概要
1955年発足。人口約7万。市内にはJR北陸本線と福井鉄道福武線の2鉄道路線、北陸自動車道が通る。
JRと福井鉄道の路線は数百メートル離れたところを通っており、それゆえ中心駅も鯖江駅と西鯖江駅の2駅に分かれている。市街地としてはその両駅を中心とした鯖江地区のほか、福鉄神明駅を中心とした神明地区(旧神明町)に分かれる。
鯖江は真宗十派の一角、真宗誠照寺派の本山である誠照寺があり、鎌倉時代よりその門前町として栄えた街である。江戸時代には鯖江藩が置かれた事がある。鯖江藩第七代藩主間部詮勝は現在の西山公園の起源となる庭園の嚮陽溪を造り、井伊直弼の下で幕府老中を務めた。
神明は江戸時代に福井藩の支藩としての吉江藩が置かれた地であり、浄瑠璃作家の近松門左衛門が幼少期をここで過ごした。その後は北国街道の一宿場町であったが、明治維新後に神明に陸軍の歩兵連隊が置かれるなど嶺北の軍の町として発展。現在でも北部に陸上自衛隊の施設科駐屯地が所在する。また、福井市に近いことからベッドタウンとしても発展し、福井市麻生津地区南部と市街地が一体化している。
産業はメガネフレーム製造が有名だが繊維と漆器製造のまちでもある。特に漆器は継体天皇の時代から1500年続く伝統工芸であり、業務用漆器製造で国産シェア8割以上を占める。農業は米以外に旧吉川村一帯で栽培されていた「吉川ナス」が地理的表示(GI)保護制度に登録され、「吉川ナスバーガー」は道の駅の人気商品となっている。また加藤吉平商店が造っている日本酒の「梵」は福井県を代表する日本酒の一つである。
めがねのまちさばえ
明治38年(1905年)に増永五左衛門が農閑期の副業として始めた眼鏡製造が今日の街の主要産業となっており、鯖江のメガネフレームは世界シェアの2割程度を占めていると言われている。もっともより安い製造コストの国に昨今は押されがちであるのは日本の製造業に共通した話となっており、第2次産業が主要となっていた鯖江でも現在では第3次産業の就労者がかなり増加している。
そんなメガネ製造業界であるが薄型老眼鏡など新商品の開発を行ったり、メガネフレームの素材である金属や樹脂の加工技術を応用して医療器具や楽器部品と言った異分野に進出するなど生き残りを図っている。
また観光資源として街中にメガネのモニュメントなどが設置されていて北陸自動車道から見えるメガネ看板は名物看板として親しまれている。このメガネ看板は1974年から設置されていて2015年にはリニューアルされて光るようになった。ちなみに看板の設置場所自体は鯖江市ではなく福井市。他にもめがね作り体験・めがねショップ・めがね博物館が合わさった「めがねミュージアム」が2010年に開館、これまでに100万人以上が訪れている。さらに近年「メガネ~ランド構想」としてJR鯖江駅からめがねミュージアムまでの道路約900mとJR鯖江駅からサンドーム福井までの道路約1500mにメガネマークやメガネ型ベンチなどメガネを感じられる仕掛けが施されている。
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