高師春(?~?)とは、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将である。
概要
高師春は高師直の叔父にあたる。その初見は1336年の高師久率いる西坂本の戦いらしいが、どうもはっきりしたことは言えない。
その後は1337年に開住西阿ら大和国人を制圧するために奈良に出陣し、1338年には彼らが合流した北畠顕家に三条畷の戦いで敗れ、般若坂の戦いの原因を作っている。
そんな彼の軍事活動として特筆すべきは斯波高経とともに越前に出陣し、新田四天王のひとり・畑時能を討ち取ったことである。
時能は湊城にわずかな人数で籠城していたが、1339年にうって出て斯波高経を黒丸城から撤退させたのである。それに対し国大将として高師春が派遣され、斯波高経とともに黒丸城を奪還、脇屋義助を駆逐し、まず一戦目で畑時能をを降伏させた。しかし1340年に畑時能が再起し、高師春は激戦の末これを戦死させた。
その後脇屋義助も美濃に撤退していたが土岐頼遠に攻撃され吉野に落ち延び、北陸での南朝の活動は終わったのだ。その功績者の一人が高師春ともいえる。
しかしどうもこの高師春はよく名前を間違えられ、「太平記」ではこの活躍はすでに出家していたはずの兄の高師重の手柄にされている。
高師直たちの前世代の人物なので、彼もまた越前平定後遁世し、その後は不明である。
関連項目
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