靍岡賢二郎単語

2件
ツルオカケンジロウ
2.2千文字の記事
  • 1
  • 0pt
掲示板へ

靍岡賢二郎(つるおか けんじろう、1987年7月7日-)とは、埼玉県出身の元プロ野球選手捕手)である。

苗字「靍」は「かんむり」に「」と「」が正しい表記であり、「かんむり」に「」を書いた「靏」は誤りである。

概要

春日部共栄高等学校時代は強肩強打の捕手として知られ、3年時のには甲子園に出場。初戦は平田良介辻内崇伸擁する優勝補の大阪桐蔭高校と対戦。7-9で敗れるものの、自身はバックスクリーンへのHRを含む5打数2安打と活躍した。にはAAAアジア選手権の日本代表にも選出された。

卒業後は日本体育大学へ進学。しかし伸び悩みからか強肩強打は鳴りを潜め、試合の出場機会には恵まれなかった。

2010年には、四国九州アイランドリーグ愛媛マンダリンパイレーツに入団。45試合に出場し、89打数16安打打率.180・1本塁打・10打点の成績を残し、この年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから8位名を受けて入団した。この年支配下で名された全選手の内、一番最後に名された選手となった。背番号は「57」。

プロ入り後

2011年から13年まで一軍出場はし。


2014年捕手が5人しか居ないチーム事情に加え、正捕手黒羽根利規骨折で長期離脱、4月19日に初めて1軍昇格を果たと、同日のカープ戦で守備から途中出場でプロ初出場。

翌日には8番捕手プロ初スタメン起用、打っては前田健太からプロ安打を放ち、守りではギジェルモ・モスコーソに何度も首を振られながらも強気なリードで6回を失点と好リードし、チーム勝利に貢献した。

その後も代打や控えの捕手として活躍。24試合出場で打率.267、打点2という成績を残した。


2015年は、前年の一軍での打撃面が評価され、捕手以外に一塁手指名打者として起用されることもあった。

一方で5月に頭部死球を受けてしまい、長期離脱し当人に全く非はいものの二軍捕手不足の一因となってしまった。この年の二軍での成績は.244と打撃である程度結果を残したものの一軍昇格し。

オフ戦力外通告され、球団からブルペン捕手として契約を打診され受諾。


2016年~17年には「チームサポーター」という肩書きでブルペン捕手を努めた。


2018年より二軍バッテリーコーチ補佐兼育成担当コーチに就任。

四国アイランドリーグplusからドラフト名でNPBに入団した選手で、NPBチームコーチに就任するのは初


2019年も同職を務める。しかし捕手6人体制の中、益子右の故障に加え、山本裕大が試合中に死球を頭部に受け離脱、二軍捕手西森のみとなってしまう緊急事態発生。それに伴い応急措置という形で育成枠での現役復帰。背番号は「087」。しかしあくまで万一の場合に備えての現役復帰だったため、結局シーズン終了まで二軍戦への出場機会はなかった。

オフ、特に球団から戦外のリリースもないまま、育成選手の規定により自由契約となる。


その後は去就に関する報道リリースが一切なかったためしばらく状況が不明だったが、2020年からはチーム付のゲームアナリストスコアラー)に就任した模様。

プレースタイル・人物

成績

年度別打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
2014年 DeNA 24 49 45 4 12 0 0 0 2 0 0 0 4 0 10 1 .267 .327
NPB:1年 24 49 45 4 12 0 0 0 2 0 0 0 4 0 10 1 .267 .327

関連コミュニティ

関連リンク

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 1
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

吉田優子 (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: 紺狐。
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

靍岡賢二郎

1 ななしのよっしん
2021/03/27(土) 06:07:44 ID: SVM45ksG4h
初見で読んだらシモオカに見えた。後で気づいたら
つるの剛士の本名と同じ靍の字だとわかった。(靍野剛士)
👍
高評価
0
👎
低評価
0