青森県賛歌単語

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青森県賛歌とは、1971年青森県の成立100周年を記念して制定された都道府県歌である。しかし、現在では諸事情のため公式演奏されることはほとんどくなっている。

作詞・永沢与助、補作・サトウハチロー作曲田中

概要

1971年青森県の成立100周年に当たることを記念して歌詞募が行われ、北津軽町のリンゴ農家・永沢与助(1908年~1982年)の応募作が採用され、詩人のサトウハチローが補作して9月23日に制定された。同じ日には県民音頭青森りんご音頭』も発表されている。

タイトルが『青森県歌』でなく『青森県歌』とされているのは、1958年に東日報が創刊70周年を記念して『青森県民の歌』と言う曲を作っていたため県が作成に一切関わっていないこの曲との混同を避ける意図があった模様。

ビクター音楽産業立川澄人の歌唱でレコードを製造している。1977年の第32回あすなろ国体では開会式に演奏され、県勢要覧や毎年発行される県民手帳にも掲載されていた。2000年までは。

何故演奏されなくなったのか?

直入に言うと、制定時の知事だった竹内俊吉とその2代後の知事だった木村守男が敵対関係にあることが最大の理由である。木村竹内およびその盟友で農産大臣を歴任した田沢吉郎と同じ津軽地方を地盤としてしく敵対(「対立」と言う生易しいものではない)しており、1995年の知事選挙では竹内の後継で現職だった北村正哉を破って知事に就任すると県庁からの竹内北村色一掃を図ったが、その一つが2001年に打ち出した「新世紀にふさわしい県民歌の制定」であった。

新県民歌制定方針の記者発表では「制定から30年経って『青森県賛歌』の歌詞が陳腐化しているので新世紀を迎えるに当たって県民歌を一新すべきだ」と言う趣旨のプレゼンが行われ、木村自身は宿敵の竹内が制定した『青森県賛歌』を止する気満々であったが県議会では反発が相次いだ。そのため、最終的に「新県民歌は制定するが『青森県賛歌』も止せず存続する」と言う形に落ち着いたが、県勢要覧や県民手帳には新県民歌『メッセージ』だけが掲載されるようになり、県政広報番組の主題歌としてヘビローテーション状態となったのに対して存続が決まった『青森県賛歌』は県勢要覧や県民手帳からも排除されたうえに公式サイトでも例規集に告示が記録されている以外では全く取り上げられなくなり、いくら存続したとは言っても「形ばかり」に過ぎないのは明らかだった。

木村は2年後の2003年週刊誌セクハラ疑惑を報じられて辞任に追い込まれ失脚したが、だからと言って忘れ去られた『青森県賛歌』が復権することもいまま現在に至っている。2012年に刊行された『全都道府県の歌・の歌』でも『メッセージ』しか掲載されておらず『青森県賛歌』については一切触れられていない。ニコニコ動画でもこの傾向は顕著であり『メッセージ』の動画は複数投稿されているのに対し『青森県賛歌』は全く取り上げられていない状態で、隣の秋田県が新旧の『秋田県民歌』と『県民の歌』を対等に並立させているのとは泥の差である。

他の県では、静岡県1968年制定の『静岡県歌』に対して1990年愛唱歌『しずおか賛歌 富士よ友よ』を作成・発表している。

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「青森県賛歌」の制定exit

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