騎西城 | |
別名 | 私市城、根古屋城 |
城郭構造 | 平城(沼城) |
天守構造 | 層塔型3層3階模擬天守 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
廃城年 | 1632年(寛永9年) |
再建年 | 1975年(昭和50年) |
概要
現在はコンクリート造りの天守が再建されている。しかし実際には騎西城に天守はなかったとされており、いわゆる「模擬天守」である。
城の東側には、現存する騎西城唯一の遺構である土塁がわずかばかり残っている。高さは3mほど。
歴史
築城~廃城
築城主や築城年は不明だが、『田原族譜』によると1350年前後(推定)に戸室親久が騎西城城主を務めたということから、この頃には騎西城が存在していたと言えなくはない。しかし史料批判の観点からすると、やや信憑性に欠ける。
1455年(康正元年)、古河公方・足利成氏が山内上杉氏の守る騎西城を攻め落とす。その後成氏の奉公衆である佐々木氏が入封したものの、15世紀末に小田氏が替わって入封する。
1563年(永禄6年)と1574年(天正2年)に上杉謙信の関東出兵により落城するも、いずれも小田氏の主君である北条氏によって程なく取り戻されている。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐により抵抗むなしく落城。北条・小田の両氏は没落する。
小田原征伐の結果、北条氏の旧領である関東は徳川家康にあてがわれた。これを受け、騎西城には徳川氏家臣の松平康重が入封する。1601年(慶長6年)に康重が常陸国・笠間城へ転封されると、翌年には大久保忠常が入封する。1611年(慶長16年)に若くして忠常が亡くなると、子の忠職がわずか9歳でこれを受け継ぐ。1632年(寛永9年)に忠職が美濃国・加納城へ転封されると、騎西地域は幕府の直轄領(天領)になる。これに伴い騎西城は廃城となり、城址には代官所が建てられた。
再建~現在
騎西城が再建されたのは1975年(昭和50年)のことである。旧騎西町の町制施行20周年を記念した総合福祉政策の一環で、騎西城を模した婦人会館が建てられた。現在は郷土史料展示室として転用されているものの、3階にある和室には婦人会館の名残がかすかに垣間見える。
展示室1階には発掘調査の出土品、2階には昭和の民俗資料が展示されており、3階の回廊からは市街の景色を眺望できる。入館料は無料だが、展示室内の公開は年に数日しか行っていない。加須市民の日(3月)、藤まつり(5月)、あじさい祭(6月)、加須地域文化祭(11月)の4つの期間である。詳細な日時についてはその都度市役所に問い合わせるといいだろう。
アクセス
- 東武伊勢崎線・加須駅南口より、朝日バス「鴻巣駅・免許センターゆき」に乗車し「福祉センター」で下車。徒歩1分。
- JR高崎線・鴻巣駅東口より、朝日バス「加須駅・加須車庫ゆき」に乗車し「福祉センター」で下車。徒歩1分。
- 東北自動車道・加須インターチェンジより、車で約15分。
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