服部静夏が一時的に試作1号機に搭乗した。
登場
アニメ『ストライクウィッチーズ2』第8話において、親友の孤軍奮闘を前に、原因不明の不調で飛びたつことすらできず涙を溢す芳佳の前に謎の演出で現れたストライカーユニットが「震電」であった。この回で「震電」が同第1話で届いた宮藤博士の設計図により完成したことも明かされ、以後、最終話で芳佳が魔法力を喪うまで使用された。同機はその後漂着した海岸で回収され、『ストライクウィッチーズ劇場版』では魔法力を取り戻した芳佳の前に投下されてその復活の象徴となった。『ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN』では主人公機の座をいったん降りるが、最終話で復帰し芳佳の活躍を支えた。
『ストライクウィッチーズ2』OP/EDでは放送時には登場しなかったが、BD/DVD版でOPに手が入れられており、中盤の回転する零式艦上戦闘脚のカットのみ、9話以降では同様の震電へと差し替えられるギミックがある(ED含め他の零式登場シーンは差し替えなし)。
機種の設定解説・諸元は、『ストライクウィッチーズ2』特典全記録第六集、『ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN』特典全記録第六集に収録。イラストコラム「ワールドウィッチーズ」宮藤芳佳回でも愛用ストライカーユニットとして解説されている。
この他、アニメ登場より早い『ストライクウィッチーズ』放送開始の頃に、島田フミカネ先生が震電に搭乗する山川美千子(非ウィッチ)の絵を描いたことがある。後の画集でのコメントにいわく「想像か、夢の世界かな」とのこと。
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関連項目
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