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高橋周平(たかはし しゅうへい、1994年1月18日-)とは、神奈川県出身のプロ野球選手(内野手)である。現在は中日ドラゴンズに所属。
概要
中日ドラゴンズ #3 | |
---|---|
高橋周平 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県藤沢市 |
生年月日 | 1994年1月18日 |
身長 体重 |
180cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 三塁手 |
プロ入り | 2011年ドラフト1位 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
小学1年から投手として野球を始め、中学で野手に転向し、2年夏にジャイアンツカップ準優勝。
横浜高校に憧れを抱いていたが、東海大学甲府高校のコーチの誘いを受け、東海大学甲府高校に進学。
1年春から三塁手のレギュラーとして起用され、秋から遊撃手にコンバート。
甲子園に一度も出場できなかったが、第9回AAAアジア選手権で日本代表に選ばれ、決勝戦で通算71本目となるホームランを放ち、優勝に貢献した。
2011年ドラフト会議でオリックス・バファローズ、東京ヤクルトスワローズ、中日ドラゴンズから1位指名を受け、抽選で中日が交渉権を獲得、入団した。背番号31。
中日時代
2012年、6月17日のオリックス戦で寺原隼人からプロ入り初のホームランを放つ。
2013年は8月1日の阪神タイガース戦でプロ入り初のスタメンで、史上最年少の逆転満塁ホームランを打つなど活躍。オフに背番号を9に変更した。
2014年はオープン戦で打撃不振に陥り、開幕を二軍で迎えた。7月に一軍に昇格し、6本塁打を放った。オフに背番号を3に変更した。
2015年は開幕当初こそ下位打線で結果を残していたが、5月に入ると安定感が無くなり登録を抹消される。その後7月に再昇格するもさらに成績は降下し、同月27日に登録を抹消されシーズンを終えた。
2016年は高橋聡文の移籍によって登録名が「高橋」となる。シーズンでは三塁手で開幕スタメンを勝ち取り、一時は三割を越える打率を記録する等好調を維持し、多くの中日ファンに「ついに覚醒したか!」と希望をもたらしたが、4月30日の広島東洋カープ戦にて右手の骨折で戦線離脱し、復帰までにはおよそ3ヶ月を要した。
復帰後には再び三塁にてスタメン起用されるも、8月は月間打率が2割を切る不振に陥り、9月にやや持ち直すものの最終成績は打率.251、4本塁打29打点と開幕当初の好調を思うと物足りない成績に終わった。
2017年は1月に結婚。シーズンでは41試合の出場に留まった。
2018年は二塁手のレギュラーに定着。自己最多の128試合に出場し、打率.254、11本塁打、69打点を記録。オフに第1子が産まれた。
2019年からは主将を務める。三塁手のレギュラーとなり、5月は打率.417、40安打、29打点、日本タイ記録の猛打賞8度の活躍で、月間MVPを初めて受賞した。選手間投票でオールスターゲームに初めて出場し、第2戦で3安打を記録したことで敢闘選手賞を受賞した。その後は7月16日阪神戦で右手小指を負傷し戦線を離脱したこともあり117試合の出場に留まったが、打率.293、7本塁打、59打点を記録。ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。
2020年は7月に左ハムストリングスを痛め短期間の離脱があったが、ほぼシーズンを通して5番・三塁を務め、開幕から打率3割をキープし続けた。最終的に108試合に出場、規定打席に到達して打率.305、7本塁打、46打点を記録。守備でも三塁手ではリーグ最多補殺、最高守備率をマークしてAクラスに貢献した。
2021年は137試合に出場したが、打率.259に留まり、リーグワーストの21併殺打を喫した。オフに監督に就任した立浪和義から20本塁打を要求された。
2022年は故障の影響で78試合の出場で打率.249、2本塁打、21打点に留まった。
2023年は86試合の出場で打率.215、14打点に留まった。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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中日 | 応援歌のピコカキコ一覧#1209 | 13246 |
成績
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2012年 | 中日 | 41 | 73 | 71 | 5 | 11 | 1 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 18 | 2 | .155 | .178 |
2013年 | 66 | 212 | 197 | 19 | 49 | 13 | 1 | 5 | 27 | 0 | 2 | 1 | 11 | 1 | 34 | 2 | .249 | .290 | |
2014年 | 61 | 156 | 144 | 14 | 37 | 8 | 1 | 6 | 14 | 0 | 2 | 2 | 8 | 0 | 29 | 2 | .257 | .292 | |
2015年 | 51 | 172 | 154 | 10 | 32 | 6 | 1 | 4 | 18 | 2 | 1 | 0 | 16 | 1 | 42 | 5 | .208 | .287 | |
2016年 | 75 | 283 | 255 | 28 | 64 | 14 | 2 | 4 | 29 | 0 | 1 | 1 | 22 | 4 | 84 | 7 | .251 | .319 | |
2017年 | 41 | 148 | 129 | 12 | 30 | 6 | 0 | 2 | 10 | 0 | 1 | 3 | 15 | 0 | 31 | 3 | .233 | .306 | |
2018年 | 128 | 477 | 433 | 35 | 110 | 26 | 2 | 11 | 69 | 0 | 8 | 3 | 30 | 3 | 89 | 9 | .254 | .305 | |
2019年 | 117 | 471 | 430 | 50 | 126 | 28 | 5 | 7 | 59 | 3 | 5 | 1 | 32 | 3 | 70 | 10 | .293 | .345 | |
2020年 | 108 | 438 | 394 | 46 | 120 | 25 | 1 | 7 | 46 | 1 | 0 | 3 | 39 | 2 | 70 | 13 | .305 | .368 | |
2021年 | 137 | 520 | 475 | 40 | 123 | 27 | 0 | 5 | 39 | 1 | 0 | 4 | 40 | 1 | 79 | 21 | .259 | .315 | |
2022年 | 78 | 290 | 265 | 18 | 66 | 7 | 1 | 2 | 21 | 1 | 1 | 1 | 16 | 7 | 43 | 8 | .249 | .308 | |
2023年 | 86 | 172 | 158 | 1 | 34 | 6 | 0 | 0 | 14 | 1 | 2 | 0 | 11 | 1 | 41 | 5 | .215 | .271 | |
NPB:12年 | 989 | 3412 | 3105 | 278 | 802 | 166 | 14 | 55 | 349 | 9 | 23 | 19 | 227 | 23 | 630 | 87 | .258 | .315 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
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NPB | 一塁手 | 3 | 17 | 3 | 0 | 0 | 1.000 |
二塁手 | 136 | 268 | 385 | 10 | 72 | .985 | |
三塁手 | 782 | 431 | 1218 | 47 | 105 | .972 | |
遊撃手 | 21 | 12 | 32 | 2 | 7 | .957 |
表彰・その他
表彰 | ||
---|---|---|
月間MVP | 1回 | 2019年5月 |
オールスターゲーム敢闘選手賞 | 1回 | 2019年第2戦 |
ベストナイン | 1回 | 2019年 |
ゴールデングラブ賞 | 2回 | 2019年、2020年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 1回 | 2019年 |
関連動画
中日時代
関連コミュニティ
関連項目
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