鯖棒寿司単語

サバボウズシ
  • 0
  • 0pt
掲示板へ

鯖棒寿司とは、飯の上にしめを乗せ巻きすなどで細長く形を整えた寿司である。

概要

一般的に「鯖寿司」と言えば鯖棒寿司の形態をすと思われる。しばしばバッテラ寿司)と同一視されるが鯖棒寿司はを使わずに巻きすなどで形を整える点で区別される。鯖棒寿司が名物の地域は日本各地で見られ海岸部はもちろんだが内陸部でも名物となっている地域がある。これは冷蔵技術が発達していない時代においてもでしめれば生の味を残したまま保存が効くは内陸部でも較的手に入りやすかったためである。鯖棒寿司自身も保存食飯や味付けを兼ねた昆布の皮で包むことも保存性を高めている。片身をそのまま寿司にするだけでは頭側と尾側で身のバランスが悪くなるので身を削いで厚みを調整したりもう片身を使ったりの身のバランスが良くなるように工夫する。

京都の鯖棒寿司

鯖棒寿司(鯖寿司)は京都名物の一つとして知られている。その歴史をひも解くとから離れたの都では若狭(現福井県)の産物が重宝されていた。江戸時代に若狭湾での漁獲量が増えたことと若狭小(現福井県小浜市)から(現福井県若狭町)と朽木(現滋賀県高島市)を経由して出町(現京都市区)に至る街道(通称「街道[1])が整備され荷を使って以前より物資輸送量が増加したことによりの庶民にもが手に入るようになった。更に小で一されたは一かけてに到着するころに程よい加減になったのでより一層好まれた。こうして若狭湾からもたらされたは鯖棒寿司としての庶民のハレの日の料理となり現在でも祇園祭などの祭事には欠かせない料理となっている。そして当初は料理であった鯖棒寿司を商品として販売を始めたのは天明元年(1781年)創業の「いづうexit」で、当初は向けの販売のみであった。こうしてお座敷の仕出し料理となり上品さを身に付けた鯖棒寿司はちょっと高級な京都名物の一つとして知られるようになった。

関連項目

脚注

  1. *街道」という呼称は江戸時代には確認できるが広く普及したのは戦後のことである。またルートは他にも若狭湾沿各地から上方各地までを結ぶ様々なルートがあった。

【スポンサーリンク】

  • 0
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

ニコニ広告 (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: ゲスト
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

鯖棒寿司

1 ななしのよっしん
2020/09/22(火) 06:21:06 ID: lLKgJ6moao
これの大百科があるとは…
子供の頃は苦手だったけど、今になって食べるとほんと良くできた料理だなと思わされる
👍
高評価
0
👎
低評価
0