馳浩(はせ ひろし)とは、自由民主党所属の日本の政治家(参議院議員→衆議院議員→石川県知事)である。元アマチュアレスリング選手、元プロレスラー。
人物・プロレスラーとしての概要
自由民主党 | |
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馳浩 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 富山県小矢部市 |
生年月日 | 1961年5月5日 |
称号 | 文学士 |
衆議院議員 | |
選挙区 | 参議院石川県選挙区→石川1区 |
当選回数 | 参院1回→衆院7回 |
経歴 | |
政治家テンプレート |
星稜高校でアマチュアレスリングを始め、高校三年で国体優勝。卒業後専修大学に進学し、レスリング部の主将を勤めつつ教員免許も取得した。
大学卒業後の1984年、母校の星稜高校に国語科教員として就職すると、直後に開催されたロサンゼルス五輪にアマチュアレスリング・グレコローマン90kg級で出場を果たす。
翌年の1985年夏に高校を退職し、大学の先輩でもある長州力が率いるジャパンプロレスに入門[1]したが、日本デビュー前の海外遠征中にジャパンプロレスは崩壊。長州に従って新日本プロレスから日本デビューを果たす。デビュー戦でいきなり代名詞であるノーザンライトスープレックスによりIWGPジュニアヘビー級王座を奪取、以後へビー級に転向すると闘魂三銃士の同世代として活躍し、IWGPヘビー級タッグ王座獲得やSGタッグリーグ優勝を果たす。また、ともにジャパンプロレスに入団した佐々木健介とともに新日本プロレス道場で後進(いわゆる「第三世代」にあたる)の指導に当たった。新人の指導だけでなく、中西学・永田裕志・石澤常光・藤田和之らアマチュアレスリングで鳴らした選手のスカウトも行っている。
1995年には松浪健四郎の紹介で知り合ったタレントの高見恭子と結婚して話題となった上、参議院議員に当選するなど(後述)順風満帆な道を歩むように見えた。
しかし、レスラーと議員の「二足のわらじ」を嫌った長州の考えから、翌年の1996年1月の東京ドーム大会で「ラストマッチ」が行われ引退……と見せかけて全日本プロレスに移籍し、今度は四天王と相まみえることとなった。
2001年に全日本プロレスが分裂し選手が大量離脱した際も全日本プロレスに留まり、翌年にはユニット「BATT」を結成していた武藤敬司が全日本プロレスに電撃移籍を果たすと「黒幕」と噂されるようになる。
国会議員としての年数を重ねるとともにプロレスラーとしての活動は減少していくものの、長州力がジャパンプロレスの失敗にこりずに2003年に立ち上げたWJプロレスに旗揚げ戦から参加し、当時参議院議員(全国比例)だった大仁田厚の化身であるグレートニタと憲政史上初の国会議員同士の試合を行ったこともあった。2006年8月現職の文部科学副大臣として全日本プロレス両国国技館大会で引退。
「元・国語の先生」という肩書きに加えテクニックで勝負することから知的な印象を持たれていたが、ビデオ解説で下ネタを連発する、「週刊プロレス」記者(のちに編集長になる佐藤正行)が寝ている間に眉を剃り落とし逆モヒカンにする、テレビ朝日の「ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング」で山田邦子にブチ切れるなど、プロレスラーらしい面も持ち合わせている[2]。
得意技はノーザンライトスープレックス、ジャイアントスイング、裏投げ、逆水平チョップ、甲高い声、腰をくねらすなど。
政治家としての概要
1995年の参議院選挙石川選挙区に無所属(自民党推薦)で立候補、初当選。当選後に自民党に入党し、2000年には参議院議員を辞職して衆議院選挙石川1区に立候補し当選した。以後、比例復活に甘んじることはあったものの7期連続当選している。
文教族のドンであった森喜朗に担がれて(誘われて5秒で即決したという)政治の世界に入った上、元教員・オリンピアンであったことから自身も文教族として活動し、衆議院の委員会・自民党内でも教育関連の職に就く。また、人脈を活かして東京オリンピック招致についても活動した。
プロレスラー議員の先駆けは1989年に参議院選挙で当選したアントニオ猪木であるが、選挙戦中秘書役を務めていたのが馳であり、国会議員というものが馳の視野に入った時だという。その後も神取忍・大仁田厚が参議院議員に当選しているが、いずれも全国比例候補であり、いわゆる「有名人枠」である[3]。そんな中、馳はプロレスラーとしては初の参議院選挙区選出議員、かつ初の衆議院議員である。2016年にはプロレスラーとしての活動期間を議員としての期間が上回るまでになった。そして、2015年10月に文部科学大臣に就任し、2016年8月まで務めた。
2021年に衆議院選挙に立候補せず2022年に行われる石川県知事選挙に立つことを表明。翌年の選挙で当選、石川県知事となった。
自民党所属議員ではあるが、夫婦別姓制度の環境整備を早くから野田聖子とともに要望する、LGBT政策を考える議員連盟に所属するなど、リベラルな政策を持つ一面もある。
関連動画
現役時代。
関連コミュニティ
関連項目
関連リンク
脚注
- *ジャパンプロレスは全日本プロレスと業務提携していたため、練習生時代にジャイアント馬場の指導を受けていた。
- *この番組は旧来からのプロレスファンには嫌悪されていたため、馳に対する非難の声がないどころか賞賛すらされたという。
- *なお、1995年には高田延彦、2001年には佐山聡(初代タイガーマスク)も全国比例で立候補し、落選している。
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