「非そち」とは
ゲーム『信長の野望・天翔記』の戦前外交において、時折見られる台詞「非はそちらにあるのでは」の略。ゲーム実況動画『黒田官兵衛ひとりで天下統一する』内において、一種のお約束のように登場するこの台詞が人気を博し、度々このコメントがされる。「こ非そあ」「そち非」などの表記もある模様。
以下、『黒田官兵衛ひとりで天下統一する』においての「非そち」について記述する。
やはりな…
そろそろ使者が参ると
思っていた
黒田官兵衛 黒田家大名
こたびの戦
われらの味方となって
戦ってくれ
三村家親 三村家大名
この戦、非は
そちらにあるのでは…
了解はできぬ
黒田官兵衛 黒田家大名
残念ながら
三村家を動かすには
いたらなかったわ
概要
『信長の野望』シリーズのひとつ『天翔記』では、戦争が始まると侵攻先の城と、その周囲にある城を含んだ戦場マップが展開される。うまくいけば侵攻先となった城以外も落とすことができるが、攻め込む側の城も戦場に含まれるので、下手を打つと1回の戦争で「攻め込んだはずが返り討ちにあって、逆に自国の城が3つも奪われたでござるの巻」ということもあったりする。
戦場に指定されたマップには、攻撃側と守備側の大名家以外の、他の大名家の城が含まれることがある。そして、その場に巻き込まれた大名家は攻撃側・守備側のどちらかに味方する、もしくは中立を決め込むなどの選択肢に迫られる。勝ち馬に乗れれば領土獲得のチャンスにもなるし、逆にまとめて滅ぼされる可能性もある。
この攻撃側・守備側のどちらにつくか、COM大名は同盟の有無や友好度、および軍事力の差で判断し、開戦前にその態度を示すことになる。この段階では敵に回ると表明した勢力も、戦前交渉をすることによって味方・中立に立場を変えられる可能性がある。このへんは前述の情勢のほか、交渉人の魅力やスキルも問われる。
とはいえ、一度決めた態度を覆させるのはなかなか難しく、お断りの定型句として「この戦、非はそちらにあるのでは」と言われるのがほとんどである。「交渉に成功すれば勝てる」じゃなく、「交渉できなくても勝てるはずだけど成功したらラッキー」程度に考えて戦争するのが上策であろう。
主な「そちらの非」
- 捕らえた武将は全て斬首。
- 3歳の幼子とて容赦なく斬首。
- 城を5つ落とされても、首を5つ落とせば「実りある敗戦」と称する。
- 任意の配下武将を大名にするために、現大名が死ぬまで単騎突撃させる(通称:ルドン送り)
- 配下武将をすべて解雇。自らの一族とて例外ではない。
- 彼の辞書に「不戦」という言葉などない。行動力の限り戦争をし、首を取る。
- 最大兵力100のくせに、その数倍の兵力に突っ込んでいく戦闘狂。
- 政治という概念を知らない。
- 徴兵で行動力を取られるのが嫌なので、兵士は戦場でかき集めてくる。
- 敵城内でも徴兵。
- 攻め込んだはずなのに自城に籠り、うっかり突っ込んできた猪武者を城門前でお出迎え(通称:斬首会)
- 斬首会の最中にも徴兵。
- 野外で徴兵しては茶を喫し、目前の敵を混乱させては茶をがぶ飲みする。海上で兵を増やすことも。
- この狂気の塊を前に発狂してしまう大名家も多く、抵抗を諦めたり、勝手に飢餓状態に陥ったりする。
- たまに敗れて捕らえられることがあるが、なぜか解放される。看守が抹茶を盛られた可能性が高い。
- こんなのに味方したところで、明日は我が身である。明日に生き残るためには、周囲と結託して戦う他にないのである。
・・・一応フォローすると、『天翔記』縛りプレイのひとつ「単騎駆け」では武将をひとりしか使えないルールなので、捕らえた武将を登用できず、また解放するメリットがない(敵武将が増えるだけで、また浪人になっても自国の空き城を勝手に奪って旗揚げしやがるから困る)ので、始末するほかないのである。
また、縛りプレイ・弱小大名家プレイでは内政なんかで地力を高めている余裕などなく、滅ぼされるより先に相手を滅ぼすことが重要で、軍備が整っていない序盤にスタートダッシュをかけるのが定石である。領国を経営せずともよその領地を奪ってくることでも十分に資産を賄えるので、結果どこでプレイしても内政は疎かになる。
黒田官兵衛による『非そち』天下統一までの早見年表
- 1560年 春 武田家の木曾義昌が斎藤家に寝返る
- 同年 秋 赤松義祐がひとりで敵地に突っ込み運良く死亡、後継者として官兵衛が指名される 大名になると同時に家臣を全員追放する(親族とて例外ではない) ここから官兵衛の天下統一が始まるのである この時、官兵衛15歳であった
- 同年 秋 大名となってから初めての戦争 『非そち』誕生の瞬間である また、斬首の始まりでもあった 浦上家 滅亡
- 1561年 春 山名家 滅亡(大名 山名豊国14歳)
- 同年 夏 三村家 滅亡
- 同年 秋 尼子家 滅亡
- 同年 冬 細川家 滅亡(官兵衛によるものではない)
- 1562年 春 蛎崎家 滅亡(官兵衛によるものではない) 毛利家 滅亡 中国地方統一 この時、官兵衛17歳
- 同年 秋 河野家 滅亡
- 同年 冬 筒井家 滅亡(官兵衛によるものではない)
- 1563年 春 葛西家 滅亡(官兵衛によるものではない)
- 同年 夏 龍造寺家 滅亡 有馬家 滅亡 宗家 滅亡
- 同年 秋 秋月家 滅亡(大名 秋月種実 16歳) 阿蘇家 滅亡
- 同年 冬 相良家 滅亡 伊東家 滅亡(大名 伊東義益 18歳)
- 1564年 春 禰寝家(旧肝付家) 滅亡
- 同年 夏 島津家 滅亡 九州地方統一 この時、官兵衛19歳
- 同年 秋 島津義弘 黒田家の内城を奪い大名となる(官兵衛してよ・・・) 畠山家 滅亡(官兵衛によるものではない) 島津家 滅亡
- 1565年 春 長宗我部家 滅亡 四国地方統一 この時、官兵衛20歳
- 同年 夏 長宗我部元親 黒田家の白地城を奪い大名となる 長宗我部家 滅亡
- 同年 冬 浅井家 滅亡
- 1566年 冬 苦戦していた三好家との戦争において初の完全敗北 三好政康により生け捕りにされるも解放される(何 故 逃 が し た)
- 1567年 春 細川藤孝が黒田家の吉田郡山城を奪い大名となる(しばらく放置される) 三好家 畠山義慶(3歳)を斬首 三好家 滅亡
- 同年 秋 六角家 滅亡 本願寺家 滅亡
- 1568年 春 織田家 滅亡(信長35歳)
- 同年 夏 徳川家康を斬首(家康27歳) 朝比奈家(旧徳川家) 滅亡
- 同年 秋 北畠家 滅亡 近畿地方統一 この時、官兵衛23歳
- 1569年 春 斎藤家 滅亡 北陸地方統一 この時、官兵衛24歳
- 同年 秋 今川家 滅亡
- 同年 冬 松永秀久が黒田家の大垣城を奪い大名となる(やはり放置される)
- 1570年 春 鈴木重秀が黒田家の一乗谷城を奪い大名となる(安定の放置) 武田と上杉の大戦が始まる 官兵衛高みの見物 北条家 滅亡 東海地方統一 この時、官兵衛25歳 里見家 滅亡
- 同年 夏 羽柴秀吉が黒田家の稲葉山城を奪い大名となる(ビッグネームさえも放置) 官兵衛から武田家へ攻め込みながら、武田と上杉を戦わせて自分は逃げ、高みの見物を決め込む その後、兵力の減った武田勝頼を討とうとするも失敗する
- 同年 冬 宇喜多直家が黒田家の姫路城を奪い大名となる(姫路を奪われても放置)
- 1571年 春 上杉との消耗戦に利用された武田家 滅亡
- 同年 夏 真田幸隆が黒田家の平井城を奪い大名となる(言わずもがな放置) 武田との消耗戦に利用された上杉家 滅亡 関東・甲信越地方統一 この時、官兵衛26歳
- 同年 秋 明智光秀が黒田家の坂本城を奪い大名となる(様式美の放置) 明智家 滅亡(秀吉によるもの)
- 同年 冬 明智光秀が黒田家の二条城を奪い大名となる(放c) 明智家 滅亡(秀吉によるもの)
- 1572年 秋 武田勝頼が黒田家の松山城を奪い大名となる(h)
- 同年 冬 南部家 滅亡 東北地方統一(同盟の伊達家を除く) この時、官兵衛27歳 放置していた独立した大名の斬首に動き始める
- 1573年 夏 佐竹義重が黒田家の津川城を奪い大名となる() 津軽為信が黒田家の須賀川城を奪い大名となる() 細川家 滅亡
- 同年 冬 宇喜多家 滅亡
- 1574年 秋 羽柴家 滅亡(秀吉39歳)
- 同年 冬 津軽家 滅亡 佐竹家 滅亡
- 1576年 春 黒田家(旧松永家) 滅亡 (松永家を引き継いだ父 黒田職隆をさすがの官兵衛も斬首できなく解き放った)
- 1578年 春 真田家 滅亡 鈴木家 滅亡
- 1579年 夏 武田家 滅亡
- 1579年 冬 蘆名盛氏が黒田家の黒川城を奪い大名となる(民にとって最後の希望でもあった) 蘆名家 滅亡 伊達家 滅亡 これにより天下統一となる 官兵衛34歳であった
関連動画
関連茶葉
関連項目
- 11
- 0pt