黒澤元治(くろさわもとはる)とは、元レーシングドライバーでチーム監督、自動車評論家である。ニックネームは「ガンさん」。
概要
1940年8月6日生まれ。茨城県日立市出身。
1960年代から1970年代にかけてレーシングドライバーとして活躍した。1965年、ホンダ系2輪チームのライダーから4輪の日産ワークスに転身。
追浜ワークス所属時には、高橋国光、北野元とともに、追浜ワークス三羽ガラスと称された。
活躍したのち独立してプライベーターとなるが、1974年富士スピードウェイにて行われたGCマシンレースで多重クラッシュ、風戸裕、鈴木誠一の命を奪った原因を作ったとされマスコミに糾弾された。
当初JAFからは5年間のライセンス停止、のちに1年3ヶ月に短縮されたが、黒澤は自らライセンスを返上し、再取得の後にレースに復帰する。
しかし復帰後は思うようにレースが出来ず、レースの表舞台から退く。
以降はレース活動と平行して従事していたブリヂストンの市販スポーツタイヤの開発テスターとして活躍。現在ポルシェ社公認のタイヤテスターのひとりでもある。
レーサー引退後、友人である作家・五木寛之の薦めで始めたモータージャーナリスト活動では、レーシングドライバーとして、タイヤテスターとして磨いた洞察力を活かして現在も活躍中。 特定のメーカーにとらわれず、歯に衣着せぬ辛口な自動車評論と還暦を越えても未だ衰えぬスピードとマシンコントロールには定評があり、ファンが多い。愛車として1990年以来ホンダ・NSXを乗り継いでいる。また、ポルシェ・カレラGTも購入している。 3人の息子(琢弥、治樹、翼)もレーシングドライバーとしての経歴を持っている(琢弥はチーム・ルマン監督も務め、翼は雑誌「LEON」の編集者も兼任している)。
2013年に、次男である治樹が所属するSUPER GT、GT300クラスに参戦した、LEON RACINGの監督に就任、28年ぶりにレースの現場に復帰した。また、LEON編集者で三男の翼が鈴鹿1000kmでサードドライバーを務め、翌年の第2戦からは正式に治樹のパートナーとなり、事実上の黒澤ファミリーチームとなった。
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