駄々っ子とは、言うことを聞かず、駄々をこねる子供の事である。
概要
人間誰しも子供の時分には駄々っ子である。ものを買ってもらえない、自分の思い通りにならないというときにその場で泣いたり、暴れだしたりして親を困らせたことの一度や二度は誰しもが持つ遠い過去の記憶である。
このようなときにどのように親が対処するかでその子の成長に大きな影響が出てくる。
なんでもかんでも望むがままにしているようでは子供は世の中は自分が中心に回っていると勘違いし、自己中心的になりやすい。逆に全てに対して親が拒絶すると子供は自分が大切に扱われていないと感じ、のちのち反抗する遠因となることがある。
要はケースバイケースで対処しろ、と無責任な言葉で締めくくられることが多い、なんとも扱いに困る存在である。とりあえず、どうしてその行為がダメなのか、ちゃんと話して聞かせてやる程度は親としての義務であると考えられる。
駄々っ子の可能性
駄々っ子とは、本来なら親の保護下に置かれているうちにどうにか矯正しなければならない特性であるが、もし矯正されないまま独立し、さらに駄々っ子本人にそのわがままを実現させるだけの能力が備わっていた場合、周りに与える影響力は非常に強くなる。例えば、宇宙人未来人異世界人超能力者と遊びたいと願ったためそれらを生み出してしまったかもしれない少女などは、規模こそ違えどやっていることは駄々っ子と一緒である。
その一方で、人類の発展や研究などにおいてはこれまでの常識を覆し否定した人物などもまた、周囲から見れば駄々っ子である。裁判に負け、自分の考えを捨てさせられることを強要されて、「それでも地球は回っている」と呟くしかなかったガリレオなどは当時の社会の常識に異を唱え続けた駄々っ子であった。
『駄々をこねる』ということと『自分の夢を実現する』ということは『自分の思うとおりの未来を期待する』という最終的な結果においてイコールである。違いはその未来への到達方法が『他人任せ』か『自力』かという点である。ゆえに、『自分の力で物事を実現する』ことを覚えてしまった駄々っ子は駄々っ子でありながら駄々っ子ではない。これらの人の事を指し示すのに適当な言葉は『野心家』などであろう。
ニコニコ動画における駄々っ子
自分の思い通りに動画が展開しないとき、駄々っ子は荒らしに変貌する。
例えば、『どうしてこのキャラを入れた/入れなかった』あるいは『〇〇が××に勝つなんておかしい!』などというのは、その発言が感情に起因しているものであれば、全て駄々っ子である。また、投稿主などに対するリクエストなども時間や場所、頻度などに気をつけなければやっていることは駄々っ子と変わりない。
画面の向こうにいるのも同じ人間。感情の赴くままにコメントを書き込むよりも、相手や周囲の事もちょっとだけ考えてみよう。
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