齋藤俊雄単語

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齋藤俊雄(さいとう としお1983年12月23日-)とは、愛知県岡崎市出身の元プロ野球選手捕手)である。現在オリックス・バファローズコーチ

概要

豊田大谷高校から三菱自動車岡崎に進むが、3年2004年会社の不祥事野球部が活動休止になってしまう。その年のドラフト会議で、横浜ベイスターズドラフト10巡名され入団。同期入団には石川雄洋藤田一也がいる。

2007年北京プレオリンピック野球日本代表では正捕手を務め、2008年に初めて開幕一軍入りし一軍初出場。鶴岡一成放出もあり、故障がちな相川亮二に代わってちらほらスタメン出場したが、守備面(特に捕球)に難があり、2009年には細山田武史武山真吾らに蹴落とされる格好になった。

2009年オフ清水直行とのトレードで同期入団の那須野巧と共に千葉ロッテマリーンズに移籍。

2010年里崎智也的場直樹に次ぐ三番手の地位につけ、里崎離脱時には的場バックアップとして出場した。しかし同年オフ、今度は原逸裕とのトレードでオリックス・バファローズに移籍。

2011年伊藤が故障がちのため、離脱時は二番手としてそこそこスタメン出場し、自己最多の35試合に出場した。

2012年中山慎也、エバン・マクレーン井川慶先発時ににスタメンマスクを被り、自己最多を更新する51試合に出場したが、8月19日の試合後に岡田彰布監督から「諦めてるがいる」という理由で伊藤共々二軍に落とされてしまい、そのままシーズンを終えた。(表に出せないプロ意識がかけた行動をとったと思われる)

2013年伊藤光が正捕手に定着し、22試合の出場に終わる。

2014年福岡ソフトバンクホークスから移籍してきた山崎勝己の入団もあり、一軍出場はなかった。

2016年は1試合に終わり、戦力外通告を受け、現役を引退

引退後

スコアラーとしてオリックスに残った。

2018年からは二軍育成コーチに就任。2020年からは二軍バッテリーコーチとなり、8月20日西村徳文監督辞任に伴い一軍バッテリーコーチとなった。2021年からはコーチの一軍・二軍統合によりただの「バッテリーコーチ」となる。

プレースタイル

強肩と意外性のある打撃が魅。一方、とんでもない捕球難であり、2011年には僅か35試合の出場でリーグトップタイの7捕逸マーク。あまりの捕逸の多さに、一部では捕逸をして「TOSHIO」と呼ぶ向きもある。

通算打撃成績

年度 球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
2008年 横浜 25 44 39 2 7 0 0 0 2 0 4 0 1 0 13 0 .179 .200
2009年 20 26 24 1 5 1 0 0 2 0 1 0 1 0 9 0 .208 .240
2010年 ロッテ 21 31 27 1 5 1 0 0 0 0 3 0 1 0 11 1 .185 .214
2011年 オリックス 35 81 70 5 17 1 0 0 2 0 5 0 3 3 30 0 .243 .303
2012年 51 107 92 1 19 3 0 0 6 1 13 0 1 1 34 2 .207 .223
2013年 22 23 21 1 2 0 0 0 0 0 2 0 0 0 10 0 .095 .095
2016年 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- .---
NPB:7年 175 312 273 15 55 6 0 0 12 1 28 0 7 5 107 3 .201 .223

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