風不死岳事件とは、1976年の6月4日~9日にかけて起こった獣害事件である。
この事件には特に正式名称はなく、「風不死岳羆事件」「風不死岳の遭難事件」など呼び方は様々である。
本記事では一番スタンダードだと思われる呼称で紹介する。
概要
北海道千歳市・支笏湖南東岸に位置するカルデラ山、風不死岳(ふっぷしだけ[1])にタケノコ採り[2]にやってきた人々が、ヒグマによって次々と襲われた事件である。
複数の重傷者を出したうえ、9日には死亡者が2名出るなど、知名度は低いが被害は甚大な事件だった。
これだけならばただの運の悪い事件なのだが、その内情は結構複雑である。以降事件の経緯などを記していく。
6月4日から5日・前兆の出来事
5日、風不死岳にタケノコ採りにやってきた53歳の男性がいた。
彼は気が済むまでタケノコを採り、満足して作業を切り上げて、既に帰り支度を始めていた。すると、後方の藪から音と何かの気配に気づいて、男性は振り返った。そこにはヒグマがいた。
男性の対処は適切であった。ヒグマは男性の様子をじっと窺っているようだったので、彼は目を見開いてじっとヒグマの目を睨み、静かに後ずさっていくことにした。彼はヒグマを刺激しない方法を知っていたのだ。
しかし、この男性、注意力は散漫だったのか、突然藪に足をとられてしまい、おもいっきり転倒してしまった。
ヒグマはそれを見て一気に男性に向けて駆け出し、飛びかかった。そして左足に噛み付き、左右に男性の足を振り回し、なんと噛み千切ろうとしてきた。
こうなっては男性もパニックである。まだ無事な右足を使って、男性はとにかくヒグマの顔面を何度も何度も蹴りつけた。
流石に怯んだのか左足を一度は離したヒグマだったが、今度は大きな爪で右足を押さえつけ、これを引き千切ろうとし始めた。
死の瀬戸際とも言えるほど危機的状況に陥った男性だったが、そこへ一緒に来ていた義弟(46)が騒ぎを聞きつけてやってきた。義弟は状況を把握するとヒグマを睨みつけ、大声で怒鳴って威嚇した。その大声に驚いたのか、ヒグマはようやく男性の足を離し、藪の方へと逃げていった。
難を退けた2人は、その後すぐにその場所を離れて警察に通報した。
すると、実は前日の4日にも、風不死岳で山菜採りをしていた5人グループに、突然ヒグマが襲いかかってきたという事件があったことが判明した。男性を襲った個体は既に人に危害を加えていたのである。
立て続けに起こった2件のヒグマ襲来を受けて、警察は風不死岳にヒグマ出現警報を出し、入山を控えるよう呼びかけた。こうすればしばらく被害は起こらない。
…………はずだった。
6月9日・最大の惨事発生
9日、風不死岳に11名という大所帯のグループがやってきた。彼等の目的もタケノコ採りだった。この日もヒグマ出現の警報は出ており、まだ予断を許さない状況にあった。
しかし、グループはその警報を無視することにした。彼等は自動車を近くに止めて解散し、正午にまたこの車まで集合するという取り決めをして、各自山に入ってタケノコ採りを始めた。
やがて集合時間になった。続々と仲間達が戻ってくるが、3名だけいつまで待っても帰って来ない。心配した彼等はグループから2名を再度山に派遣し、戻らない3名の捜索を開始した。
藪の中を探していてすぐに、獣に襲われたらしい1名が倒れているのを発見した。この時点で彼等は最悪の事態が起こったことを悟ったであろう。負傷した1名を病院に搬送しつつ、残りの2名を探す為、危険を覚悟で奥へと進んだ。
やがて、さっきの負傷者よりも手酷くやられ、瀕死の状態で倒れている仲間の1名を発見する。すぐに助けようとしたかったが、近くにはヒグマもいた。しかも救出に来た彼等の接近に気づいてしまい、明らかに寄ってくる様子だったので、彼等は瀕死の1名の救出をやむなく諦めて、安全な車まで戻った。
午後3時、通報を受けてやってきた警察と猟師が到着し、再度山の中の探索を開始。すると、先程倒れていた瀕死の人物が、ヒグマに食われているところに出くわした。猟師はそれを見て、すぐにヒグマを射殺した。
食われていた1名は既に死亡していた。さらに捜索を進めていった午後5時、もう1人の遺体も発見された。
この事件で、死者2名、重傷者1名という被害を出した。
瀕死で放置されていた死亡者は、足の筋肉を食らわれていたという……。
事故拡大の原因
言うまでもなく、タケノコ採りのグループが警報を無視したため、重篤な負傷者がいなかったこの事件の被害は一気に拡大してしまった。
もう一つ付け加えるなら、4・5日に発生した事件もまた、人間が知らない間にヒグマのテリトリーに入ってしまっていたからこそ、起こったのである。
5日に起こった事件は2名ともヒグマに対する対処法を知っていたことから、結果として命が助かることになったが、グループで発生した死亡・負傷者に関してはどういった対応をとったのかは不明である。
関連動画
風不死岳事件はマイナーなため、動画がありません。誰か作ってくれる日を願って……。
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関連項目
脚注
- *アイヌ語呼称フプシヌプリ(=トドマツ(hup)が生えている(us)山(nupuri))より。しかし1954年の洞爺丸台風により往年の椴松林は失われている。2011年に活火山に選定された
- *タケノコと言っても大型の笹の仲間であるチシマザサ(Sasa kurilensis, 俗称ネマガリタケ)の筍である。尤も18世紀以降に琉球・薩摩経由で大陸のモウソウチク(Phyllostachys heterocycla)が帰化するまでは古来のマダケ(P. bambusoides)やハチク(P. nigra var. henonis)と並んで日本の一般的な筍の一つであった
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