龍造寺四天王とは、日本の戦国時代に北九州に割拠した龍造寺隆信に仕えた5人の武士である。
概要
龍造寺四天王のメンバーは史料によって違い、合計すると次の5人が挙げられる。
※四天王として5人の名が挙げられているわけではないので注意。
このため、歴史ファンの間では『五人揃って四天王』とまるでネタのように呼ばれている。
この記事を編集している段階で、ニコニコ大百科上では5人全員の記事が存在するので、個々の詳細についてはそちらをご覧いただきたい。この名称がつかわれ始めた江戸時代前期の資料では成松・百武・木下の3人は四天王として確定しており、江里口と円城寺の2名が資料によって異なるようである(※1)。この5人に共通してるのは、基本的に武勇抜群であり、また主君龍造寺隆信が戦死した沖田畷の戦いにおいて、木下を除く4人が壮絶な討ち死にを遂げている(※2)。
※1 もっとも円城寺を四天王に加えているのは『焼残反故』という佐賀藩重臣の残した覚え書きのみであり、「武士道というは死ぬ事と見つけたり」で有名な『葉隠』をはじめ、基本的には成松・百武・木下・江里口とする資料が多い。
※2 そもそも成松ら4名が龍造寺隆信の旗本(側近武将)だったのに対して、木下昌直は龍造寺家家老の鍋島直茂の部下だった(だから戦死もしていない)。コーエー基準ではマイナスなのかそのせいか信長の野望ONLINEでは木下を四天王としない設定となっている(おまけに木下は女性武将(晶)にされている)。なお『九州記』という軍記では四天王ならぬ「四本槍」というものがあり、こちらは隆信の旗本からの選抜となっているので、自然と木下が除外される形となっている。
なお、龍造寺隆信の家臣としては鍋島直茂が有名であり、彼が四天王筆頭と勘違いする人が居るが、彼は四天王としては扱われていない。(その代わり?鍋島直茂は龍造寺隆信の義弟に当たる。)
脳筋?
さて、信長の野望シリーズをプレイしたことのある諸兄はご存知のとおり、この龍造寺四天王はいずれも統率や武勇、あるいは采配といった「戦争での直接攻撃力に影響する値」は高いものの、政治や知略、教養といった「頭の良さ」はからっきしと言う、所謂『脳筋』設定にされてしまっている。確かに、『四天王』という現代でいえば厨二病勇者以外何者でもないネーミングを400年以上前に名乗っていた(呼ばれていた)ことを考えると、そういうイメージも沸いてしまうだろう。
しかしながら、成松信勝は龍造寺家の家老まで昇り数々の奉行を歴任した人物であり、百武賢兼は敵を説得により降伏させたり、隆信が非道の振る舞いをしたときに家の滅びを予言するなど知勇に優れた人物であり、これは過小評価と言わざるを得ない。
他3人は確かに行政上の業績はわからないものの、沖田畷での機転や忠義を考えれば、とてもただの脳筋とは思えない。今後の再評価が望まれる所である。
戦国大戦
龍造寺家は「動物」をモチーフにした装飾がされており、龍造寺四天王は四神がモチーフである。
成松信勝は玄武担当。また他の四天王とは違いコストが2。
他の四天王は全部1.5コストで武力6統率2の無特技で共通しているが、彼だけは別格である。
ただし統率は無特技で3とやや物足りない。
計略も「巨獣の構え」で超絶強化カットインも彼だけ持っている。
江里口信常は6/2の槍足軽、計略は龍造寺家汎用計略の一、噛みつき。白虎担当。
百武賢兼は6/2の騎馬隊。計略は野獣の構え。こちらも龍造寺家汎用計略。何故かモチーフは四神に全く関係ない獅子(ライオン)。
円城寺信胤はこちらも6/2の騎馬隊。計略は噛みつき。分かり難いが青龍担当。
全体的にはやっぱり全員脳筋補正された能力になっている。計略も攻撃一辺倒だし。
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