麺家いろは単語

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麺家いろはとは、富山県富山市本店を置くラーメン店である。東京ラーメンショー初代王者

概要

特徴

大喜・西町大喜と並び、富山ブラックラーメンの代表格的ラーメン店の一つ。富山県のみならず、関東関西四国、さらに海外にも進出している日本を代表する世界ラーメン店である。
また、毎年開催されている東京ラーメンショーで、4連覇5冠(200920122014)を達成し、北陸を代表するラーメン店の一つとして全的に知られている。

余談であるが、各地の店頭には会長栗原清氏が、法被とハチマキを巻いてガッツポーズを決めている写真ポスターがたびたび貼られている。

歴史 [1]

創業までの苦労

創業者で現会長栗原清氏はもともと富山県の運送会社の社長を務めていた。当時の栗原氏は強い独立志向を持っていたため、1989年に運送会社を退職して脱サラ。当時のブームだったカラオケに着してコンテナを使ったカラオケボックスの会社を設立、その一方で、アメリカ開発された自己啓発教育プログラムの販社をつくり、さらにはメイン提供する小さな居酒屋も1軒持った。

しかし、相次ぐ新規参入でカラオケ事業は業績が悪化。機器の更新などテコ入れを行うもついには資ショートしてしまい倒産。こので、教育プログラムの販社も閉社し、残ったのは億単位の借金沢に構えた居酒屋のみとなってしまった。

一時逃げも考えた栗原氏であったが、「自己破産すると行動が制限され、再起も難しくなる。借を抱えて、死んだ気でもう一回やってみないか」と弁護士からアドバイスを受けて一念発起。居酒屋改造してラーメン店を始めることを決意したのであった。当時の店内は、みかんにベニヤをのせたようなテーブルを配し、15人も入ればいっぱいになるほどの広さであった。当時したラーメンイメージ東京支那そばで、栗原氏によると、「イメージしたのは東京支那そばでした。透明感のあるあのスープが好きで、東京に行った時は必ず食べていました。ところがどれだけ試作しても、スープ。本格的な修業をしていませんから限界があったのでしょうが、スープもなかなかいけた。そこで、いつまでも準備しているわけにはいかなかったので、店をオープンさせたのです」と話している。

金沢で前座店オープン・麺家いろはの誕生へ

1992年11月、麺家いろはの前座となるラーメン店をオープン。当時の店名は「ザ東京ラーメン」であった。翌年8月有限会社トラ商事を設立して法人化。お店も行列ができるほどの人気店となっていた。これを見た古い友人から「応援するから富山にも店を出したらどうか」と勧められ、小杉町(現 射水市)に2号店をオープン。ここがのちに麺家いろは本店となる。

その後、金沢本店北陸新幹線建設予定地となってしまったため、やむなく閉店小杉店を本店を移した。しかし、ラーメン店の経営に自信を持ち始めた栗原氏は、小杉本店を拠点にして多店舗展開および、フランチャイズの展開を図ったのであった。そして、2002年フランチャイズ1号店である掛尾店がオープン2003年には現店名である「麺家いろは」に名し、法人名も株式会社高くへ名した。

この名について栗原氏は、「ラーメン屋のおやじとして本を入れ、一からやり直すという意味で、店は『麺家いろは』と名付けました。また当時本店周辺には、高い建物がほとんどなくて立山連峰が一望にでき、立山のごとく社運を高くしたいという希望を込めて『高く』にしたのです」と話している。

そして、「全へ」という思いが頭をかすめた時、富山のPRとともにラーメンを売ろうと考えた栗原氏は、商品名を「富山醤油らーめん」と名。現看板商品のラーメンが誕生したのであった。

その後、富山県大学に勤める常連客から「ラーメンに(富山の)深層を使ってみないか」と誘われたり、富山県漁連から「(富山県名産の)エビの殻をダシにしてみないか」と誘われたりした。こうして出来上がったのがもう一つの看板商品となっている「エビらーめん」である。

全国展開へ

2006年3月浜松市にあるラーメンテーマパーク浜松べんがら横丁」へ出店し、全デビューを果たす。順位を争うテーマパークではなかったが、全の有名店6店と較された。スープの見たインパクトから敬遠されてしまい、開店2か後までは下位をキープしてしまう。しかし、「いけど、後味あっさり。富山醤油もなかなかいけるぞ…」と口コミで広まり3かからは3位に。さらに3カ後には2位に浮上し、以後これをキープするようになった。

これをきっかけに全デパートの物産展からオファーが届くようになり、各地で期間限定店を出店。また、サークルkサンクス(当時)からのオファーで「富山醤油らーめん」をカップラーメン化。同系列のコンビニで期間限定で販売された。

また、京都駅ビルに常設店をオープン。常設展としてはこれが初の県外進出となった。

そして、2009年5月29日から駒沢オリンピック公園で3日間開催された「第1回東京ラーメンショー」に出店。全の名店が集まる中、4041杯で断トツ1位の売り上げを見せつけ、東京ラーメンショー初代王者いた。さらに翌年から2012年まで東京ラーメンショー4連覇2014年に再び優勝して5冠くという偉業を成し遂げた。

海外出店へ

2011年7月、2年間の期間限定店としてシンガポールに出店。翌年には常設店としてアメリカロサンゼルス(2014年7月閉店)、2013年には香港2014年には中国武漢2016年にはタイに出店し、東アジア東南アジア、北に進出。文字通り、世界中に知れ渡るラーメン店となった。

近年でも2018年香川県高松市内に出店するなど、破の勢いを見せている。

メニュー

創業当時からの人気メニュースープに使われる醤油には、独自の製法で塩分を控えめにした魚醤が使われている。そのため、スープの見たインパクトとは裏にあっさりとした味わいが特徴的ならーめんである。富山ブラックラーメンを出しているラーメン店の中では較的食べやすい味なので、女性子供でも食べやすく、大喜のような辛い味が苦手だという人にはオススメである。(ただし、「ホンモノの富山ブラックを食べたい」という人には大喜や西町大喜をおススメする)

前項の記述の通り、常連客からの提案から生まれたメニューエビとは富山県の名産品の1つで、日本では富山県でしか取れない食材となっている。このエビの殻を燥させ、ダシを取ってスープにし、あっさりらーめんにした一品。女性子供、さらに「富山ブラック自体苦手だ」、「脂味のないあっさりしたラーメンが食べたい」という人にはオススメの一品である。

麺家いろはが自信を持ってオススメするアナザー的一品。数種類のスパイスブレンドした辛味噌を自ラー油を合わせてほどよい辛さに仕立てた一品。

店舗一覧

北陸地方

富山県

近畿地方

京都府

関東地方

東京都
神奈川県

四国地方

香川県
愛媛県

海外

中国
台湾
タイ

関連商品

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関連項目

関連リンク

脚注

  1. *元気印のTOYAMAのお店訪問[第29回]株式会社天高く(麺家いろは) ((公財)富山新世紀産業機構 TONIO news)exit

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麺家いろは

1 テニール
2020/02/19(水) 22:52:41 ID: qOTJYHrQaf
まさか、麺家いろはの記事があったとは!
しかし、海外店舗の項のハノイ店はタイではなくベトナムだとおもいますが
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