鯖棒寿司とは、酢飯の上にしめ鯖を乗せ巻きすなどで細長く形を整えた寿司である。
概要
一般的に「鯖寿司」と言えば鯖棒寿司の形態を指すと思われる。しばしばバッテラ(箱寿司)と同一視されるが鯖棒寿司は型枠を使わずに巻きすなどで形を整える点で区別される。鯖棒寿司が名物の地域は日本各地で見られ海岸部はもちろんだが内陸部でも名物となっている地域がある。これは冷蔵技術が発達していない時代においても塩や酢でしめれば生の風味を残したまま保存が効く鯖は内陸部でも比較的手に入りやすかったためである。鯖棒寿司自身も保存食で酢飯や風味付けを兼ねた昆布や竹の皮で包むことも保存性を高めている。片身をそのまま寿司にするだけでは頭側と尾側で身のバランスが悪くなるので身を削いで厚みを調整したりもう片身を使ったり鯖の身のバランスが良くなるように工夫する。
京都の鯖棒寿司
鯖棒寿司(鯖寿司)は京都名物の一つとして知られている。その歴史をひも解くと海から離れた京の都では若狭(現福井県)の海産物が重宝されていた。江戸時代に若狭湾で鯖の漁獲量が増えたことと若狭小浜(現福井県小浜市)から熊川(現福井県若狭町)と朽木(現滋賀県高島市)を経由して出町柳(現京都市左京区)に至る街道(通称「鯖街道」[1])が整備され荷車を使って以前より物資輸送量が増加したことにより京の庶民にも鯖が手に入るようになった。更に小浜で一塩された鯖は一昼夜かけて京に到着するころに程よい塩加減になったのでより一層好まれた。こうして若狭湾からもたらされた鯖は鯖棒寿司として京の庶民のハレの日の家庭料理となり現在でも祇園祭などの祭事には欠かせない料理となっている。そして当初は家庭料理であった鯖棒寿司を商品として販売を始めたのは天明元年(1781年)創業の「いづう」で、当初は花街向けの販売のみであった。こうしてお座敷の仕出し料理となり上品さを身に付けた鯖棒寿司はちょっと高級な京都名物の一つとして知られるようになった。
関連項目
脚注
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