鹿児島ユナイテッドFC単語

カゴシマユナイテッドエフシー

鹿児島ユナイテッドFCとは、鹿児島市を中心とする鹿児島県全域を本拠地とするサッカークラブ、及び、Jリーグ所属のサッカーチームである。

概要

日本サッカークラブ
鹿児島ユナイテッドFC
基本情報
創設年 2014年
(※ヴォルカ鹿児島FC KAGOSHIMAの両クラブの対等合併による)
運営法人 株式会社鹿児島プロスポーツクラブプロジェクト
所在 鹿児島県鹿児島市
サッカークラブテンプレート

鹿児島県は元々サッカーの盛んな土地柄であった。とりわけ、平成以降は鹿児島実業高等学校を中心に高校サッカーで度々上位に進出。前園真聖二、遠藤保仁松井大輔といった日本代表でも活躍した選手を数多く輩出してきた。"鹿実"出身者以外でも優秀な選手は多く、「大迫半端ないって」でも知られた大迫勇也鹿児島西高校出身)をはじめ、幾多のプロサッカー選手を輩出してきたのが鹿児島の地である。

そんなサッカー熱の高い場所にようやく誕生した、全区で戦うクラブが鹿児島ユナイテッドFCである。

クラブとして前身となる組織が2つあるので、歴史りながら、初めはそれぞれを紹介しよう。

歴史

ヴォルカ鹿児島(V鹿児島)

かつて存在したサッカーチーム
鹿児島ユナイテッドFCセカンド
基本情報
創設年 1959年
解散年 2016年
チームカラー
ホーム
スタジアム
鹿児島県サッカーラグビー場(鹿児島市
鹿児島県ふれあいスポーツ広場芝生会場(鹿児島市
ホームタウン 鹿児島市を中心とした鹿児島県全域
前身 ヴォルカ鹿児島
(※JFAチーム登録番号継承による)
備考 前身時代の戦績は継承していない
サッカーチームテンプレート

元を辿れば、1959年に誕生した『鹿児島サッカー教員団』が前身となるクラブ。教員クラブ体となる例はしくなく、Jリーグ先輩で言えば栃木SCガイナーレ鳥取が同じく教員クラブが前身になっているし、JFL同期生となるレノファ山口FCも教員クラブが前身である。鹿児島サッカー教員団は、九州サッカーリーグが産を上げた1973年から皆勤賞1974年1986年には優勝もしている、由緒正しいチームでもあった。

1993年Jリーグが誕生してJリーグバブルが巻き起こると、日本各地の実業団チームは次々と模様替えしてJリーグすようになっていった。鹿児島では横浜フリューゲルスが特別活動地域の一部として定(1995年まで)していたが、当時の鹿児島高校サッカー金時代を築いていた。1993年から4年連続でベスト8以上、1995年には優勝を経験するなど絶頂期だった鹿児島にも全規模のクラブチームを、というがあがるのは自然な流れだっただろう。

こうして、長らく鹿児島社会人サッカーを引っってきた鹿児島サッカー教員団はクラブチームへと移行。1996年から『ヴォルカ鹿児島』と名乗るようになる。チーム名はフランス語で「火山」を意味する「volcan」が由来。この火山は、言うまでもなく桜島のことであった。ところが、Jリーグバブルはほどなくして崩壊。奇しくも、鹿児島を活動区域にしていたこともある横浜フリューゲルスが消滅するなどして、一時期Jリーグ参加への機運は鹿児島のみならず全でトーンダウンしつつあった。ヴォルカも名前は変わったが劇的に強くなったわけではなく、今までとあまり変わらず九州リーグ戦場であった(中~下位だったチームが中~上位になる程度の変化はあったが)。

2002年日本韓国の共催でFIFAワールドカップが開催。試合会場やキャンプ地の誘致合戦で再び日本各地でサッカー熱が高まりを見せた時期である。鹿児島の地でもジダンアンリらを擁する前回覇者フランス事前キャンプっている(まさかこの時点でフランスが1勝も出来ずに大会を去るとは思っていなかっただろう)。全サッカーチームで町おこしを、という流れが生まれつつあったこの頃、「乗るしかない、このビッグウェーブに」と思ったかどうかはともかく、ヴォルカ運営団体を立ち上げて法人化させてチームプロ化へと転換することをした。

が、ここからヴォルカは足踏みを繰り返してしまう。スポンサーが集まらずに負債だけが溜まり、法人化を断念して債務の返済に専念、なんとか体勢を立て直すもまた同じことを繰り返し・・・そうこうしている間に、ホンダロックSCロアッソ熊本FC琉球ギラヴァンツ北九州V・ファーレン長崎と他のチームに次々と先を越されて全リーグへと行かれていってしまったのである。

FC KAGOSHIMA(FC鹿児島)

日本プロサッカーリーグ
鹿児島ユナイテッドFC
基本情報
創設年 1994年
チームカラー
ホーム
スタジアム
鹿児島県運動公園陸上競技場(鹿児島市
ホームタウン 鹿児島市を中心とした鹿児島県全域
前身 FC KAGOSHIMA
(※JFAチーム登録番号継承による)
備考 前身時代の戦績は継承していない
サッカーチームテンプレート

その頃、鹿児島ではもう一つのチームがコツコツとを付けつつあった。大隅半島では最大の町にある鹿屋市にある、日本一の国立体育大学鹿屋体育大学。ここのサッカー部の学生体となって1994年に作った社会人登録のチーム鹿屋体育大学クラブ』である。

ここが九州リーグに初昇格を果たした2004年、広く社会人に門戸を開き、将来のJリーグ入りをも念頭に置きつつ強化を図ろうと、チームの名前も『大隅NIFSユナテッドFC』と変え、且つ、一クラブとして鹿屋体育大学サッカー部から独立していった。チーム名の「NIFS」は「体育大学」を英訳した時の単頭文字を取ったものである(National Institute of Fitness and Sports)。とはいえ、こちらもそれだけですぐに強くなったわけではなく、しばらくは鹿児島県リーグ1部と九州リーグを往復するようなエレベータークラブ状態であった。

状況が変わり始めたのは2009年。この年、東京在住の鹿児島出身者たちが「スポーツで地元を元気にしよう」と運営会社を設立。一からチームを作るのではなく、既存のチームを譲渡してもらう形でJリーグした活動を始める。ヴォルカにも話を持っていったとのことだが、どうもうまくいかなかったようで白羽の矢が立ったのが大隅NIFSユナテッドFCであった。この過程で鹿児島では名門クラブユースチームでもある『アミーゴス鹿児島』とも連携を取る形で、鹿児島に全区のリーグJリーグす2つチームFC KAGOSHIMA』が誕生した(※以下「FC鹿児島」及び「FC」表記)。

2010年鹿児島県リーグを全勝で制し、九州リーグへの昇格決定戦も勝ち抜いたFC鹿児島2011年から満を持して九州リーグに復帰。ここで本格的にJリーグすことを掲げ、同じ鹿児島に居を構える2つのクラブが相まみえることとなった。


なお、チームが譲渡されたその裏側で、所属選手の内、鹿屋体育大学サッカー部出身の選手が一斉に退団した。また、同年、チーム発足当初の鹿屋体大の選手を中心とする形でのチーム大隅NIFS FC』が誕生し、鹿児島県リーグ最下位カテゴリから活動を始めた。このクラブU-15U-12の育成組織のチームを持つようになり、更には2013年、『大隅NIFS. 2nd』というセカンドチームも誕生させた。

しかし、2014年トップチームセカンドチーム大隅NIFS FCから切り離されて鹿屋体育大学サッカー部に譲渡され、それぞれ『NIFS KANOYA FC』と『NIFS KANOYA FC 2nd』に称し、同サッカー部のサテライトチームへと転換していった。

この内、NIFS KANOYA FC2015年鹿児島県リーグ1部と九州各県リーグ決勝大会を制し、2016年から九州リーグに参入する。参入初年度は危なげながら7位と残留を果たし、カテゴリ上は鹿児島ユナイテッドFCに続く鹿児島県内で2番の位に位置するチームとなった。

V鹿児島とFC鹿児島、2クラブの対立並立、そして統合へ・・・

2011年シーズンFCの方が好調で、直接対決でも2戦2勝(うち1勝はPK戦)でヴォルカを順位で上回る・・・が、HOYO AC ELAN 大分(現:ヴェルスパ大分)に2戦2敗(うち1敗はPK戦)。ヴォルカもHOYOには1勝1敗と引きずりおろすことが出来ずに、この年は両チームともに九州リーグ残留が決定。おまけに、HOYOはJFL昇格を決め、またしても鹿児島チームが先を越されてしまうという結果になってしまった。

HOYOの抜けた2012年シーズン、両チームの直接対決は1勝1敗の五分であった。が、下位チームに取りこぼしがあったヴォルカの上を、今年もFCが行くという結果になった。FCJFL昇格を懸けて全地域サッカーリーグ決勝大会に初挑戦するが、グループリーグファジアーノ岡山ネクストS.C.相模原に屈し、この年も九州リーグ残留に終わる。

Jリーグすという的が同じチームが並び立つ状況は、地域内のスポンサーであったり、最大の懸念であった鹿児島に1つしかないJリーグの規格を満たすスタジアムの使用権という限られたパイの奪い合いという事態を招きかねなかった。見るに見かねたか、双方の間を取り持つ団体が立ってチームの統合を呼び掛けたものの交渉は物別れに終わってしまう。だが、こんな状況にもタイムリミットが迫りつつあった。

2013年に翌年からのJ3発足が発表され、JFLも含めて全カテゴリーリーグを取り巻く状況が大きく変わる中で、2つのチームが並び立ったままであることを許せる時間的猶予はもうかったのだろう。再びヴォルカFCとの間で統合の話し合いが進められ、ついに正式にチームの統合が発表された、8月のことである。この年の九州リーグではFCの方が取りこぼしが多く、最終節の直接対決を待たずにヴォルカがこのチーム名としては最初で最後の九州リーグ優勝を決めた。直接対決は1勝1敗。この年はヴォルカFCが共に全地域サッカーリーグ決勝大会(地決)へと進出し、仲良くグループリーグを勝ち抜いて決勝ラウンド進出。迎えた最後の直接対決はヴォルカが制したものの、最終順位ではFCが3位、ヴォルカが4位という、どこまでもっ向からぶつかり合った両チームであった。

『鹿児島を一つに・・・』鹿児島ユナイテッドFC誕生

統合後のチームという扱いでJFL入会を通過し、2014年からの新生JFLに参戦が決まった新チームは、年末に新チーム名である『鹿児島ユナイテッドFC』を発表。トップチームJFLに、そしてセカンドチーム九州リーグへ参戦させることが決定している。

ちなみに、セカンドチームがいきなり九州リーグに参戦できているのは、ヴォルカ鹿児島チーム登録番号を継承しているためである(※九州リーグへの新規参入は九州各県リーグ決勝大会を勝ち抜かないとできないため。特例での新規参入は認められていない)。一方、トップチームFC鹿児島チーム登録番号を継承している。これは、前述した地決で自動昇格圏内(3位以内)に入ったのがFC鹿児島のみであり、ヴォルカ鹿児島九州リーグに残留という形となったからだ。その為、JFL公式によりFC KAGOSHIMAから名称変更」アナウンスされているexit故にそういう意味では、あくまで合併したのはクラブ同士であり、各々が保有していたトップチーム同士の合併はされず、それぞれトップチーム(←旧:FC鹿児島トップチーム)・セカンドチーム(←旧:ヴォルカ鹿児島トップチーム)へと転換されていった。

但し、トップチームセカンドチーム、共に前身チームから継承したのはチーム登録番号のみで、記録リーグ優勝や天皇杯出場の回数など)は引き継がれていなかった。余談だが、FC鹿児島大隅NIFSユナテッドFCからチームを継承した際は、鹿屋体育大学クラブ時代の天皇杯出場回数記録(1回)を引き継がなかった。他のクラブにも言えるのだが、少しは保有チーム歴史ぐらい大事にしてほしいところである。

ところで、統合に際しては長きにわたってすったもんだがあった。先発組のヴォルカ法人の立ち上げに手間取り続けたし、後発のFCも土壇場の2013年になって所属選手が監督クラブ然と批判するコメントを残してシーズン中に移籍をするなど問題を抱えていないわけではない。双方の熱心なサポーターの間にはしこりが残っていることもブログなどからは見受けられる。とはいえ、「ユナテッド」という「団結」を意味する単チーム名になった今、雨降って地固まるとなるかどうか、新生「鹿児島ユナイテッドFC」の行方が注されるところである。・・・チーム名がありきたりだと一部で言われていたりか、決める時間(募をかける時間)がかったことを半ば言していたりということはとりあえず気にしない方がいいと思う。

その後、称が募され、称は「よかにせイレブン」となった。よかにせとは鹿児島弁イケメンという意味である。松木さん、決していい店とかそういう意味じゃありませんからね!

2年間のJFL在籍を経て遂にJリーグへ・・・

2014年、初のJFL先輩であったヴェルスパ大分に1-0で勝利JFL勝利を挙げると、ホーム開幕戦となったJFLの大先輩である横河武蔵野FC戦ではJFLとしては出色の3500人をえる観衆の前で4-0と勝利し、JFL昇格1年の開幕2試合としては上々の滑り出しを見せた。

その後、1stステージではHonda FCと勝ち点で並びながら得失点差で+7と差を付けられたためにいきなりのステージ制覇とはならなかったものの、自昇格が出来るほどの実があることを全へ示すこととなる。2ndステージでは制覇した佐川印刷京都SC、年間成績4位でJ3昇格を果たすレノファ山口FCの前に屈して2位となり、通算成績3位(通算勝ち点では2位)で2014年シーズンを終えた。なお、同シーズンでは遂にJリーグ年構想クラブとして承認され、後は年間成績4位以内とホーム均観客動員数2000人以上、そしてJ3ライセンス取得の3つを満たすことが課題となった。

2015年1stステージは開幕から4勝3分と負けなしだったが、8節でアスルクラロ沼津に負けると次第にステージ優勝争いから遠ざかるようになる。そして最終節前であるホーム戦の14節・Honda戦で0-3と敗戦。またヴァンラーレ八戸FCが同節で首位浮上し、おまけに勝ち点差4と開いてしまったこともあり万事休す、2ndステージに切り替えていくことになる。

2ndステージでは開幕で沼津に3-2と辱を果たすなど3勝1分となるが、5節でファジアーノ岡山ネクストに競り負けくもステージ制覇に黄色信号が点し、やがて制覇の可性が消滅した為、年間通算成績4位以内に掛けるしかなくなった。一方、9月にはJ3ライセンス取得となる。この時1stステージ覇者八戸J3ライセンス取得に失敗した結果、規定により同年のJ3昇格が1チームのみとなった。取得時点では鹿児島トップだったことも有り、あとは勝ち点を重ねて他のライセンス持ちを引き離すだけだったが、少々モタモタしたこともあって終盤まで沼津に勝ち点差を5までに縮められていた。そして最終節前である運命の14節、鹿児島奈良クラブに引き分けて勝ち点を積み重ね、沼津岡山ネクストに負けて年間勝ち点で鹿児島を上回る可性が消滅した為、鹿児島の年間通算成績4位以内が確定した。最終節ではFCマルヤス岡崎に3-1と快勝し、自らJ3昇格にを添えた。

2015年11月17日Jリーグ臨時理事会。この日を以って、鹿児島J3昇格が正式決定した。クラブ代表である徳重剛は、吉報を受け取った後、関係者と握手しつつ、込み上げてきた感情を抑えきれず男泣きするのであった。

J3初参戦

2016年J3参入初年度。このシーズン熊本地震が起きた影もあり、5節の延期が決定するなどコンディション調整が影されたが、7節から8試合連続負けし、12節から首位に経つなど、前シーズンにて他のチームを震え上がらせた「山口」の再現が期待されたものの、くも14節にて首位から陥落するとそのまま首位に立つことはなかった。

それでも終盤まで昇格争いに絡むなど、山口に続いてJFLをギリギリで突破してきても十分、J2昇格を自せることを明した。が、最終的には失速し、16チーム中5位でシーズンを終えた。

一方でホームスタジアムである池競技場が2020年鹿児島体に向けて修することが災いしJ2ライセンス不交付となった。こういうこともあり、サポーターを中心に、チームが優先的に使えるサッカー専用スタジアムの建設を実現させるための運動も起こるようになった。

セカンドチーム、ついに長くて濃い歴史に終止符が打たれる・・・。

トップチームが躍進する一方、引き続き九州リーグ残留となったセカンドチームは1年を10チーム中3位で終えるものの、中々人材が集まらないこともあってか、2年は10チーム中8位と急に成績を落とし、3年は10チーム中最下位と、旧:ヴォルカ鹿児島トップチーム時代から続く九州リーグオリジナル7としての長い歴史の中で、初めて自動降格圏に落ちてしまった。ただ、このシーズン熊本地震の影もあって、自動降格チームし、代わりに最下位は九州各県リーグ決勝大会2位チームと入替戦を行うこととなったため、辛うじて九州リーグ残留の芽は残された。

しかし、年を跨ぐまであと4日と迫った頃、急遽クラブ公式からこのようなリリースが上がった。

この度、鹿児島ユナイテッドFCは九州リーグにて活動する社会人チームセカンド」の活動を終了することとし九州サッカーリーグ連盟に退会届を提出いたしました。

これに伴い、2017年1月に予定しておりました、九州各県リーグ決勝大会2位チームとの入れ替え戦は辞退いたします。

鹿児島ユナイテッドFC公式サイト
『鹿児島ユナイテッドFCセカンド 活動終了のお知らせ』exitより

当のクラブ「今後、鹿児島ユナイテッドFCがJ2そしてJ1すにはどのような強化・育成の体制をとるのが最善であるかを考えていった結果」を理由としているものの、この年はJFL所属であるファジアーノ岡山セカンドチームファジアーノ岡山ネクスト』も解散となった為、他のクラブの例に漏れず資的な余裕を持ち合わせない地方クラブセカンドチーム運営すること自体苦しかったのが第一の原因では?」との観方も強くされていた。

とはいえ、セカンドチームとしての意地と観るべきか、最初で最後ではあるが漸く、トップチーム昇格を成し遂げた選手を1名輩出することに成功した。何だかんだで役割はきっちり果たしていることを明したセカンドチームは、鹿児島サッカー教員団時代から刻まれてきた58年の歴史に、静かに幕を下ろしたのだった・・・。

関連動画


統合前の両者が相まみえた最後の大舞台

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

クラブ公式サイト

鹿児島ユナイテッドFC 公式サイトexit

関連サイト

南日本新聞社『ガンバレ!鹿児島ユナイテッドFC応援サイト』exit

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鹿児島ユナイテッドFC

1 佐倉絢(じゅん)
2014/03/24(月) 11:52:58 ID: 7/gLPe4DwK
鹿屋市生まれ、大根占民(現南大隅)だった人間です!

本当に突然で勝手な願い、願望ですが、

J3に上がったら、鹿児島ユナテッドっていう普通クラブ名より、
英語桜島サクラアイランドだから、「サクラアイランズ鹿児島」とかにして欲しいです!
鹿屋生まれの大隅民にあたりますが、大隅ニフスよりヴォルカ鹿児島のほうが名前は良いと思ってました!

ユニフォームの色は、ブザービートユニフォームみたいなカラーにして欲しいです!
ピンクユニフォーム!(桜島イメージした色)
ピンク混ぜると桜島!(現在桜島の木が多い)みたいな感じするし、外国人知ってるし、ピンクだとセレッソみたいに女性サポーター増えそうですし。

(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
2 ななしのよっしん
2014/05/06(火) 17:52:29 ID: 9L6oDYH3Gx
お、おう
3 ななしのよっしん
2015/11/18(水) 18:09:53 ID: /SZ7xn7ZKx
J3昇格おめでとう

・・・>>1削除申請しとく?(無慈悲)
4 ななしのよっしん
2018/12/16(日) 11:15:50 ID: dQq41qg2Jc
立から2年でJFL突破、さらに3年でJ3突破。
順調じゃないですかね。
次はJ1ライセンス取得ですな。
5 ななしのよっしん
2019/06/23(日) 09:37:30 ID: cfb4egIuQe
開幕直後の7試合連続得点の時にはどうなるかと思ったけど
ようやく調子が戻ってきたみたいでよかった