鬼庭良直(1513年~1586年)とは、伊達家四世代を生きた猛将であり、嫡男を産めなかった妻を離縁した猛将であり、73歳で若死にした猛将である。号は左月斎。通称左月、左月入道、周防など。
また苗字についても一般的には「鬼庭」となっているが、「茂庭(もにわ)」としているものもある。
「茂庭」姓は良直の子である鬼庭綱元が文禄の役(1592年)に際して肥前名護屋城留守居役に任じられた時、豊臣秀吉から「鬼が庭にいるのは縁起が悪い」として改名させたものである。
よって厳密に言えば左月斎良直までが「鬼庭」、綱元以降が「茂庭」となる。
鬼庭氏
鬼庭氏の系譜を遡ると藤原氏の後裔・斎藤別当実盛に行き着く。
この実盛は源平合戦(治承・寿永の乱)が一戦、篠原の戦いに際して「老骨とあなどられるは心外」と白髪を黒く染め上げ、平氏軍総崩れの中殿を務めて72歳で戦死した勇将である。
同じ斎藤一族の蔵人行元が落ち延びて後、孫・斎藤実良は下野那須(栃木県那須郡)に住んでいたが、伊達郡茂庭村(福島県福島市飯坂町茂庭)に縁あって居を据えた。
ここで周辺の村々を荒らし回っていた妖怪(大蛇とも伝わる)を退治し、領民に請われ領主となり、その武勇を鬼と讃えられて名乗りを鬼庭実良としたというのが鬼庭氏の発祥である。
その後、妖怪退治の噂を耳にした藤原氏後裔・伊達朝宗(伊達家初代)に召抱えられ、以降累代に渡って伊達家の臣として勤めを果たしてきた由緒ある家柄である。 また長命の一族としても知られ、代々100歳近くまで生きた者が多い。
1513年鬼庭良直は桑折赤館城(のちの伊達稙宗居城・西山城の一部と見られる)において城主・鬼庭元実の子として生まれた。
壮年期
時期不詳だが正室に本沢直子、側室に牧野刑部の娘を娶っている。
1538年のちの政宗乳母である長女・喜多が生まれる。
1539年父・元実が隠居。家督を相続する。
1542年天文の乱では父と共に伊達晴宗につく。
伊達稙宗による統治の中央集権化に対抗し先祖伝来の地である茂庭領の安泰を狙ったと見られる。
1544年置賜郡長井郷米沢川井村(山形県米沢市)に桃源院を開基。戦火に巻き込まれた先祖菩提を供養し、先述した妖怪退治伝説にあやかって戦勝へ結びつける目的があったと思われる。
この妖怪は処女を食らったため、おびき寄せるために斎藤実良家臣の妹である姫が人身御供に選ばれたが、その際に母が持たせた観音像の加護により命を奪われずに囮役を果たすことができた。
姫は観音像を本尊として祀り、尼となって生涯を終えたといわれている。
良直は茂庭からこの観音堂を移築し、霊験あらたかにすることで晴宗の勝利を後押しした。
※桃源院は政宗の岩出山転封に伴って1605年に志田郡松山(宮城県大崎市松山)へ移されたが、川井に残った人々により後世再建されて今に至っている。
1548年晴宗方有利の内に天文の乱が終結。川井と茂庭の所領を安堵される。
1549年鬼庭綱元誕生。嫡男とするため正室・直子と喜多を離縁し、牧野刑部の娘を正室に据える。
※直子は米沢八幡宮の神職・片倉景重へ嫁ぎ、1557年に片倉景綱を産んでいる。
主君晴宗が居城を米沢へ移したのに付き従って川井城主となる。
老年期前の戦死
1564年伊達輝宗が家督相続。晴宗側近の専横に対抗する人材を求めていた輝宗は良直を評定役に任命する。
この時代の伊達家評定役は1名のみであり、武官の頂点へと登り詰めたことになる。
1570年中野宗時ら先代の勢力を排除。遠藤基信が宿老に取り立てられ、良直との文武両輪体制が成立。
以降は相馬、蘆名、最上との戦いに従軍し戦地を転々とした。
1573年長年の功労が認められ鬼庭氏の家格が一族に列せられる。
1575年嫡男・綱元に家督を譲り隠居して左月斎と号す。
1577年輝宗弟・政重(国分盛重)の入嗣に際して国分家に紛糾が起きたため事前に仕置を行っている。
1585年政宗の苛烈な軍略がたたり、伊達輝宗が非業の死を迎える。その後を追って遠藤基信も自刃。
死に場所を失った左月は南奥諸侯連合により風前の灯火となった御家の為に戦場へ散る覚悟を決める。
ここで左月は「今生の別れに」と殿を引き受け、金色の采配を政宗手ずから賜る栄誉を受けている。
馬も具足も老体にはもはや厳しく、黄色の綿帽子を棚引かせ軽装のまま輿に乗り込むと、手勢60騎余りを率い死地へと進軍していった。
やがて人取橋を渡ると檄を飛ばして敵軍の中を自在に動き回り、撤退の時を稼いだ。
氷雪の間に照り輝く黄色と金色が目に障った佐竹・岩城勢はますます憤って押し寄せたが、近寄る者は次々と蹴散らされ雪原を血で染めていった。
何度となく連合軍を押し返したが衆寡敵せず、ついに首級200余を手土産に血槍の中で討死。
伊達勢は甚大な被害を受けたが命脈を繋ぐことに成功している。
この鬼庭左月入道良直一世一代の独擅場に十万億土へ先立った二人も手を叩き合って喜んだに違いない。
享年73は歴代の中でも「若死に」であったという。
鬼庭家代々の長生きの秘訣は 毎食後膳の湯に飯粒を溶かして飲むこと と今に伝わる。
演じた俳優
鬼庭左月の存在は1987年(昭和62年)NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」(主演:渡辺謙)によって全国的に知られるようになった。
いかりや長介 (1987年 NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」)
戦国大戦
「死に花、鮮やかに咲かせて見せようぞ!」
Ver2.0伊達家で参戦(名前は鬼庭左月斎)。伊達家唯一の2.5コスト槍足軽である、が武力は8しかない。気合持ちとは言えかなり物足りない能力であるが、伊達は竜騎馬隊と槍足軽しか兵種がなく、スペックがいい竜騎馬隊の代わりに槍足軽の能力が削られている。
計略の「左月斎の逆鱗」は、相手の計略に対応して打つ逆計。自身の武力と槍の長さが上がるが、効果が終わると撤退する。本人のスペック、必要士気、終了後撤退確定と様々な問題により使用率は芳しくない。
信長の野望シリーズ
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | 72 | 戦闘 | 73 | 智謀 | 42 | 政治 | 55 | 野望 | 44 | ||||||
天翔記 | 戦才 | 156(A) | 智才 | 90(B) | 政才 | 110(B) | 魅力 | 62 | 野望 | 45 | ||||||
将星録 | 戦闘 | 78 | 智謀 | 48 | 政治 | 50 | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 64 | 戦闘 | 65 | 智謀 | 43 | 政治 | 48 | ||||||||
嵐世記 | 采配 | 63 | 智謀 | 29 | 政治 | 27 | 野望 | 38 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 66 | 知略 | 28 | 政治 | 26 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 66 | 知略 | 28 | 政治 | 26 | 教養 | 27 | ||||||||
革新 | 統率 | 73 | 武勇 | 80 | 知略 | 32 | 政治 | 29 | ||||||||
天道 | 統率 | 73 | 武勇 | 80 | 知略 | 32 | 政治 | 29 | ||||||||
創造 | 統率 | 75 | 武勇 | 77 | 知略 | 54 | 政治 | 45 | ||||||||
大志 | 統率 | 78 | 武勇 | 75 | 知略 | 82 | 内政 | 45 | 外政 | 47 |
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関連項目
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