高田延彦とは、元プロレスラー、総合格闘家、ハッスル総統である。妻はタレントの向井亜紀
概要
1981年新日本プロレスでデビュー。その後新日本を離脱しUWFで活躍、UWF分裂後はUWFインターの社長として日本の総合格闘技黎明期を支える。当時の異名は「わがままな膝小僧」「平成の格闘王」など
UWF解散後は総合格闘技団体PRIDEに参加。当時最強といわれたヒクソン・グレイシーと対戦するも敗北。
その後田村潔司を相手に引退試合を行い引退、PRIDE統括本部長に就任。
PRIDEグランプリでは褌一丁で太鼓を叩き大会を盛り上げた。度々モノマネにされる「出てこいやー!」もこの時のもの。
エンターテイメント路線のプロレス団体ハッスルでは高田総統としてコミカルなキャラを演じた。
評価
UWF・UWFインター・PRIDEでの総合格闘家としての評価と新日本・UWFインター・ハッスルでのプロレスラーとしての評価は別れる。
本人が社長となったUWFインターナショナルにおいては代表として数々の異種格闘技戦に勝利し、平成の格闘王と呼ばれた。
しかしその後の新日本との対抗戦においては二度の敗北によりUWFファンからバッシングを受ける事になった。
武藤のムーンサルトプレスを受けた事について前田日明から批判も浴びている。
PRIDEにおいては勝ち星に恵まれず、対ヒクソン戦での敗北ではプロレスファンはおろか同業者(猪木・馬場等)からも強いバッシングを受けた。技が決まるとすぐタップしてしまう姿から「光速タッパー」という蔑称がネットユーザーの間ではしばし用いられた。
一方で、新日本対抗戦で未だ語り草となる多くの名勝負を多く生み出し、
ハッスルでも総統といったキャラクターで人気を博した事から評価は高いと言える。
元々代表兼看板選手を長く務めたUWFインターナショナルはU系団体でありながらプロレス色が強く、
U系のパンクラスやリングスがプロレスからの脱却を図ったのに対し、
Uインターはプロレスラーの強さを追求するアントニオ猪木の提唱したキングオブスポーツとしてのプロレスの証明を目指した団体と言えた。
その団体の方向性、ルール、それに合わせたトレーニング方法によりプロレスラーとしては成功し、
総合格闘家としては奮わなかったのは自然な流れと言えるかもしれない。
※U系 UWFという格闘技系プロレス団体が解散後発足した4つの団体
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