高野街道とは、広義には京 / 大坂と聖地・高野山をむすぶ参詣道である。狭義にはこのうち現在の大阪府河内長野市~和歌山県橋本市の区間をさす。
概要
古代から存在する街道だと考えられるが、貴族・庶民の高野山詣でが活発になるにつれて発展した。モータリゼーションと鉄道の発達により寂れたが、現在も各地に旧街道の趣ある街並みが残っている。
河内長野以北では主要なルートは4つ存在し、それぞれ東高野街道、西高野街道、中高野街道、下高野街道と呼ばれる。それぞれ出発点は京都府八幡市、大阪府堺市、守口市、大阪市天王寺区であり、東西高野街道は河内長野駅前で合流し、他の二道は河内長野市、大阪狭山市で西高野街道に合流する。
河内長野から橋本までは基本的に一本の街道である。橋本からは再びいくつかのルートに分かれる。主要な三つは使われた年代順に三谷坂道(勅使坂)、町石道、京大坂道と呼ばれる。
主なルート
河内長野まで
東高野街道
京阪電鉄八幡市駅付近で京街道(東海道の大坂までの延長)から分岐する。通過する自治体と大まかなルートは以下のとおり。
西高野街道
起点は現在の阪堺線大小路駅付近あるいは阪神高速の下にある大小路交差点付近と考えられている。大小路駅付近は紀州街道との分岐点となっている。最初の部分は竹内街道と重複しており、榎元町で分岐する。通過する自治体と大まかなルートは以下のとおり。
中高野街道
京阪守口市駅付近で京街道から分岐するが、守口市~大阪市平野区の区間は放出街道とも呼ばれる。そのため文献によっては平野を出発点と記載されている。通過する自治体とおおまかなルートは以下のとおり。
下高野街道
大阪市天王寺区の四天王寺が出発点である。通過する自治体と大まかなルートは以下のとおり。
河内長野~橋本
橋本~高野山
三谷坂道
町石道
平安時代から江戸時代にかけて主に使われた高野山の表参道である。世界遺産(紀伊山地の霊場と参詣道)に登録されている。
京大坂道
江戸時代に整備され、京、大坂方面からのショートカットに使われた裏参道である。近世以降最も使われるようになる。
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関連項目
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